芭蕉db

奥の細道

(安積山・信夫もじ摺り 元禄2年4月29日・5月1日・2日)


 等窮が宅を出て五里計*、檜皮の宿*を離れてあさか山*有。路より近し。此あたり沼多し。かつみ*刈比もやゝ近うなれば、いづれの草を花かつみとは云ぞと、人々に尋侍れども、更知人なし。沼を尋、人にとひ、「かつみかつみ」と尋ありきて、日は山の端にかゝりぬ。二本松*より右にきれて、黒塚の岩屋*一見し、福島に宿る。
 あくれば、しのぶもぢ摺りの石*を尋て、忍ぶのさと*に行。遥山陰の小里に石半土に埋てあり*。里の童部の来りて教ける、「昔は此山の上に侍しを、往来の人の麦草をあらして、此石を試侍をにくみて、此谷につき落せば、石の面下ざまにふしたり」と云。さもあるべき事にや*

 

早苗とる手もとや昔しのぶ摺

(さなえとる てもとやむかし しのぶずり)


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表紙 年表


 4月29日。快晴。須賀川を出発。まず、南下して石川郡玉川村の石河の滝を見物。あちこち立ち寄りながら夕方、郡山に到着してここで一泊。宿はむさ苦しかったようである。
 5月1日。快晴。日の出とともに宿を出て、郡山市日和田町で馬を求め、安積山・安積沼を見ながら、二本松へ。黒塚の鬼を埋めたという杉の木立を眺めながら、日の高いうちに福島に入る。福島に一泊。ここでは、宿はきれいだった。
 5月2日、快晴。福島を出発。阿武隈川を岡部の里にて船で渡り、信夫文字摺石を見物。源融<みなもとのとおる>と土地の長者の娘虎女との悲恋伝説のある「虎が清水」などを見てから、月の輪の渡しで再度阿武隈川を渡って瀬の上に出た。ここより佐藤兄弟の旧跡へと辿るのである。

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早苗とる手もとや昔しのぶ摺

 稲の苗を扱う手許の風情も古代めいて見える陸奥の田植風景。信夫もじ摺りを扱う手さばきが忍ばれることだ。
 文人墨客に懐かしがられるもじ摺りの石が、村人にとっては迷惑千万な石っころに過ぎない。現実の厳しい生活と王朝ロマンの確執。芭蕉には分かっていたのかどうか疑問の一句。
 『真蹟懐紙』には、

早苗つかむ手もとや昔しのぶ摺

とある。また、『曾良書留』には、

早乙女に仕形望まんしのぶ摺
(さおとめに しかたのぞまん しのぶずり)

とある。これが初案であろう。

早苗とる手もとや昔しのぶ摺」の句碑 (写真提供:牛久市森田武さん)


しのぶもぢ摺りの石 (写真提供:牛久市森田武さん)


早乙女に仕形望まんしのぶ摺」福島市杉妻町福島県庁前(明治125月 斉藤利助(俳号忍山)建立)(写真提供:牛久市森田武さん)