芭蕉db

芭蕉総合年表

(蕪村筆 芭蕉翁)

更新日:14/04/09

蓑笠庵梨一『奥細道菅菰抄』より「芭蕉翁伝」

寛文延宝天和貞享1貞享5元禄2元禄3元禄4元禄5元禄6元禄7その後・・


西暦

年号

年齢

歴史的記事

1581 9 27 天正9   織田信雄、4万2千の大軍を率い六ヶ所より伊賀浸入。「伊賀の乱」勃発。10/26 伊賀軍敗退
1590 8 1 天正15   徳川家康、関東入府
1594     文禄3   徳川家康、江戸隅田川に千住大橋架橋
1608 9   慶長13   徳川家康、藤堂高虎を伊賀上野に移封
1609 3   慶長14   伊達政宗、松島に瑞巌寺建立
1615 5 8 慶長20   大阪城落城。秀頼(23),淀君(49)ら自害。豊臣家滅亡
1620 11   元和6   江戸の神田川を掘り割る
1623 7 27 元和9   徳川家光、第3代将軍に就く
1630 10   寛永7   藤堂高虎死去。75歳
1632 1   寛永9   第2代将軍・徳川秀忠死去。54歳
1634 11   寛永11   伊賀上野・かぎやの辻仇討事件。荒木又右衛門、甥の復讐に成功
1642 5   寛永19   譜代大名の<参勤交代制度>を設ける
1644 寛永21 1 松尾芭蕉、伊賀上野赤坂町に第三子次男として誕生。月日不祥。幼名金作
  12 11 正保1 1 正保<しょうほう>と改元
1647     正保4   杉山杉風、江戸日本橋本小田原町魚問屋杉山賢永長男として誕生
1648 2 15 慶安1 5 慶安<けいあん>と改元
1651 4 20 慶安4 8 第3代将軍徳川家光死去。48歳
1651 慶安4 8 門弟向井去来、長崎に誕生
1651 8 18 慶安4 8 徳川家綱、第4代将軍に就く
1652 9 18 承応1 9 承応<じょうあん>と改元
1655 4 13 明暦1 12 明暦<めいれき>と改元
1656 2 18 明暦2 13 父・与左衛門死去。享年不祥。法名<松白浄恵信士>
8 14 明暦2 13 門弟森川許六、彦根にて誕生
1659 12 13 万治2 16 江戸浅草川(隅田川)に両国橋架橋
1661 4   寛文1 18 仙台藩、牛込・和泉橋間の小石川堀(仙台堀)を完成
  7 17 寛文1 18 門弟宝井其角、江戸堀江町にて誕生
1662 寛文2 19 藤堂新七郎家嗣子・ 主計良忠に出仕
1 3 寛文2 19 門弟野坡、斉藤庄三郎長男として福井に誕生
  12 29 寛文2 19 最古の句「春や来し年や行きけん小晦日
1664 9 26 寛文4 21 佐夜中山集』に2句入集
1665 11 13 寛文5 22 主君藤堂良忠主催の句会に参加。評判獲得
1666 4 25 寛文6 23 主君藤堂良忠(蝉吟)死去
寛文6 23 以後 、6年間の仔細不明。この頃、甥桃印の父死亡?
1667 10 寛文7 24 『続山井』に伊賀上野松尾宗房の名で 発句28句、付句3句入集
1669 寛文9 26 荻野安静編『如意宝珠』に伊賀上野宗房名で発句6句入集
  9 29 寛文9 26 伊勢津藩主藤堂高次(高虎息)、隠居。息高久が家督相続
1670 6 寛文10 27 岡村正辰編『大和順礼』に伊賀上野住宗房名で発句2句入集
1671 6 寛文11 28 吉田友次編『藪物』に伊賀宗房名で発句一句入集
1672 1 25 寛文12 29 貝おほひ』を伊賀上野菅原神社に奉納
寛文12 29 江戸に下る
  3 寛文12 29 松江重頼編『俳諧時勢粧』に伊賀上野宗房名で発句一句入集
  12 寛文12 29 高瀬梅盛編『山下水』伊賀住宗房名で発句一句入集
1673 9 21 延宝1 30 年号を延宝に改元
  8   延宝1 30 三井高利、江戸と京に越後屋呉服店開店
1674 延宝2 31 伊賀上野へ初の帰郷
3 17 延宝2 31 北村季吟から俳諧論書『埋木』授与さる。子弟関係成立か
      延宝2 31 この年、各地風水害で大凶作
1675 5 延宝3 32 江戸来遊の西山宗因歓迎百韻にて、初めて桃青の俳号使用
  延宝3 32 杉風其角嵐蘭ら入門。江戸蕉門誕生か?
  9 延宝3 32 広岡宗信編『千宜理記』に伊賀上野宗房名で発句6句入集
  延宝3 32 『五十番句合』(内藤露沾判)に発句2句入集
1676 延宝4 33 親友山口素堂と『江戸両吟集』を出版
6 20 延宝4 33 伊賀上野に二度目の帰郷。7月2日まで滞在後、桃印同道して江戸に戻る。
  7 延宝4 33 花楽軒蝶々子編『当世男<いまようおとこ>』に発句3句、付句3句入集
  12 延宝4 33 北村季吟編『続連珠』に松尾氏本住伊賀号宗房桃青として発句6句、付句4句入集
1677 延宝5 34 この頃俳諧宗匠として立机。以後4年間水道工事監督に従事
  延宝5 34 『芭蕉杉風両吟百員』
  11 10 延宝5 34 去来、父墓参の真如苑からの帰路、農夫を襲った猪を一刀のもとに殺害
  閏12 延宝5 34 内藤風虎編『六百番俳諧発句合』に松尾桃青の名で20句入集
1678 3 延宝6 35 伊藤信徳・山口素堂と三吟百韻3巻を『江戸三吟』として出版
  7 延宝6 35 二葉子編『江戸通り町』に歌仙一巻と付句5句掲載。岡村不卜編『江戸広小路』に発句17句、付句20句入集
  8 延宝6 35 池西言水編『江戸新道』に発句3句入集
1679 1 1 延宝7 36 歳旦「発句なり松尾桃青宿の春
  5 延宝7 36 池西言水編『江戸蛇之鮓』に「阿蘭陀も花に来にけり馬に鞍」など2句入集
  8 15 延宝7 36 蒼海の浪酒臭し今日の月
  12 延宝7 36 松葉軒才丸編『坂東太郎』に発句4句入集
1680 4 延宝8 37 『桃青門弟独吟二十歌仙』出版
  5 8 延宝8 37 第4代将軍、徳川家綱死去。40歳
  6 11 延宝8 37 翌々日予定の神田上水の総払い作業の町触れ書に芭蕉請負と思われる記述あり 。
  6 22 延宝8 37 神田上水総払い町触れ再発行
  7 10 延宝8 37 下里知足、江戸小田原町小澤太郎兵衛店松尾桃青に自著を送付
  8 23 延宝8 37 徳川綱吉、第5代将軍に就任
  9 延宝8 37 桃青判詞のある『俳諧合田舎其角』・『俳諧合常盤屋杉風』を刊行
延宝8 37 深川の草庵に隠棲 岡村不卜編『向之岡』に発句9句入集。各地飢饉
      延宝8 37 この年、畿内・関東で大飢饉
1681 延宝9 38 門人李下から芭蕉の株を贈られ、芭蕉庵を名乗る。
  5 15 延宝9 38 高山麋塒宛書簡一通
  6 延宝9 38 池西言水編『東日記』に発句15句入集
7 延宝9 38 其角・揚水・才丸との四吟、百韻1巻・50韻1巻『次韻』出版
  7 24 延宝9 38 大垣より江戸入府中の谷木因らと俳諧開催
7 25 延宝9 38 現存する芭蕉書簡として最古の木因宛書簡
  7 下旬 延宝9 38 其角・才丸・揚水らと四吟二百五十韻を『俳諧次韻江戸桃青』として板行。蕉風宣言
  閏8 6 延宝9 38 台風襲来。本所・深川の死者700余人、浸水家屋3,420余戸。14日も。両国橋半壊
延宝9 38 『月侘斎』『茅舎の感』『寒夜の辞』執筆。木因宛書簡
9 29 天和1 38 年号を天和に改元
1682 2 天和2 39 木因宛『鳶の評論』書簡
3 天和2 39 千春撰『武蔵曲(ブリ)』で 発句6句入集。<芭蕉>の俳号初使用
  3 天和2 39 談林の唱道者西山宗因死去。享年78歳
3 20 天和2 39 木因宛書簡。この前後、木因の機知をほめた濁子宛書簡
  5 3 天和2 39 尾張熱田の木示宛書簡執筆
5 15 天和2 39 高山伝右衛門宛書簡認める。
  8 14 天和2 39 信徳・素堂と高山麋塒主催の月見の宴に参加
  10   天和2 39 西鶴、『好色一代男』刊行
12 28 天和2 39 江戸大火で芭蕉庵消失。甲斐国谷村高山伝右衛門宅に寄留。翌年5月 頃迄
1683 3 29 天和3 40 八百屋お七、処刑さる。享年16歳
  天和3 40 夏野の画讃』成る。
  5 天和3 40 其角編『虚栗』跋文執筆。6月、出版発句13句、歌仙3巻入集
6 20 天和3 40 、死去。享年不祥。法名<梅月妙松信女>
  9   天和3 40 山口素堂、「芭蕉庵再建勧化簿」文を書き、芭蕉庵再建の募金開始
天和3 40 友人知己の喜捨により新築された芭蕉庵に移る 。
1684 1 ? 天和4 41 門人千里を浅草に訪ねる。「海苔汁の手際見せけり浅黄椀
  1 天和4 41 門人の文鱗から「出山の御像」を贈られる。「南無ほとけ草の台も涼しかれ
  2 21 貞亨1 41 年号を貞亨に改元
8 中旬 貞享1 41 『野ざらし紀行』の旅に出発。千里同行
8 20 貞享1 41 『野ざらし紀行』の旅で佐夜の中山を通過
  8 下旬 貞享1 41 伊勢の松葉屋風瀑亭に10日間逗留
  8 30 貞享1 41 伊勢神宮外宮参詣。「みそか月なし千とせの杉を抱あらし
9 8 貞享1 41 『野ざらし紀行』の旅の途次 、3度目帰郷
  9 中旬 貞亨1 41 『野ざらし紀行』の旅の途次 、同行千里の故郷大和竹内村訪問。当麻寺から吉野を散策
  9 下旬 貞亨1 41 『野ざらし紀行』の旅の途次 、美濃の谷木因らを訪問して長期滞在
  11 貞亨1 41 『野ざらし紀行』の旅の途次 、桑名・熱田・名古屋に長期滞在。『冬の日』歌仙はこの頃
  12 貞亨1 41 『野ざらし紀行』の旅の途次 、名古屋で杜国と昵懇になる。
  12 15 貞亨1 41 『野ざらし紀行』の旅の途次 、熱田で桐葉・東藤・工山らと四吟歌仙
12 25 貞享1 41 『野ざらし紀行』の途次再度帰郷。翌年2月中旬まで滞在
1685 1 28 貞亨2 42 山岸半残宛書簡
2 中旬 貞享2 42 伊賀を出て奈良興福寺の薪能、二月堂お水取り見物
2 貞享2 42 下旬より京都鳴瀧の三井秋風の別荘に半月滞在。その後、伏見を経由して大津へ
3 貞享2 42 『野ざらし紀行』旅の途中東海道水口にて土芳と再会
3 下旬 貞享2 42 桑名本統寺琢恵(タクエ)上人方に3日逗留
3 25 貞享2 42 熱田を再訪。4月8日まで滞在
  3 26 貞享2 42 熱田から木因宛書簡
3 27 貞享2 42 白鳥山法持寺で桐葉らと歌仙興業 。「何とはなしに何やら床し菫草
4 4 貞享2 42 鳴海の知足亭で九吟二十四句興業
4 5 貞亨2 42 熱田から其角宛書簡
4 9 貞享2 42 鳴海の如風亭で歌仙を興業
4 10 貞享2 42 鳴海の知足亭を出発。甲斐国経由で江戸へ向う。
4 下旬 貞享2 42 『野ざらし紀行』旅を終えて江戸帰着
5 12 貞亨2 42 千那宛書簡
  6 2 貞亨2 42 出羽の鈴木清風を迎えて小石川で百韻興行。其角・コ斎・才丸・素堂・嵐雪
7 18 貞亨2 42 千那・尚白・青鴉3人に宛てて書簡
  9 15 貞亨2 42 其角、芭蕉庵に立ち寄る。
12 貞享2 42 『自得の箴』執筆。この年、『野ざらし紀行』刊
      貞享2 42 この年、荷兮撰『冬の日』 半紙本一冊を京の井筒屋庄兵衛から板行
1686 1 貞亨3 43 芭蕉庵にて蛙の句二十番句合「蛙合」興行。「古池や蛙飛びこむ水の音
  貞亨3 43 『垣穂の梅』執筆
3 20 貞享3 43 出羽鈴木清風の江戸屋敷で其角・嵐雪・曽良 ・挙白・コ斎らと七吟歌仙
  閏3 貞享3 43 蛙合』(仙化編)刊行
閏3 10 貞亨3 43 去来宛書簡
閏3 16 貞亨3 43 知足宛書簡
8 15 貞享3 43 芭蕉庵にて月見の会。其角らと隅田川で舟遊び
  8 貞享3 43 荷兮撰『春の日』 半紙本一冊を京の寺田重徳から板行
  9 6 貞亨3 43 鈴木清風『俳諧ひとつ橋』刊行。3月20日の歌仙一巻入集
貞亨3 43 『笠の記』『四山の瓢』執筆
10 29 貞亨3 43 知足宛書簡
12 1 貞亨3 43 知足宛書簡
12 18 貞享3 43 この日、初雪。芭蕉庵に独居 「初雪や幸ひ庵にまかりある
貞亨3 43 『雪丸げ』出来
      貞亨3 43 この年、隅田川・江戸川の間を下総国から武蔵国に編成替え。江東地区は江戸に
1687 1 貞亨4 44 嵐雪の宗匠立机祝に小袖をもらう。「誰やらがかたちに似たり今朝の春
  1   貞亨4 44 幕府、「生類憐みの令」を発する。杉風の家業に影響
  1 20 貞亨4 44 知足宛書簡
  14 貞亨4 44 東藤・桐葉宛書簡
  3 25 貞亨4 44 尚白編『孤松』板行。芭蕉発句29入集
  4 8 貞亨4 44 其角の母死去
    貞亨4 44 去来京都から江戸下向。其角・嵐雪を加えて四吟歌仙
5 12 貞亨4 44 其角の母妙務尼五七日追善俳諧に列席
8 14 貞亨4 44 曽良・宗波を伴い鹿島神宮に向け江戸を発つ 。
  8 15 貞亨4 44 佛頂和尚の鹿島根本寺に宿泊。雨。旧交を温める。
8 25 貞亨4 44 『鹿島詣』成る。
  9 貞亨4 44 内藤露沾亭で芭蕉帰郷七吟歌仙。露沾・沾蓬・其角・露荷・沾荷・沾徳
10 11 貞亨4 44 『笈の小文』の旅を前に其角亭で送別句会。其角、嵐雪、文鱗、挙白ら参加
10 25 貞亨4 44 『笈の小文』の旅に出発
11 4 貞亨4 44 鳴海の知足亭に滞在。9日迄。8日林桐葉亭
  11 5 貞亨4 44 鳴海の寺島菐言亭で七吟歌仙
  11 6 貞亨4 44 同所如意寺如風亭で七吟歌仙
  11 7 貞亨4 44 同所寺島安信亭で七吟歌仙
  11 8 貞亨4 44 熱田の桐葉亭に宿泊
  11 9 貞亨4 44 鳴海の知足亭に戻って俳諧。越人・知足と三吟
11 10 貞亨4 44 越人を同道して伊良子へ出発。豊橋投宿
  11 11 貞亨4 44 天津繩手を通って伊良湖崎畑村に蟄居中の杜国訪問
  11 12 貞亨4 44 杜国・越人伊良子崎へ吟行
  11 13 貞亨4 44 杜国・越人と三吟歌仙。門人其角、『続虚栗』刊行 。発句24句入集
11 16 貞亨4 44 鳴海の知足亭に戻る。越人同宿
11 17 貞亨4 44 知足亭で七吟歌仙
  11 18 貞亨4 44 名古屋から門人荷兮・野水、来訪
  11 19 貞亨4 44 鳴海大高の長寿寺へ参詣
  11 20 貞亨4 44 鳴海門人岡島自笑亭で俳諧
11 21 貞亨4 44 熱田桐葉亭に移り、25日迄滞在。体調悪化
  11 22 貞亨4 44 来訪督促の同日付越人書簡
11 24 貞亨4 44 桐葉と熱田神宮参詣。知足宛書簡。夜、両吟歌仙有り。
11 25 貞亨4 44 名古屋山本荷兮亭に移り、12月中旬迄滞在
  11 26 貞亨4 44 岐阜の落梧・蕉笠来訪。七吟歌仙
  11 28 貞亨4 44 名古屋の昌碧亭で八吟歌仙
  12 1 貞亨4 44 熱田桐葉亭へ。近藤如行来訪して三吟半歌仙。体調不良。落梧・蕉笠宛書簡
  12 3 貞亨4 44 名古屋風月堂夕道宅で五吟歌仙
  12 4 貞亨4 44 同所美濃屋聴雪亭で六吟歌仙
  12 9 貞亨4 44 同所一井亭で七吟歌仙興行
  12 13 貞亨4 44 杉風宛書簡
12 中旬 貞亨4 44 『笈の小文』途中、杖突坂で落馬する。
12 貞亨4 44 帰郷。翌年3月19日まで滞在
1688 1 1 貞亨5 45 郷里での正月、昨夜呑み過ぎて朝寝坊
  1 9 貞亨5 45 小川風麦亭で会あり。「春たちてまだ九日の野山哉
  1 25 貞亨5 45 同日付伊賀上野に宛てた其角書簡あり。
  2 4 貞亨5 45 伊勢神宮参拝旅行に出発。17日まで
  2 10 貞亨5 45 伊勢山田の葛西嵐朝亭に宿泊
2 11 貞亨5 45 嵐朝宅から平庵宛書簡
  2 15 貞亨5 45 伊勢神宮外宮参詣。「神垣や思ひもかけずねはんぞう
  2 17 貞亨5 45 神路山を後にして、伊賀上野へ戻る。
2 18 貞亨5 45 亡父三十三回忌追善供養を伊賀上野にて催す。杉風宛書簡
2 19 貞亨5 45 三河の杜国、江戸の宗波と共に密かに伊賀上野の芭蕉を訪問*宗七宛酒無心
  2 貞亨5 45 杜国と岡本苔蘇の瓢竹庵に3月19日まで滞在
3 11 貞亨5 45 土芳の新庵を訪問、蓑虫の句を詠む。庵を蓑虫庵と命名
  3? 貞亨5 45 旧主藤堂探丸亭での花見の宴。「さまざまのこと思ひ出す櫻哉
3 19 貞亨5 45 杜国を同道して吉野行脚、高野山から3月末和歌浦に至る。
4 8 貞亨5 45 奈良で潅仏会の参拝後、唐招提寺など見物
4 11 貞亨5 45 奈良を出立 して大和八木に一泊。「草臥て宿かる比や藤の花
  4 12 貞亨5 45 誉田八幡に投宿。「里人は稲に歌詠む都かな
  4 13 貞亨5 45 大坂着。八軒屋久左衛門に6泊。「杜若語るも旅のひとつ
4 19 貞亨5 45 大坂から舟で神戸着。
4 20 貞亨5 45 須磨・明石を回って、須磨に一宿。『笈の小文』はここで終る。
  4 21 貞亨5 45 布引の滝を見物後、山崎街道へ。「有難き姿拝まんかきつばた
4 23 貞亨5 45 京都に入る。去来訪問
4 25 貞亨5 45 猿雖宛長文の書簡卓袋宛書簡
  4 貞亨5 45 再度卓袋宛書簡
5 4 貞亨5 45 京都で 吉岡求馬演ずる歌舞伎鑑賞。杜国同道
  5 5 貞亨5 45 昨夜会ったばかりの求馬死去
  5 貞亨5 45 杜国、伊賀経由で伊良湖へ戻る。これが永遠の別れとなる。
5 15 貞亨5 45 去来の妹清水千子死去
  5 貞亨5 45 美濃の己百に誘われて妙照寺へ。「宿りせん藜の杖になる日まで
  5 貞亨5 45 岐阜加島の十八楼に上る。その後、大津へ
6 5 貞亨5 45 近江の門人らと歌仙。「鼓子花の短夜眠る昼間哉
  6 6 貞亨5 45 大津を出発。中山道愛知川に一泊
  6 7 貞亨5 45 美濃赤坂に一泊。「昼顔に昼寝せうもの床の山
6 8 貞亨5 45 岐阜到着、賀島氏「十八楼」で鵜飼見物。しばらく岐阜に滞在。これを機に岐阜蕉門成立
  6 17 貞亨5 45 名古屋から来た荷兮・越人ら、大垣の落梧らと六吟表六句
  6 19 貞亨5 45 美濃・尾張の俳人総出の十五吟五十韻俳諧興行
7 3 貞亨5 45 名古屋に移り、円頓寺に滞在
7 7 貞亨5 45 鳴海の知足亭に移り、13日まで滞在。7.10、立秋
  7 8 貞亨5 45 知足弟で門人の知之亭新築祝賀歌仙。「よき家や雀よろこぶ背戸の粟
  7 10 貞亨5 45 鳴海の児玉重辰亭で七吟歌仙興行。「初秋や海も青田も一みどり
7 14 貞亨5 45 再度名古屋に移り、8月上旬まで滞在
  8 貞亨5 45 越人を同道して名古屋から岐阜へ。宿所は不明
8 11 貞亨5 45 岐阜を出発して『更科紀行』の旅に出る。越人同道。「朝顔は酒盛知らぬ盛り哉
  8 15 貞亨5 45 更科で名月鑑賞。「俤や姥ひとり泣く月の友
8 16 貞亨5 45 長野の坂城に到着
  8 貞亨5 45 下旬、越人同道して江戸へ帰着
  9 3 貞亨5 45 荷兮宛書簡
9 10 貞亨5 45 江戸の山口素堂亭での 残菊の句会に参加。かせ屋市兵衛宛書簡
9 13 貞亨5 45 芭蕉庵で十三夜月見の句会。素堂・杉風ら参加
9 30 元禄1 45 元禄に改元
12 3 元禄1 45 益光宛書簡
12 5 元禄1 45 尚白宛書簡。上方旅先の其角宛書簡
12 17 元禄1 45 江戸芭蕉庵で「深川八貧」の句会開催
1689 1 1 元禄2 46 歳旦吟「元日は田毎の日こそ恋しけれ
  1 17 元禄2 46 半左衛門宛書簡で送金不能を伝える。
  1 26 元禄2 46 江戸に出てきた大垣の俳人「とう山」の旅宿を訪問
閏1 26 元禄2 46 嵐蘭宛書簡。この頃、猿雖宛書簡
2 7 元禄2 46 大垣のとう山を交えて句会。「かげろうほの」句を立句
2 15 元禄2 46 桐葉宛書簡
  2 16 元禄2 46 郷里の猿雖・宗無宛書簡
3 元禄2 46 『奥の細道』の旅に備えて杉山杉風の別宅に転居
  3 元禄2 46 阿羅野』の序文を荷兮に送る。
  3 23 元禄2 46 岐阜蕉門安川落梧宛書簡李晨宛書簡も。
3 27 元禄2 46 『奥の細道』の旅に出発。千住から 粕壁(春日部)泊。(陽暦5月16日)
3 28 元禄2 46 『奥の細道』の旅で粕壁を出発。間々田泊。29日室の八島
  3 29 元禄2 46 『奥の細道』の旅で室の八島へ。鹿沼泊
4 1 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 鹿沼より日光に到着
  4 2 元禄2 46 『奥の細道』の旅で裏見の滝見物後、玉生泊
  4 3 元禄2 46 『奥の細道』の旅で那須黒羽の余瀬翠桃宅へ到着
  4 4 元禄2 46 『奥の細道』の旅で黒羽藩家老浄法寺図書宅へ。ここに11日まで6泊
  4 5 元禄2 46 『奥の細道』の旅で雲厳寺へ参詣
  4 9 元禄2 46 『奥の細道』の旅で修験光明寺を訪れる。
  4 11 元禄2 46 『奥の細道』の旅で余瀬の翠桃宅へ戻る。
  4 12 元禄2 46 『奥の細道』の旅で玉藻の前の古墳
  4 13 元禄2 46 『奥の細道』の旅で那須八幡神社?参詣
  4 14 元禄2 46 『奥の細道』の旅で浄法寺図書来訪して歌仙
  4 15 元禄2 46 『奥の細道』の旅で図書邸に宿泊。曾良は不調で翠桃宅
  4 16 元禄2 46 『奥の細道』の旅で黒羽を出発。高久に泊まる。雨のため17日も
  4 18 元禄2 46 『奥の細道』の旅で那須湯本着
  4 19 元禄2 46 『奥の細道』の旅で那須温泉神社
4 20 元禄2 46 『奥の細道』の旅で芦野の遊行の柳を見物。白河関へ。旗宿泊
  4 21 元禄2 46 『奥の細道』の旅で白河の古関明神参詣後矢吹泊
4 22 元禄2 46 『奥の細道』の旅で須賀川の等躬宅に着く。以後7泊。この間、何云宛書簡
  4 23 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 前日来の三吟歌仙完成。夜、可伸庵へ
  4 24 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 等躬宅は田植え。午後、可伸庵で七吟歌仙
  4 25 元禄2 46 『奥の細道』の旅で この日、等躬物忌み
  4 26 元禄2 46 『奥の細道』の旅で杉風宛に書簡執筆
  4 27 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 曾良・等躬同道して芹沢の滝見物
  4 28 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 矢内彦三郎邸訪問
  4 29 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 須賀川を発ち、石河の滝を経由して郡山泊
5 1 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 浅香山・黒塚を一見して福島へ到着
5 2 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 文字摺観音・医王寺参詣後、飯坂温泉泊。雨に持病で難渋
5 3 元禄2 46 『奥の細道』の旅で宮城県白石に到着
5 4 元禄2 46 『奥の細道』の旅で武隈の松を見物して仙台に到着。5月7日迄滞在
  5 5 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 仙台藩士橋本善右衛門邸訪問。画工嘉右衛門を知る。
  5 6 元禄2 46 『奥の細道』の途次、画工嘉右衛門の案内で亀岡八幡参詣
  5 7 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 榴ヶ岡や薬師堂など見物。夜、嘉右衛門餞持参
5 8 元禄2 46 『奥の細道』の旅で奥の細道・多賀城跡・末の松山経由塩釜に入る。
5 9 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 塩竃神社参詣後、舟で松島に到着。瑞巌寺参詣
5 10 元禄2 46 『奥の細道』の旅で石巻宿泊。日和山に上る。住吉神社参詣
5 11 元禄2 46 『奥の細道』の旅で登米宿泊
5 12 元禄2 46 『奥の細道』の旅で一ノ関泊 。強雨
5 13 元禄2 46 『奥の細道』の旅で平泉へ。高館・中尊寺・金色堂など見物して一ノ関へ戻る。
5 14 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 一関から栗駒山麓を通って、宮城県岩出山投宿
5 15 元禄2 46 『奥の細道』の旅で尿前関から堺田の 封人新右衛門宅に強雨のため2泊
5 17 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 山刀伐峠経由尾花沢鈴木清風宅へ。5月27日まで尾花沢滞在
  5 18 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 宿所を清風菩提寺である養泉寺へ移す。
  5 19 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 素英(村川伊左衛門)宅で奈良茶を楽しむ。
  5 21 元禄2 46 『奥の細道』の旅で朝、鈴木小三郎宅、夜、沼沢所左衛門宅に招待さる。清風宅に泊
  5 22 元禄2 46 『奥の細道』の旅で素英宅に招待さる。
  5 23 元禄2 46 『奥の細道』の旅で歌川仁左衛門(秋調)宅の日待ちに招待さる。清風宅に泊
  5 24 元禄2 46 『奥の細道』の旅で田中藤十郎(一橋)に饗応さる。
  5 25 元禄2 46 『奥の細道』の旅で大石田から川水来訪 。夜、秋調宅で庚申待
  5 26 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 歌川平蔵による饗応接待。夜、川水来る。
5 27 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 尾花沢を出立。山寺の立石寺参詣。(陽暦7月13日)
5 28 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 山寺出発して大石田へ。高野一榮宅着。3泊
  5 29 元禄2 46 『奥の細道』の旅で高野一榮宅で四吟歌仙
  5 30 元禄2 46 『奥の細道』の旅で前日の四吟歌仙が満尾する。
6 1 元禄2 46 『奥の細道』で 大石田発新庄へ。渋谷風流亭に2泊する。
  6 2 元禄2 46 『奥の細道』の旅で風流宅で歌仙興行
6 3 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 新庄発、最上川乗船。図司左吉の案内で羽黒山南谷別院へ。6泊
  6 4 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 羽黒山本坊で會覚阿闍梨に面会。八吟歌仙
  6 5 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 月山参詣のため潔斎。夕、羽黒権現参詣
  6 6 元禄2 46 『奥の細道』の旅で月山権現参詣。角兵衛小屋に一泊
  6 7 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 湯殿山参詣して南谷へ戻る。
6 10 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 羽黒山本坊で會覚主催送別会。午後、鶴岡藩士長山重行宅へ。3泊
6 13 元禄2 46 『奥の細道』の旅で酒田 へ。伊東玄順亭に2泊。この日頃、呂丸宛書簡
  6 14 元禄2 46 『奥の細道』の旅で寺島彦助宅七吟歌仙
6 15 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 酒田発、象潟へ。途中、強雨のため吹浦泊
  6 16 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 吹浦出発。昼過ぎ象潟
  6 17 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 久しぶりに快晴。干満珠寺・祭礼見物。象潟泊
6 18 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 象潟より酒田に戻り、不玉邸に6泊
  6 19 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 不玉邸で三吟歌仙。21日まで継続
  6 24 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 酒田の豪商近江屋玉志邸を訪問
6 25 元禄2 46 『奥の細道』の旅で酒田 を出発。大山、丸屋義左衛門方投宿
6 26 元禄2 46 『奥の細道』の旅で温海の鈴木所左衛門方投宿
6 27 元禄2 46 『奥の細道』の旅で鼠ヶ関越え北陸道へ。中村に着
6 28 元禄2 46 『奥の細道』の旅で村上の大和屋久左衛門方に2泊
  6 29 元禄2 46 『奥の細道』の旅で村上城下滞在。家老榊原帯刀から銭百疋拝領。光栄寺で一燈公墓参
7 1 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 午後村上を発ち築地村、次市郎方泊。強雨
7 2 元禄2 46 『奥の細道』の旅で新潟に着く。宿が無く大工源七母宅に宿泊
7 3 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 徒歩で弥彦に宿泊。弥彦神社参詣
7 4 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 弥彦を発ち出雲崎に一泊。強雨
7 5 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 柏崎天野弥惣兵衛宅で不快あり、鉢崎の俵屋六郎兵衛宅に宿泊
7 6 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 鉢崎から直江津聴信寺でも不快あり。古川屋市左衛門宿に一泊
  7 7 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 聴信寺から招待。夜、右雪宅で五吟歌仙。右雪宅へ一泊。
7 8 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 直江津を発って高田の池田六左衛門方に3泊
7 11 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 高田を発って能生の玉屋五郎兵衛方に宿泊
7 12 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 高田から糸魚川、午後親不知子不知の難所経由市振宿到着
7 13 元禄2 46 『奥の細道』の旅で滑 川到着。猛暑
7 14 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 宝生津・奈呉経由して高岡に到着。猛暑
7 15 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 石動・卯の花山・倶利伽羅峠を経て金沢着。7月23日まで滞在
  7 16 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 旅宿を宮竹屋喜左衛門に移す。金沢の俳人ら多数訪問
  7 17 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 北枝宅で俳諧興行。曾良不調
  7 18 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 斉藤一泉宅で十三吟歌仙
  7 19 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 北枝・一水と市内観光。曾良横臥
7 22 元禄2 46 『奥の細道』の旅で金沢一笑追善句会
7 24 元禄2 46 『奥の細道』の旅で北枝 を同道して金沢から小松へ。小松近江屋泊
  7 25 元禄2 46 『奥の細道』の旅で小松の多田神社参詣。日吉神社神主藤村伊豆宅泊。十吟歌仙あり。
  7 26 元禄2 46 『奥の細道』の旅で歓生宅で十一吟歌仙。強雨
7 27 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 多田神社に「実盛の句」奉納して山中温泉和泉屋へ。ここに8日間
  7 29 元禄2 46 『奥の細道』の旅で近藤如行宛書簡執筆
  7 30 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 山仲温泉道明が淵見物
  8 1 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 山仲温泉黒谷橋を見物
  8 2 元禄2 46 『奥の細道』の旅で 小松の塵生宛書簡
8 5 元禄2 46 『奥の細道』の旅で、曽良と別れ、小松に再度戻って2泊
8 11 元禄2 46 『奥の細道』 の旅で、北枝と別れ永平寺・福井着。等哉宅に2泊
8 14 元禄2 46 『奥の細道』 の旅で敦賀着。名月は雨模様
  8 16 元禄2 46 『奥の細道』 の旅で天屋五郎右衛門主従の案内で種の浜観光
  8 18 元禄2 46 『奥の細道』の旅で路通とともに敦賀を出発、大垣へ向う。
8 21 元禄2 46 『奥の細道』終点大垣到着か。近藤如行宅へ落着く。
  8 28 元禄2 46 美濃赤坂宝光寺奥の院参詣。「鳩の声身に入みわたる岩戸哉
9 3 元禄2 46 曾良、長島より大垣へ来る 。
  9 元禄2 46 この日頃、『紙衾の記』を書いて竹戸に与える。
  9 4 元禄2 46 大垣藩重役戸田如水宅表敬訪問
9 6 元禄2 46 伊勢神宮遷宮式奉拝のため大垣の如行宅を出発。『奥の細道』終り。曽良・路通・李下同道して揖斐川経由で伊勢 長島大智院へ
  9 7 元禄2 46 大智院に逗留。木因来る。
  9 8 元禄2 46 大智院で七吟歌仙。曾良・路通・木因他。この頃 『紙衾の記』執筆
  9 9 元禄2 46 長島を発つ。桑名経由津に到着
9 10 元禄2 46 貝増卓袋(かせ屋市兵衛)宛書簡。久居の長禅寺に一泊
9 11 元禄2 46 久居を発って伊勢山田着。堤世古に投宿。山岸十左衛門宛書簡
  9 12 元禄2 46 伊勢山田西河原又玄(島崎味右衛門)宅に宿泊。又玄妻に『明智が妻の話』を与える。
  9 13 元禄2 46 伊勢神宮内宮に参拝
  9 14 元禄2 46 伊勢神宮外宮に参拝。曾良、発病し、翌日伊勢長島大智院へ帰る。
9 15 元禄2 46 曾良を送って中之郷まで。木因宛書簡でここ一月の厚情に謝意
9 22 元禄2 46 伊勢山田より、杉風宛書簡。月末まで二見浦など見物して伊賀上野へ帰郷
  10 7 元禄2 46 曾良、長島から伊賀上野へ。芭蕉不在で路通に会う。
  10 8 元禄2 46 芭蕉、帰宅して曾良と再会。
  10 9 元禄2 46 風麦邸で会あり。
  10 10 元禄2 46 曾良、上野を発って江戸へ向かう。11月13日、江戸深川着
11 1 元禄2 46 良品亭で六吟歌仙を興業 。「いざ子供走りありかん玉霰
11 3 元禄2 46 半残亭で土芳ら伊賀門人十五吟五十韻俳諧
11 22 元禄2 46 土芳の蓑虫庵で伊賀門人九吟五十韻俳諧
11 27 元禄2 46 路通同道して奈良春日大社若宮の御祭見物
12 24 元禄2 46 京都の去来亭で夜更けて鉢叩きを聞く
  秋冬   元禄2 46 この頃、不易流行を説く。去来宛書簡
  12 年末 元禄2 46 京都から膳所義仲寺へ。ここで越年
      元禄2 46 この年、荷兮撰『阿羅野』京の筒井庄兵衛から出版
1690 1 元禄3 46 歳旦吟「薦を着て誰人います花の春
  1 2 元禄3 47 荷兮宛書簡
1 3 元禄3 47 膳所から再度伊賀上野に帰郷。3月中旬まで滞在
1 4 元禄3 47 旧主藤堂探丸より招待あるも、風邪のため6日に伺候
1 5 元禄3 47 式之・槐市宛書簡
1 17 元禄3 47 杜国(萬菊丸)宛書簡
1 19 元禄3 47 智月宛書簡
2 6 元禄3 47 西島百歳亭で九吟歌仙興業
3 2 元禄3 47 伊賀蕉門・小川風麦宅で花見の宴。<軽み>に開眼
  3 10 元禄3 47 上野から杉風宛書簡
3 11 元禄3 47 荒木村白髭神社半歌仙興業
  3 中旬 元禄3 47 伊賀上野から膳所へ。『洒楽堂の記』執筆
3 20 元禄3 47 愛弟子、三河の杜国死去。4.6、芭蕉、訃報を受取る。
4 1 元禄3 47 石山寺に参詣。源氏の間を見る 。
4 6 元禄3 47 国分山幻住庵に入庵。7月23日まで滞在。この後『幻住庵の記』執筆開始
4 8 元禄3 47 怒誰宛書簡
4 10 元禄3 47 如行宛書簡此筋・千川宛書簡怒誰宛書簡
  4 15 元禄3 47 其角編「いつを昔」刊行。発句12句など入集
  4 16 元禄3 47 洒堂宛書簡
  4 21 元禄3 47 乙州(又七)宛書簡
4 24 元禄3 47 北枝宛書簡
  4 元禄3 47 不始末を起こした路通に関わる曲水宛と思われる火中止め書簡
  元禄3 47 5月頃 か?、加賀へ下る予定の乙州に宛てて書簡
6 上旬 元禄3 47 上旬、京都に行き『猿蓑』企画、18日迄滞在
  6 19 元禄3 47 幻住庵に帰る。この頃『四條の河原涼み』、『雲竹自画像の讃』執筆
  元禄3 47 この頃から『幻住庵の記』第一稿の執筆開始か?
6 20 元禄3 47 小春宛書簡
6 25 元禄3 47 膳所珍碩邸から乙州宛書簡。夜、幻住庵に帰る。
6 26 元禄3 47 浜田珍碩宛書簡
  6 28 元禄3 47 珍碩と辛崎明神参詣。千那を訪問
6 30 元禄3 47 菅沼曲水宛書簡
  6 元禄3 47 嵐雪編「其袋」刊行。発句8句他入集
7 10 元禄3 47 水田正秀宛書簡
7 17 元禄3 47 立花牧童宛書簡 この頃、去来宛書簡
  元禄3 47 この頃までに『幻住庵の記』第4稿脱稿か?
7 23 元禄3 47 幻住庵から大津の「つれ?」に移転。智月宛書簡。その後、9月下旬まで膳所義仲寺に滞在
7 24 元禄3 47 怒誰宛書簡
  7   元禄3 47 其角編『花摘』出板。発句12句、歌仙一巻入集
8 4 元禄3 47 千那宛書簡
  8 13 元禄3 47 珍碩撰『ひさご』 を京の井筒屋庄兵衛から出版
  8 元禄3 47 大坂より之道、義仲寺に来訪
8 15 元禄3 47 膳所義仲寺で近江門人と月見の会。持病に悩む 。
  8 元禄3 47 去来同道して正秀亭で三吟歌仙を巻くも準備不足で失敗。芭蕉、去来を叱正
  8 18 元禄3 47 加生(凡兆)宛書簡
  8 元禄3 47 『幻住庵の記』の推敲について去来宛書簡
  8 元禄3 47 幻住庵の記』脱稿
  9 2 元禄3 47 茶屋与次兵衛宛書簡
9 6 元禄3 47 曲水宛書簡
  9 7 元禄3 47 伊賀へ宛先不明書簡
  9 10 元禄3 47 智月宛書簡
  9 12 元禄3 47 曲水宛書簡曾良宛に長文の書簡 。→元禄3.9.26参照
9 13 元禄3 47 凡兆宛書簡。直後、堅田に行く。この後風邪「病雁の夜寒に落ちて旅寝哉
  9 25 元禄3 47 堅田から、義仲寺に戻る。当時付け杉風書簡有り。
9 26 元禄3 47 茶屋与次兵衛宛書簡。この日曽良が芭蕉宛書簡発送
9 27 元禄3 47 怒誰宛書簡執筆?後、京都に行き、一泊二日
  9 28 元禄3 47 義仲寺に戻り、与次兵衛宛正秀宛書簡
  9 元禄3 47 伊賀上野へ出発。この頃、おとめ宛書簡
  10 10 元禄3 47 之道編『江鮭子』刊行。→元禄3.8参照
10 21 元禄3 47 伊賀より嵐蘭宛書簡
  11 元禄3 47 伊賀より京都へ
12 初旬 元禄3 47 京都から句空宛書簡
  12 23 元禄3 47 大津へ戻って、乙州の新宅から去来宛書簡
  12 元禄3 47 義仲庵で越年
1691 1 3 元禄4 48 大津から北枝宛及び句空宛書簡
  1 4 元禄4 48 歳旦吟にかえて「大津絵の筆のはじめは何仏
1 5 元禄4 48 大津から曲水宛書簡
1 元禄4 48 江戸下向の乙州餞別連句会開催。「梅若菜丸子の宿のとろろ汁
1 6? 元禄4 48 大津より伊賀上野に帰郷。3ヵ月滞在
  1 19 元禄4 48 水田正秀宛書簡智月尼宛書簡
2 13 元禄4 48 伊賀上野より嵐蘭宛書簡。この頃、奈良の薪能見物に行く
2 22 元禄4 48 伊賀上野から怒誰宛支幽/虚水珍夕宛書簡
3 4 元禄4 48 曾良、江戸から上方へ旅立つ。8月上旬江戸帰着
3 9 元禄4 48 伊賀上野から去来宛書簡。この以前に嵐蘭が伊賀の芭蕉を訪問
3 23 元禄4 48 伊賀万乎亭で花見、半歌仙 。「年々や桜を肥やす花の塵
  3 28 元禄4 48 奈良で曾良と再会か?
  3 元禄4 48 奈良から大津へ移動
4 18 元禄4 48 5月4日まで 京都西嵯峨の落柿舎へ。『嵯峨日記』執筆開始
  4 19 元禄4 48 渡月橋近くの臨川寺、小督の墓へ
4 20 元禄4 48 凡兆・羽紅夫妻落柿舎訪問。去来、下男の5人で同衾する。
  4 21 元禄4 48 朝、凡兆夫妻、夕方、去来、市中に帰りる
  4 24 元禄4 48 夕方、去来・凡兆・千那が来訪。凡兆は京市中に帰る。
  4 25 元禄4 48 千那は堅田へ帰る。史邦・丈草・乙州来る。降雹
  4 26 元禄4 48 史邦・丈草・乙州らと4人で俳諧一巻。三人戻る。
  4 28 元禄4 48 杜国の夢を見て泣く
  5 1 元禄4 48 彦根から李由来る
  5 2 元禄4 48 曾良、落柿舎を訪ねる。去来来る。
  5 3 元禄4 48 去来は市中へ帰り、曾良は残る
  5 4 元禄4 48 曾良帰る。落柿舎を出る準備。「五月雨や色紙へぎたる壁の跡
5 5 元禄4 48 落柿舎を出て、京都市中凡兆宅へ。『猿蓑』監修
  5 6 元禄4 48 曾良、凡兆宅の芭蕉を訪ねる。
5 10 元禄4 48 洛中より意専宛及び半残宛書簡
5 17 元禄4 48 京都の凡兆夫妻・曽良らと芝居見物
5 23 元禄4 48 凡兆夫妻・曽良らと再度芝居見物。正秀宛書簡
5 26 元禄4 48 京都で 去来・凡兆・曾良らと『猿蓑』編集会議。深更に及ぶ。俳文編撰集を断念
5 29 元禄4 48 曽良らと八坂神社神輿洗い神事見物
6 1 元禄4 48 去来・曽良・丈草らと一乗寺村石川丈山詩 仙堂見物
6 8 元禄4 48 持病悪化して吐瀉あり 。
6 10 元禄4 48 夜、大津の乙州亭に到着
  6 13 元禄4 48 大津から再度京の凡兆宅へ。曾良も後を追って京へ。凡兆宅滞在
  6 21 元禄4 48 史邦宅へ泊る。曾良も同道
6 25 元禄4 48 曾良と分かれて大津へ。9月28日まで新装なった膳所義仲寺無名庵に滞在
7 3 元禄4 48 京都井筒屋庄兵衛より去来・凡兆共撰『猿蓑』出版
7 12 元禄4 48 義仲寺新庵から去来宛書簡
  7 元禄4 48 京都で去来・丈草・維然・路通と五吟歌仙、史邦・正秀・野童を入れて七吟歌仙
  8 13 元禄4 48 義仲寺で智月発書簡受信
8 14 元禄4 48 大津の梵江寺で待宵の句会開催
8 15 元禄4 48 義仲寺で仲秋の観月句会開催 。「米くるる友を今宵の月の客
8 16 元禄4 48 堅田で舟遊び。成秀亭での十六夜の観月句会に参加
8 18 元禄4 48 支考らと石山寺参詣
閏8 10 元禄4 48 正秀宛書簡。この秋句空宛書簡
  閏8 18 元禄4 48 支考・珍夕らと石山寺参詣。「名月はふたつ過ぎても瀬田の月
  9 12 元禄4 48 路通発句の膳所門人十二吟歌仙
9 9 元禄4 48 乙州、義仲寺を訪問「草の戸や日暮れてくれし菊の酒」。去来宛書簡
  9 12 元禄4 48 羽紅宛書簡
  9 13 元禄4 48 之道らと石山寺参詣
  9 元禄4 48 上京。越人・野水が路通を誹謗したことで怒る。
9 23 元禄4 48 京都から義仲寺に戻る。槐市/式之宛書簡
9 28 元禄4 48 千那宛書簡。桃隣を同道して、膳所から江戸へ向け出発。大津乙州邸に一泊
  9 29 元禄4 48 乙州宅を発つ。服部潜国に会う。稲こきの姥もめでたし菊の花
  9 30 元禄4 48 彦根の李由の明照寺に一宿。「尊がる涙や染めて散る紅葉
  10 3 元禄4 48 美濃垂井の規外の本龍寺に滞在。「作りなす庭をいさむる時雨かな
  10 ? 元禄4 48 大垣に数日滞在
10 20 元禄4 48 尾張熱田に3泊。支考とここで落合 う 。
  10 元禄4 48 三河新城の太田白雪亭に滞在。「その匂ひ桃より白し水仙花
10 元禄4 48 島田宿に投宿。『島田の時雨』執筆
10 29 元禄4 48 江戸日本橋橘町の彦右衛門方借家帰着
  11   元禄4 48 雪の枯れ尾花』執筆
11 5 元禄4 48 江戸から曲水宛書簡
  11 11 元禄4 48 丿松編『西の雲』刊行。発句7句入集
11 13 元禄4 48 曲水宛書簡
11 18 元禄4 48 槐市/式之宛書簡
  11 元禄4 48 素堂亭で支考・嵐蘭らと忘年句会。「魚鳥の心は知らず年忘れ
  12 2 元禄4 48 芭蕉ではなく北村季吟、幕府から法眼に叙せられる。
1692 1 ? 元禄5 49 歳旦吟「人も見ぬ春や鏡の裏の梅
  1 16 元禄5 49 句空?宛書簡
1 23 元禄5 49 正秀宛書簡
  1 元禄5 49 尚白編『忘梅』刊行、発句5句入集
  2 6 元禄5 49 杉風の病気を見舞う。
2 7 元禄5 49 杉風宛書簡
2 8 元禄5 49 呂丸宛書簡を支考に渡す。
  2 10 元禄5 49 支考の奥羽行脚の餞別句会。「この心推せよ花に五器一具
2 18 元禄5 49 浜田珍碩宛書簡菅沼曲水宛書簡去来宛書簡
2 元禄5 49 江戸俳諧界の堕落に異を唱えて『栖去の弁』執筆。この頃、其角『雑談集』上梓
3 3 元禄5 49 桃の節句に其角・嵐雪を迎える。桃と桜の句
3 21 元禄5 49 正秀宛書簡
3 23 元禄5 49 窪田意専宛書簡
  4 9 元禄5 49 不卜の一周忌。「ほととぎす鳴く音や古き硯箱
  5 3 元禄5 49 杉風宛書簡
5 7 元禄5 49 去来宛書簡 智月宛書簡
  5 15 元禄5 49 句空編『北の山』出版。発句2句入集
5 元禄5 49 新築なった芭蕉庵に転居。『芭蕉を移す詞』
  6 元禄5 49 支考、奥羽行脚から江戸へ帰還
  7 7 元禄5 49 素堂の母の喜寿の祝。其角、嵐蘭、杉風、曾良、沾徳らと共に参加
  7 12 元禄5 49 江戸勤番中の怒誰、芭蕉庵に訪ねる。
7 14 元禄5 49 怒誰宛書簡
  7 15 元禄5 49 森川許六、東海道宇津谷峠で「十団子も小粒になりぬ秋の風」を詠む
  8 8 元禄5 49 素堂と両吟歌仙
8 9 元禄5 49 彦根藩の森川許六、桃隣の紹介で芭蕉 庵を訪ね入門
  8 15 元禄5 49 大垣藩江戸勤番の門弟らと俳筵を巻く。
  9 4 元禄5 49 大垣城下の大半を焼き尽くす大火発生
9 6 元禄5 49 浜田珍碩(洒堂)芭蕉庵に来る 。元禄6年2月まで滞在
9 7 元禄5 49 曲水宛書簡
9 8 元禄5 49 去来宛書簡
  9 元禄5 49 嵐蘭・洒堂・岱水らと芭蕉庵で歌仙。「青くてもあるべきものを唐辛子
  9 29 元禄5 49 小名木沢の桐奚亭で珍碩を入れて三つ物。「秋に添うて行かばや末は小松川
  9 元禄5 49 車庸編『己が光』刊行。発句17句入集
10 3 元禄5 49 赤坂御門外彦根藩邸に許六を訪ね、五吟歌仙 。「今日ばかり人も年寄れ初時雨
  10 13 元禄5 49 如行宛書簡
  10 25 元禄5 49 許六宛書簡
  11 13 元禄5 49 許六宛書簡
  11 27 元禄5 49 兄松尾半左衛門宛書簡
  11 29 元禄5 49 この年今日、寒の入り。「月花の愚に針立てん寒の入り
  11 元禄5 49 松倉嵐蘭の求めにより『机の銘』を執筆
12 3 元禄5 49 意専宛書簡
  12 元禄5 49 許六亭で四吟歌仙。嵐蘭と洒堂が同席
12 8 元禄5 49 許六宛書簡
  12 13 元禄5 49 許六、芭蕉不在の芭蕉庵訪問
12 15 元禄5 49 許六宛書簡
  12 20 元禄5 49 江戸俳人彫棠亭で六吟歌仙。「打ち寄りて花入探れ梅椿
  12 22 元禄5 49 大垣藩邸で歌仙。洒堂、此筋、千川、佐柳、大舟ら
12 23 元禄5 49 此筋/千川宛書簡
12 25 元禄5 49 許六宛書簡
12 28 元禄5 49 許六宛及び怒誰宛書簡。この頃、曲水宛書簡あり
  12 元禄5 49 嵐蘭・洒堂・曾良らと忘年句会。「節季候を雀の笑ふ出立かな
1693 1   元禄6 50 歳旦「年々や猿に着せたる猿の面
  1 7 元禄6 50 七種の吟「蛤に今日は売り勝つ若菜かな
  1 11 元禄6 50 麹町天神町旗本小出淡路守屋敷を訪問
1 12 元禄6 50 許六宛書簡
  1 元禄6 50 許六亭に数日間滞在。許六画に讃「春もやや気色ととのふ月と梅
1 20 元禄6 50 木因宛書簡
1 27 元禄6 50 羽紅宛書簡。この頃、曲水宛書簡
2 2 元禄6 50 呂丸、京都で客死(→3月4日)。この頃、洒堂、上京のため芭蕉庵を出る。
  2 元禄6 50 其角の下僕是橘の医者開業を祝して初午に狐の剃りし頭哉
2 8 元禄6 50 曲水宛書簡で借金1両2分申込み。桃印の結核治療で財政悪化
  3 2 元禄6 50 許六宛書簡
  3 4 元禄6 50 洒堂書簡(2月21日付)受信で呂丸の死を知る。
3 5 元禄6 50 呂丸の死につき公羽宛書簡3.73.103.12にもあり。
3 20 元禄6 50 許六宛書簡
3 元禄6 50 甥の桃印、芭蕉庵にて死亡。享年33歳
3 29 元禄6 50 許六亭に寄寓。4月3、4日まで
4 元禄6 50 芭蕉庵にて十吟歌仙
  4 元禄6 50 大垣藩邸で千川帰郷八吟歌仙。「篠の露袴に掛けし茂り哉
4 元禄6 50 許六に「柴門ノ辞」を贈る。
  4 23 元禄6 50 闇指宛書簡
4 29 元禄6 50 荊口へ書簡発送。甥桃印の死で絶望していることを報告
  4 30 元禄6 50 藤堂釆女の江戸屋敷に招かれて一泊
  5 1 元禄6 50 釆女亭からの帰路芝明神町其角宅に。許六と行き違い。
5 4 元禄6 50 許六宛書簡
5 5 元禄6 50 森川許六帰郷に際し、芭蕉に別れのを贈る。
5 6 元禄6 50 森川許六、彦根に向かって出発
  5 29 元禄6 50 素堂らと六吟歌仙。
  6 28 元禄6 50 其角、向島の三囲神社で雨乞いの句「夕立や田を見めぐりの神ならば」。翌日雨で評判
  7 7 元禄6 50 雨の七夕。杉風来訪。「高水に星も旅寝や岩の上
7 元禄6 50 桃印の死で気力萎え、「閉関の説」を書いて、8月中旬まで庵の門を閉ざす。
  7 25 元禄6 50 猿雖宛書簡
  8 元禄6 50 閉関を解く
  8 16 元禄6 50 濁子・岱水・曾良・馬莧・涼葉らと閉関後初の六吟歌仙
8 20 元禄6 50 白雪宛書簡
8 27 元禄6 50 弟子嵐蘭、鎌倉へ月見に行っての帰路急死。享年47歳
8 28 元禄6 50 嵐蘭の弟嵐竹宛書簡
8 29 元禄6 50 其角の父東順死去
9 3 元禄6 50 弟子嵐蘭の初七日の墓参。「秋風に折れて悲しき桑の杖
9 13 元禄6 50 曽良・杉風らと七吟歌仙
  9 元禄6 50 岱水亭で影待の宴。「影待や菊の香のする豆腐串
10 9 元禄6 50 素堂亭残菊の宴に列席。「菊の香や庭に切れたる履の底」。許六宛書簡
10 20 元禄6 50 深川で 野坡・孤屋・利牛と四吟歌仙。「振売の雁あはれなり恵美須講
11 8 元禄6 50 曲水宛怒誰宛荊口宛書簡
11 元禄6 50 大垣藩邸で三吟歌仙
  11 元禄6 50 荷兮編『曠野後集』刊行。発句4句入集
  11 元禄6 50 藤堂玄虎江戸亭で三吟半歌仙。「もののふの大根苦しき話哉
  12 7 元禄6 50 芭蕉庵近くに橋完成。翌日、新大橋と命名
1694 1 1 元禄7 51 歳旦吟「蓬莱に聞かばや伊勢の初便
  1 元禄7 51 松尾半左衛門宛書簡
1 20 元禄7 51 意専宛書簡
1 29 元禄7 51 曲水宛書簡怒誰宛書簡去来宛書簡
2 13 元禄7 51 梅丸宛書簡梅が香に昔の一字あはれなり
  2 15 元禄7 51 涅槃会に参列「涅槃会や皺手合する数珠の音
2 23 元禄7 51 曲水宛書簡
2 25 元禄7 51 許六宛書簡
  3 2 元禄7 51 依水らと上野に花見「四つ五器のそろはぬ花見心哉
  4 7 元禄7 51 江戸滞在中の乙州宛書簡
  4 元禄7 51 桃隣の新築祝い「寒からぬ露や牡丹の花の蜜
  4 元禄7 51 柏木儀左衛門、芭蕉庵に泊る。「木隠れて茶摘みも聞くやほととぎす
4 元禄7 51 『おくのほそ道』完成。柏木儀左衛門に清書依頼
5 2 元禄7 51 宛名不明の書簡有り
  5 元禄7 51 子珊亭の別座舗で餞別句会。「紫陽花や薮を小庭の別座舗
  5 元禄7 51 山店主催の餞別句会
5 11 元禄7 51 帰郷のため寿貞尼の子二郎兵衛を伴って江戸を出発。曾良同道
  5 12 元禄7 51 小田原で一泊
5 13 元禄7 51 曾良は箱根で別れる。三島宿到着。沼津屋九郎兵衛宅に1泊
  5 14 元禄7 51 この日付去来発書簡が江戸へ 向う。
5 15 元禄7 51 島田到着。塚本如舟宅に投宿。大井川出水して4日間足止め
5 16 元禄7 51 島田から曾良宛書簡
  5 17 元禄7 51 如舟に画讃。「駿河路や花橘も茶の匂ひ
  5 19 元禄7 51 ようやく大井川を渡る。
5 22 元禄7 51 名古屋到着。荷兮亭に3泊。6回目の名古屋
  5 23 元禄7 51 野水宅訪問。「涼しさを飛騨の工が指図かな
  5 24 元禄7 51 荷兮宅で十吟歌仙。「世を旅に代掻く小田の行きもどり
5 25 元禄7 51 名古屋出発、佐屋山田庄右衛門宅へ。露川・素覧と三吟半歌仙「水鶏啼く・・」
  5 26 元禄7 51 伊勢長島着。大智院に泊る。
  5 27 元禄7 51 久居に一泊
5 28 元禄7 51 伊賀上野に到着。閏5月16日まで滞在
  閏5 4 元禄7 51 山岸半残来る。
閏5 5 元禄7 51 氷固宛書簡
閏5 10 元禄7 51 雪芝宛書簡
閏5 11 元禄7 51 雪芝亭で歌仙興業 。「涼しさや直に野松の枝の形
閏5 16 元禄7 51 伊賀上野を発ち、山城加茂の平兵衛宅へ投宿
閏5 17 元禄7 51 大津の乙州亭に1泊 。智月、京より来た支考・丈草に会う。
閏5 18 元禄7 51 膳所に移り、曲水亭に4泊。去来宛書簡
  閏5 19 元禄7 51 同日付許六書簡受信
閏5 21 元禄7 51 杉風宛書簡曾良宛書簡猪兵衛宛書簡
閏5 22 元禄7 51 膳所から京都落柿舎に移る。夜、去来・洒堂・支考・丈草・素牛らと歌仙興行
閏5 23 元禄7 51 落柿舎から支考宛書簡
  閏5 元禄7 51 浪化上人、落柿舎に来て入門
  閏5 元禄7 51 子珊編『別座舗』刊行。發句5句・歌仙1入集
閏5 29 元禄7 51 曲水宛書簡
6 2 元禄7 51 愛人寿貞尼、江戸芭蕉庵で死去
6 3 元禄7 51 杉風宛書簡村松猪兵衛宛書簡
6 8 元禄7 51 寿貞尼死去の訃報を受信。村松猪兵衛宛書簡杉風宛書簡
6 15 元禄7 51 許六宛李由宛書簡。落柿舎から膳所に帰り、7.5迄義仲寺無名庵に滞在
6 16 元禄7 51 曲水亭で歌仙開催。「夏の夜や崩れて明し冷やし物」の句あり。
6 21 元禄7 51 大津の木節亭で支考らと 四吟歌仙。「秋近き心の寄るや四畳半
6 元禄7 51 大津の能大夫本間主馬宅で歌仙。『骸骨の絵讃』執筆
  6 23 元禄7 51 同日付桃隣発の受信書簡あり。
6 24 元禄7 51 義仲寺から杉風宛に書簡発送。上方で「かるみ」好評の由を伝える。
6 28 元禄7 51 京都井筒屋庄兵衛から野坡ら編纂『炭俵』刊行。許六宛書簡。同日付杉風発受信書簡
  7 1 元禄7 51 同日付里東発受信書簡
  7 元禄7 51 木節亭で「ひやひやと壁をふまえて昼寝哉
7 5 元禄7 51 義仲寺から京都桃花坊の去来亭に移り、10日迄滞在。
  7 6 元禄7 51 同日付素覧書簡
  7 7 元禄7 51 野童亭で「七夕や秋を定むる夜のはじめ
7 10 元禄7 51 京都から曽良宛に書簡。上方で「かるみ」好評の由を伝える。
  7 元禄7 51 伊賀上野へ帰郷。9月8日まで滞在
7 15 元禄7 51 帰郷して伊賀上野松尾家の盂盆会(玉祭
  7 22 元禄7 51 同日付木節書簡
7 28 元禄7 51 上野猿雖亭にて七吟歌仙
8 1 元禄7 51 万乎宛書簡同日付利合書簡北枝書簡あり。
8 3 元禄7 51 同日付洒堂書簡同日付車庸書簡
8 7 元禄7 51 上野望翆亭にて歌仙興業 。「里古りて柿の木持たぬ家もなし
8 9 元禄7 51 上野猿雖亭にて三吟表六句。去来に書簡
8 14 元禄7 51 智月宛書簡
8 15 元禄7 51 伊賀の門人から贈られた無名庵にて月見の会 。「名月に麓の霧や田の曇り
8 20 元禄7 51 露川・素覧宛書簡。熱田の鴎白、来る。
8 23 元禄7 51 素牛が来訪、上野猿雖亭にて四吟歌仙興業
8 24 元禄7 51 上野猿雖亭にて八吟歌仙興業
9 3 元禄7 51 門弟支考、伊賀上野を来訪。蕎麦はまだ花でもてなす山路かな
  9 4 元禄7 51 猿雖亭で七吟五十韻
  9 元禄7 51 続猿蓑』 編集完了。發句31、歌仙4など入集
9 5 元禄7 51 元説亭で「行く秋や手をひろげたる栗の毬」ではじまる最後の歌仙
9 8 元禄7 51 支考・維然 ・又右衛門・二郎兵衛を同伴して大坂に向け出発。奈良に一泊
  9 9 元禄7 51 大坂着。高津の宮の洒堂宅に宿泊。発熱悪寒つづく
9 10 元禄7 51 去来宛書簡杉風宛書簡
  9 12 元禄7 51 洒堂・之道の手打ちの会を催す。
9 13 元禄7 51 住吉神社の例大祭「宝の市」見物。升を購入。しかし途中体調悪化して帰宅
9 14 元禄7 51 畦止宅で七吟連句の会
  9 15 元禄7 51 膳所の門人臥高来る。「鹿の句」の好評を伝える。
9 17 元禄7 51 此筋/千川宛書簡
9 19 元禄7 51 其柳宅で八吟連句の会
9 21 元禄7 51 容体急変し下痢などの症状を訴える。車要亭で半歌仙。ここに泊る。
9 22 元禄7 51 前夜の半歌仙が深更に及び朝寝。『秋の朝寝』執筆
9 23 元禄7 51 郷里の兄松尾半左衛門宛書簡で無事を伝える。意専/土芳宛書簡
9 25 元禄7 51 水田正秀菅沼曲翠宛に手紙を書く 。
9 26 元禄7 51 大坂新清水の料亭浮瀬(うかむせ)で十吟歌仙
9 27 元禄7 51 園女(そのめ)亭にて九吟歌仙を巻く。
9 28 元禄7 51 畦止亭で句会
9 29 元禄7 51 芝柏亭での句会を欠席。夜になって下痢。以後、衰弱 。「秋深き隣は何をする人ぞ」
10 5 元禄7 51 芭蕉の病床、 之道宅から南御堂前花屋仁右衛門貸座敷に移し、各地に危篤通知
10 6 元禄7 51 去来、京都嵯峨で芭蕉の危篤通知受理、直 ぐ大坂へ。
10 7 元禄7 51 芭蕉危篤の報に各地の門弟馳せ参ずる 。正秀・李由・木節・丈草・乙州ら
10 8 元禄7 51 芭蕉の延命を住吉神社に祈願
10 9 元禄7 51 夜更け2時頃、看病中の呑舟に「枯野」の句を代筆させる。
10 10 元禄7 51 死期を悟り、兄松尾半左衛門宛口述筆記3通の遺書を認める 。高熱
  10 11 元禄7 51 食を断つ。門弟其角、病床に馳せ参ずる 。
10 12 元禄7 51 午後4時、 大坂南御堂前花屋仁右衛門宅で死去。夜、遺骸を川舟で伏見へ運ぶ 。去来・其角・乙州・支考・丈草・利牛・正秀・木節・呑舟・二郎兵衛同道。伊賀の臥高・昌房・探志は芭蕉の去った大坂へ
10 13 元禄7   朝、芭蕉の遺骸、伏見を発ち昼過ぎ膳所義仲寺に到着。智月・乙州妻、死衣を縫う。
10 14 元禄7   午前零時、遺骸を義仲寺境内に埋葬。導師・直愚上人。門人80人を含む300余人が会葬
  10 16 元禄7   土芳・卓袋、大坂経由で遅参
  10 18 元禄7   門人43人による百韻俳諧興行。其角、これを仕切る。
  10 22 元禄7   杉風、曾良、野坡、子珊、桃隣ら江戸で芭蕉供養句会。23日も。嵐雪一派も別に開催
  10 25 元禄7   義仲寺に無縫塔建立
  10 26 元禄7   二郎兵衛、遺言持参して衣が経由江戸へ発つ。
  11 13 元禄7   芭蕉追善のため江戸から来た嵐雪・桃隣、落柿舎で鉢叩きを聴く。其角同行
1697 閏2   元禄10   去来、其角に「晋氏其角に贈る書」を書いて行動を諌める。論争の始まり
  3 17 元禄10   桃隣、芭蕉三回忌に合わせてみちのく行脚。『安達太郎根』を上梓
1698 5   元禄11   沾圃編『続猿蓑』 半紙本2冊をゐづゝ屋庄兵衛から刊行
  6 下旬 元禄11   去来、長崎に帰郷。翌年9月まで
1702     元禄15   去来、『奥の細道』を京都の書肆井筒屋庄兵衛から出版
1704 2 24 元禄17   門弟内藤丈草死去。享年43歳
9 10 宝永1   門弟向井去来、京岡崎村で死去。享年54歳。11日、真如堂で葬儀
1705 6 15 宝永2   北村季吟死去。享年82歳
1707 2 23 宝永4   門弟宝井其角死去。享年47歳
10 13 宝永4   門弟服部嵐雪死去。享年54歳
1710 5 22 宝永7   門弟曾良対馬藩壱岐勝本にて死去という。享年62歳
1711 2 9 正徳1   門弟で武田家臣団末裔・美濃国関の人=維然死去。6?歳
1714 正徳4   この、門弟凡兆死去。享年不祥
1715 8 26 正徳5   門弟森川許六死去。享年60歳
  12 28 正徳5   佛頂禅師死去。享年75歳
1716 8 15 享保1   朋友山口素堂死去。75歳
1731 2 7 享保16   門弟の各務支考死去。67歳
1732 6 13 享保17   門弟(鯉屋)杉山杉風死去。86歳
1740 1 3 元文5   門弟野坡死去。79歳
1893 11 13 明治26   正岡子規、日本に『芭蕉雑談』連載開始。'94.1.22迄
1934 7 18 昭和9   大阪毎日新聞、奥の細道の原本<去来本>発見を報道。→<西村本>
1950 11 6 昭和25   伊東の斎藤家で奥の細道<曾良本>発見
1996 11 26 平成8   大阪の古書店主所蔵『おくの細道』が芭蕉自筆原本と判明 →<野坡本>
1999 5 26 平成11   山形で洒堂宛真蹟書簡発見

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