芭蕉db

怒誰宛書簡

(元禄3年4月8日 芭蕉47歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


御手紙忝拝見、江戸之状共御届忝奉存候*。先日木曽塚*へ御手紙、並干瓢一包被懸芳慮忝存候*。一昨是へ罷越候而*、御案内申上度と朝夕申出し心頭に不止候へども*、少し参いなや風引候而ふせりゐ申候*。仍て彼是御案内延引、背本意存候*。今少し休足仕候て、後刻御尋可貴意*。路通出申候而、珍重ともいまだ落付不申候*。隠桂*が罪は路通にゆずり、路通が罪は隠桂にかづける躰に見へ申候。いよいよおそろしく候。尚貴面*。 以上
   八日                             はせを
 高橋喜兵衛様

 膳所の高橋喜兵衛(怒誰)宛の書簡である。内容からして、芭蕉が義仲寺境内の木曽塚無名庵から国分山の幻住庵に転居した直後の手紙である。
 書簡後半部に路通が江戸から再度西上すること、その路通が起したトラブルについて述べている。