芭蕉DB

 

曾良

「奥の細道随行日記」


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3月27日 深川から千住経由 春日部へ
3月28日 間々田(栃木県小山市)へ 
3月29日  小山経由室の八島経由金売吉次の墓経由文挟(栃木県鹿沼市)へ
4月1日 日光山参拝後上鉢石町五左衛門宿へ
4月2日 日光裏見の滝から玉入へ
4月3日 大田原経由して黒羽着 、13泊
4月16日 余瀬から高久角左衛門邸へ 、雨のため2泊
4月18日 高久から那須湯本へ
4月20日 那須湯本から白河の関へ
4月21日 白河の関から矢吹へ
4月22日 須賀川着 、8泊
4月29日 須賀川から郡山へ
5月1日 郡山から福島へ
5月2日 福島から飯坂温泉へ
5月3日 飯坂から白石へ
5月4日 仙台着 、4泊
5月8日 仙台から鹽竈へ
5月9日 鹽竈神社参詣後松島へ
5月10日 松島から石巻へ
5月11日 石巻から戸伊摩へ
5月12日 一ノ関へ
5月13日 平泉へ
5月14日 岩出山へ
5月15日 尿前の関経由堺田着、雨で2泊
5月17日 山刀伐峠経由尾花沢着、10泊
5月27日 山寺立石寺着
5月28日 大石田へ、3泊
6月1日 新庄へ、2泊
6月3日 羽黒山着、7泊
6月10日 鶴岡へ
6月13日 酒田へ
6月15日 吹浦泊
6月16日 象潟着
6月18日 酒田へ戻る、7泊
6月25日  北陸道 大山へ
6月26日 温海へ
6月27日 中村へ
6月28日 村上へ、2泊
7月1日 築地村へ
7月2日 新潟へ
7月3日 弥彦へ
7月4日 出雲崎へ
7月5日 鉢崎へ
7月6日 今町へ、2泊
7月8日 高田へ、3泊
7月11日 能生へ
7月12日 市振へ
7月13日 滑川へ
7月14日 高岡へ
7月15日 金沢着、9泊
7月24日 小松へ、3泊
7月27日 山中温泉着、8泊
8月5日 別れ 全昌寺へ投宿、2泊
8月7日 森岡へ
8月8日 今庄へ
8月9日 種の浜へ渡る。本隆寺へ投宿
8月10日 敦賀へ
8月11日 木ノ本へ
8月12日 鳥本へ
8月13日 関ケ原へ
8月14日 大垣へ
8月15日 長島の大智院に到着
9月3日 再び大垣へ
9月6日 大垣を出船 、伊勢へ


おくの細道」序

巳三月廿日、同出、深川出船。巳ノ下尅、千住ニ揚ル*

一 廿七日夜カスカベニ泊ル。 江戸ヨリ九里余。

一 廿八日、マゝダニ泊ル。カスカベヨリ九里。前夜ヨリ雨降ル。辰上尅止ニ依テ宿出。間モナク降ル。午ノ下尅止。此日栗橋ノ関所通ル。 手形モ断モ不入 。
 
一 廿九日、辰ノ上尅マゝダヲ出。
 一 小山ヘ一リ半、小山ノヤシキ、右ノ方ニ有。
 一 小田(山)ヨリ飯塚ヘ一リ半。木沢ト云所ヨリ左ヘ切ル。
 一 此間姿川越ル。飯塚ヨリ壬生ヘ一リ半。飯塚ノ宿ハヅレヨリ左ヘキレ、(小クラ川)川原ヲ通リ、川ヲ越、ソウシヤガシト云船ツキノ上ヘカゝリ、室ノ八島ヘ行(乾ノ方五町バカリ)。スグニ壬生ヘ出ル(毛武ト云村アリ)。此間三リトイヘドモ、弐里余。
 一 壬生ヨリ楡木へ二リ。ミブヨリ半道バカリ行テ、吉次ガ塚、右ノ方廿間バカリ畠中ニ有。
 一 にれ木ヨリ鹿沼ヘ一り半。 
 一 昼過ヨリ曇。同晩、鹿沼(ヨリ火(文)バサミヘ弐リ八丁)ニ泊ル。(火バサミヨリ板橋ヘ廿八丁、板橋ヨリ今市ヘ弐リ、今市ヨリ鉢石へ弐リ。 )
 
一 四月朔日 前夜ヨリ小雨降。辰上尅、宿ヲ出。止テハ折々小雨ス。終日曇、午ノ尅、日光ヘ着。雨止。清水寺ノ書、養源院ヘ届。大樂院ヘ使僧ヲ 被添。折節大樂院客有之、未ノ下尅迄待テ御宮拝見。終テ其夜日光上鉢石町五左衛門ト云者ノ方ニ宿。壱五弐四 。
 
一 同二日 天気快晴。辰ノ中尅、宿ヲ出 。ウラ見ノ滝(一リ程西北)・ガンマンガ淵見巡、漸ク及午。鉢石ヲ立、奈(那)須・太田原ヘ趣。常ニハ今市ヘ戻リテ大渡リト云所ヘカゝルト云ドモ、五左衛門、案内ヲ教ヘ、日光ヨリ廿丁程下リ、左ヘノ方ヘ切レ、川ヲ越、せノ尾・川室ト云村へカゝリ、大渡リト云馬次ニ至ル。三リニ少シ遠シ。
  ○今市ヨリ大渡ヘ弐リ余。
  ○大渡ヨリ船入ヘ壱リ半ト云ドモ壱里程有。絹川ヲカリ橋有。大形ハ船渡し。
  ○船入ヨリ玉入ヘ弐リ。未ノ上尅ヨリ雷雨甚強、漸ク玉入ヘ着。
 一 同晩 玉入泊。宿悪故、無理ニ名主ノ家入テ宿カル 。

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一 同三日 快晴 。辰上尅、玉入ヲ立。鷹内ヘ二リ八丁。鷹内ヨリヤイタヘ壱リニ近シ。ヤイタヨリ沢村ヘ壱リ。沢村ヨリ太田原ヘ二リ八丁。太田原ヨリ黒羽根ヘ三リト云ドモ二リ余也。翠桃宅、ヨゼト云所也トテ、弐十丁程アトヘモドル也。
 
一 四日 浄法寺図書ヘ被
 
一 五日 雲岩寺見物。朝曇。両日共ニ天気吉。
 
一 六日ヨリ九日迄、雨不止。九日光明寺ヘ被。昼ヨリ夜五ツ過迄ニシテ帰ル。
 
一 十日 雨止。日久シテ照。
 
一 十一日 小雨降ル。余瀬翠桃ヘ帰ル。晩方強雨ス。
 
一 十二日 雨止。図書被見廻、篠原被誘引
 
一 十三日 天気吉。津久井氏 被見廻而*、八幡ヘ参詣被誘引。
 
一 十四日 雨降リ、図書被見廻終日。重之内持参*
 
一 十五日 雨止。昼過、翁と鹿助右同道ニテ図書ヘ 被*。是ハ昨日約束之故也。予ハ少々持病気故不参 。

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一 十六日 天気能。翁、館ヨリ余瀬ヘ被立越。則、同道ニテ余瀬ヲ立。及昼、図書・弾蔵ヨリ馬人ニテ 被送ル。馬ハ野間ト云所ヨリ戻ス。此間弐里余。高久ニ至ル。 雨降リ出ニ依、滞ル。此間壱里半余。宿角左衛門、図書ヨリ状被添。
 
一 十七日 角左衛門方ニ猶宿。雨降。野間は太田原ヨリ三里之鍋かけヨリ五、六丁西。
 
一 十八日 卯尅、地震ス。辰ノ上尅、雨止。午ノ尅、高久角左衛門宿ヲ立。 暫有テ快晴ス。馬壱疋、松子村迄送ル。此間壱リ。松子ヨリ湯元へ三リ。未ノ下尅、湯元五左衛門方ヘ着。
 
一 十九日 快晴 。予、鉢ニ出ル。朝飯後、図書家来角左衛門ヲ黒羽へ戻ス。午ノ上尅、湯泉ヘ参詣。神主越中出合、宝物ヲ拝。与一扇ノ的躬(射)残ノカブラ壱本・征矢十本・蟇目ノカブラ壱本・檜扇子壱本、金ノ絵也。正一位ノ宣旨・縁起等拝ム。夫ヨリ殺生石ヲ見ル。 宿五左衛門案内。以上湯数六ヶ所。上ハ出ル事不定、次ハ冷、ソノ次ハ温冷兼、御橋ノ下也。ソノ次ハ不出。ソノ次温湯アツシ。ソノ次、温也ノ由、所ノ云也。
  温泉大明神ノ相殿ニ八幡宮ヲ移シ奉テ、雨(両 )神一方ニ拝レセ玉フヲ、
   湯をむすぶ誓も同じ石清水   翁
  殺生石
   石の香や夏草赤く露あつし
  正一位ノ神位被加ノ事、貞亨四年黒羽ノ館主信濃守増栄被寄進之由。祭礼九月二十九日。
 
一 廿日 朝霧降ル。辰中尅、晴。下尅、湯本ヲ立。ウルシ塚迄三 リ余。 半途ニ小や村有。ウルシ塚ヨリ芦野ヘ二リ余。湯本ヨリ総テ山道ニテ能不知シテ難通。
  一 芦野ヨリ白坂ヘ三リ八丁。芦野町ハヅレ、木戸ノ外、茶ヤ松本市兵衛前ヨリ左ノ方ヘ切レ (十町程過テ左ノ方ニ鏡山有)、八幡ノ大門通リ之内、左ノ方ニ遊行柳有。其西ノ四五丁之内ニ愛岩(宕)有。其社ノ東ノ方、畑岸ニ玄仍ノ松トテ有。玄仍ノ庵跡ナルノ由。其辺ニ三ツ葉芦沼有。見渡ス内也。八幡ハ所之ウブスナ也 (市兵衛案内也。スグニ奥州ノ方、町ハヅレ橋ノキハヘ出ル。)
  一 芦野ヨリ一里半余過テ、ヨリ居村有。是ヨリハタ村ヘ行バ、町ハヅレヨリ右ヘ切ル也。
  一 関明神、関東ノ方ニ一社、奥州ノ方ニ一社、間廿間計有。両方ノ門前ニ茶や有。 小坂也。これヨリ白坂ヘ十町程有。古関を尋て白坂ノ町ノ入口ヨリ右ヘ切レテ旗宿ヘ行。廿日之晩泊ル。暮前ヨリ小雨降ル(旗ノ宿ノハヅレニ庄司モドシト云テ、畑ノ中桜木有。判官ヲ送リテ、是ヨリモドリシ酒盛ノ跡也。土中古土器有。寄妙ニ拝。)
 
一 廿一日 霧雨降ル、辰上尅止。宿ヲ出ル。町ヨリ西ノ方ニ住吉・玉 嶋ヲ一所ニ祝奉宮有。古ノ関ノ明神故ニ二所ノ関ノ名有ノ由、宿ノ主申ニ依テ参詣。ソレヨリ戻リテ関山ヘ参詣。行基菩薩ノ開基。聖武天皇ノ御願寺、正観音ノ由 。成就山満願寺ト云。旗ノ宿ヨリ峯迄一里半、麓ヨリ峯迄十八丁。山門有。本堂有。奥ニ弘法大師・行基菩薩堂有。山門ト本堂ノ間、別当ノ寺有。 真言宗也。本堂参詣ノ比、少雨降ル。暫時止。コレヨリ白河ヘ壱里半余。中町左五左衛門ヲ尋。大野半治ヘ案内シテ通ル。黒羽ヘ之小袖・羽織・状、左五左衛門方ニ預置。 置。矢吹ヘ申ノ上尅ニ着、宿カル。白河ヨリ四里。 今日昼過ヨリ快晴。宿次道程ノ帳有リ。
  ○白河ノ古関ノ跡、旗ノ宿ノ下里程下野ノ方、追分ト云所ニ関ノ明神有由。相楽乍憚ノ伝也。是ヨリ丸ノ分同ジ。  
  ○忘ず山ハ今ハ新地山ト云。但馬村ト云所ヨリ半道程東ノ方ヘ行。阿武隈河ノハタ。
  ○二方ノ山、今ハ二子塚村ト云。右ノ所ヨリアブクマ河ヲ渡リテ行。二所共ニ関山ヨリ白河ノ方、昔道也。二方ノ山、古 哥有由。
    みちのくの阿武隈川のわたり江に人(妹トモ)忘れずの山は有けり
  ○うたゝねの森、白河ノ近所、鹿島の社ノ近所。今ハ木一、二本有。
    かしま成うたゝねの森橋たえていなをふせどりも通はざりけり(八雲ニ有由)
  ○宗祇もどし橋、白河ノ町(石山より入口)より右、かしまへ行道、ゑた町有。其きわに成程かすか成橋也。むかし、結城殿数代、白河を知玉フ時、一家衆寄合、かしま ニて連歌有時、難句有レ之。いづれも三日付ル事不成。宗祇、旅行ノ宿ニテ被聞之て、其所ヘ被趣時、四十計ノ女出向、宗祇に「いか成事にて、いづ方へ」と問。右ノ由尓々*
    女「それハ先に付侍りし」と答てうせぬ。
    月日の下に独りこそすめ
    付句
    かきおくる文のをくには名をとめて
と申ければ、宗祇かんじられてもどられけりと云伝 。

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一 廿二日 須か川、乍単斎宿、俳有。
 
  廿三日 同所滞留。晩方へ可伸ニ遊、帰ニ寺々八幡ヲ拝。
 
一 廿四日 主ノ田植。昼過ヨリ可伸庵ニ 而会有。会席、そば切、祐碩賞之。雷雨、暮方止。
 
一 廿五日 主物忌、別火。
 
  廿六日 小雨ス。
 
一 廿七日 曇。三つ物ども。芹沢ノ滝ヘ行。
 
一 廿八日 発足ノ筈定ル。矢内彦三郎来 而延引ス。昼過ヨリ彼宅ヘ行而及暮。十念寺・諏訪明神 ヘ参詣。朝之内、曇。
 
一 廿九日 快晴。巳中尅、発足。石河滝見ニ行(此間、さゝ川ト云宿ヨリあさか郡)。須か川ヨリ辰巳ノ方壱里半計有。滝ヨリ十余丁下ヲ渡リ、上ヘ登ル。 歩ニテ行バ滝ノ上渡レバ余程近由。阿武隈川也。川ハゞ百二、三十間も有之。滝ハ筋かヘニ百五六十間も可有。高サ二丈、壱丈五六尺、所ニ より壱丈計ノ所も有之。それより川ヲ左ニナシ、壱里計下リテ 、向小作田村と云馬次有。ソレより弐里下リ、守山宿と云馬次有。御代官諸星庄兵へ殿支配也。問屋善兵へ方(手代湯原半太夫)へ幽碩ヨリ状 被添故、殊之外取持 。又、本実坊・善法寺へ矢内弥市右衛門状遣ス。則、善兵へ、矢内ニテ、先大元明王へ参詣。裏門より本実坊へ寄、善法寺へ案内シテ本実坊同道ニテ行。 村(雪村 )哥仙絵・讃宗鑑之由、見物。内、人丸・定家・業平・素性・躬恒、五ふく、智證大し并金岡がカケル不動拝ス。探幽ガ大元明王ヲ拝ム。守山迄ハ乍単ヨリ馬ニテ 被送。昼飯調テ被添。守山 より善兵へ馬ニテ郡山(二本松領)迄送ル。カナヤト云村へかゝり、アブクマ川ヲ舟ニテ越、本通日出山ヘ出ル。守山ヨリ郡山ヘ弐里余。日ノ入前、郡山ニ到テ宿ス。宿ムサカリシ。
 
一  五月朔日 天気快晴。日出ノ比、宿ヲ出。壱里半来テヒハダノ宿、馬次也。町はづれ五六丁程過テ、あさか山有。壱リ塚ノキハ也。右ノ方ニ有小山也。アサカノ沼、左ノ方谷也。皆田ニ成、沼モ少残ル。惣 而ソノ辺山ヨリ水出ル故、いずれの谷にも田有。 いにしへ皆沼ナラント思也。山ノ井ハコレより(道より左)西ノ方(大山ノ根)三リ程間有テ、帷子ト云村(高倉ト云宿ヨリ安達郡之内)ニ山ノ井清水ト云有。古ノにや、ふしん也。二本松の町、奥方ノはづれニ亀ガヒト云町有。ソレ より右之方ヘ切レ、右ハ田、左ハ山ギワヲ通リテ壱リ程行テ、供中ノ渡ト云テ、アブクマヲ越舟渡し有リ。ソノ向ニ黒塚有。小キ塚ニ杉植テ有。又、近所ニ観音堂有。大岩石タゝミ上ゲタル所後ニ有。古ノ黒塚ハこれならん。右の杉植し所は鬼ヲウヅメシ所成らん、ト別当申ス。天台宗也。それ より又、右ノ渡ヲ跡ヘ越、舟着ノ岸より細道ヲつたひ、村之内へかゝり、福岡村ト云所より二本松ノ方ヘ本道ヘ出ル。二本松より八町ノめヘハ二リ余。黒塚へかゝりテハ三里余有べし。八町ノめ よりシノブ郡ニテ福嶋領也。福嶋町より五六丁前、郷ノ目村ニテ神尾氏ヲ尋。三月廿九日、江戸ヘ被参由ニテ、御内・御袋ヘ逢。すぐニ福 嶋ヘ到テ宿ス。日未少シ残ル。 宿キレイ也。
 
一 二日 快晴。福 嶋ヲ出ル。町ハヅレ十町程過テ、イガラベ(五十辺)村ハヅレニ川有。川ヲ不越、右ノ方ヘ七八丁行テ、アブクマ川ヲ舟ニテ越ス。岡部ノ渡リト云。ソレヨリ十七八丁、山ノ方ヘ行テ、谷アヒニモジズリ(文字摺)石アリ。柵フリテ有。草ノ観音堂有。杉檜六七本有。虎が清水ト云小ク浅キ水有。福 嶋ヨリ東ノ方也。其辺ヲ山口村ト云。ソレヨリ瀬ノウヱヘ出ルニハ、月ノ輪ノ渡リト云テ、岡部渡ヨリ下也。ソレヲ渡レバ十四五丁ニテ瀬ノウヱ也。山口村ヨリ瀬ノ上ヘ弐里程也。
 一 瀬ノ上ヨリ佐場野ヘ行。佐藤庄司ノ寺有。寺ノ門ヘ不入。西ノ方ヘ行。堂有。堂ノ後ノ方ニ庄司夫婦ノ石塔有。 堂ノ北ノワキニ兄弟ノ石塔有。ソノワキニ兄弟ノハタザホヲサシタレバ、はた出シト云竹有。毎年、弐本ヅゝ同ジ様ニ生ズ。寺ニハ判官殿笈・弁慶書シ経ナド有由。系図モ有由。福島ヨリ弐里。こほり(桑折)よりモ弐里。瀬ノウヱヨリ壱リ半也。川ヲ越、十町程東ニ飯坂ト云所有。湯有。 村ノ上ニ庄司館跡有。下リニハ福嶋ヨリ佐波野・飯坂・桑折ト可行。上リニハ桑折・飯坂・佐場野・福 嶋ト出タル由。昼より曇、夕方より雨降、夜ニ入、強。飯坂ニ宿、湯ニ入
 
一 三日 雨降ル。巳ノ上尅止。飯坂ヲ立。桑折(ダテ郡之内)ヘ二リ。 折々小雨降ル。
 一 桑折トかいた(貝田)の間ニ伊達ノ大木戸 (国見峠ト云山有)ノ場所有。コスゴウ(越河)トかいたトノ間ニ 福嶋領(今ハ桑折ヨリ北ハ御代官所也)ト仙台領(是ヨリ刈田郡之内)トノ堺有。左ノ方、石ヲ重而有。大仏石ト云由。さい川ヨリ十町程前ニ、万ギ沼・万ギ山有。ソノ下ノ道、アブミコ ブ(ワ)シト云岩有。二町程下リテ右ノ方ニ次(継)信・忠信ガ妻ノ御影堂有。同晩、白石ニ宿ス。一二三五*

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一 四日 雨少止。辰ノ尅、白石ヲ立。折々日ノ光見ル。 岩沼入口ノ左ノ方ニ竹駒明神ト云有。ソノ別当ノ寺ノ後ニ武隈ノ松有。竹がきヲシテ有。ソノ辺、侍やしき也。古市源七殿住所也。
  ○笠島(名取郡之内)、岩沼・増田之間、左ノ方一里計有、三ノ輪・笠島と村並テ有由、行過テ不見 。
  ○名取川、中田出口ニ有。大橋・小橋二ツ有。左ヨリ右ヘ流也。
  ○若林川、長町ノ出口也。此川一ツ隔テ仙台町入口也。夕方仙台ニ着。其夜、宿国分町大崎庄左衛門 。
 
一 五日 橋本善衛門殿ヘ之状、翁持参。山口与次衛門丈ニ 而宿ヘ断有。須か川吾妻五良七より之状、私持参、大町弐丁目、泉屋彦兵へ内、甚兵衛方へ届 。甚兵衛留主。其後、此方ヘ見廻、逢也。三千風尋ルニ不知。其後、北野や加衛門(国分町ヨリ立町ヘ入、左ノ角ノ家の内)ニ逢、委知ル。
 
一 六日 天気能 。亀が岡八幡ヘ詣。城ノ追手より入。俄ニ雨降ル。茶室ヘ入、止テ帰ル。
 
一 七日 快晴 。加衛門(北野加之)同道ニ 而権現宮を拝。玉田・横野を見、つゝじが岡ノ天神へ詣、木の下へ行。薬師堂、古へ国分尼寺之跡也。帰リ曇。夜ニ入、加衛門・甚兵へ入来 。冊(短)尺并横物一幅づゝ翁書給。ほし飯一袋、わらぢ二足、加衛門持参。翌朝、のり壱包持参。夜ニ降。
 
一 八日 朝之内小雨ス。巳ノ尅 より晴ル。仙台ヲ立 。十符菅・壷碑ヲ見ル。未ノ尅、塩竈ニ着、湯漬など喰。末ノ松山・興井・野田玉川・おも ハくの橋・浮嶋等ヲ見廻リ帰 。出初ニ塩竃ノかまを見ル。宿、治兵へ。法蓮寺門前、加衛門状添。銭湯有ニ入。
 
一 九日 快晴。辰ノ尅、塩竈明神ヲ拝。帰 而出船 。千賀ノ浦・籬嶋・都嶋等所々見テ、午ノ尅松島ニ着船。茶ナド呑テ瑞岩寺詣、不残見物 。開山、法身和尚(真壁兵四良)。中興、雲居。法身ノ最明寺殿被宿岩屈(窟)有。無相禅屈(窟)ト額有。ソレヨリ雄 嶋(所ニハ御嶋ト書)所々ヲ見ル(とみ山モ見ユル) 。御嶋、雲居ノ坐禅堂有。ソノ南ニ寧一山ノ碑之文有。北ニ庵有。道心者住ス。帰而後、八幡社・五太堂ヲ見。慈覚ノ作。松島ニ宿ス。久之助ト云。加衛門状添。
 
一 十日 快晴。松島立(馬次ニ 而ナシ。間廿丁計)。馬次、高城村、小野(是より桃生郡。弐里半)、石巻(四里余)、仙台より十三里余。小野ト石ノ巻(牡鹿郡)ノ間、矢本新田ト云町ニ 而咽乾、家毎ニ湯乞共不与。刀さしたる道行人、年五十七、八、此躰を憐テ、知人ノ方へ壱町程立帰、同道シテ湯を可与由ヲ頼。又、石ノ巻ニテ新田町四兵へと尋、宿可借之由云テ去ル。名ヲ問、 ねこ村(小野ノ近ク)、コンノ源太左衛門殿。如教、四兵へ尋テ宿ス。着ノ後、小雨ス。 頓而止ム。日和山と云ヘ上ル。石ノ巻中不残見ゆル。奥ノ海(今ワタノハト云う)・遠 嶋・尾駮ノ牧山眼前也。真野萱原も少見ゆル。帰ニ住吉ノ社参詣。袖ノ渡リ、鳥居ノ前也。
 
一 十一日 天気能。石ノ巻ヲ立。宿四兵へ、今一人、気仙へ行トテ矢内津迄同道。後、町ハヅレニテ離ル。石ノ巻二リ 、鹿ノ股。飯野川(一リ余渡有。三リニ遠し。 此間、山ノアイ、長キ沼有)。矢内津(一リ半、此間ニ渡し二ツ有)。曇。戸いま(伊達大蔵・検断庄左衛門)、儀左衛門宿不借*、仍検断告テ宿ス。
 
一 十二日 曇。戸今を立。三リ、雨降出ル。上沼新田町(長根町トモ)三リ、 安久津(松嶋より此処迄両人共ニ歩行。雨強降ル。馬ニ乗)。一リ、加沢。三リ、一ノ関(皆山坂也)。黄昏ニ着。合羽モトヲル也。宿ス。
 
一 十三日 天気明。巳ノ尅ヨリ平泉へ趣。一リ、山ノ目。壱リ半、平泉 (伊沢八幡壱リ余リ奥也)ヘ以上弐里半ト云ドモ弐リニ近シ。高館・衣川・衣ノ関・中尊寺・ 光堂(金色寺、別当案内)・泉城・さくら川・さくら山・秀平(衡)やしき等ヲ見ル。泉城ヨリ西霧山見ゆルト云ドモ見へズ。タツコクガ岩 ヤへ不行。三十町有由。月山・白山ヲ見ル。経堂ハ別当留守ニテ不開。金 雞山見ル*。シミン(新御)堂、无量劫院跡見。申ノ上尅帰ル。主、水風呂敷ヲシテ待 。宿ス。

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一 十四日 天気吉。一ノ関(岩井郡之内)ヲ立。 四リ、岩崎(栗原郡也。一ノハザマ)、藻庭大隈。三リ、真坂(栗原郡也。三ノハザマ、此間ニ二ノハザマ有)。岩崎より金成へ行中程ニつくも橋有。岩崎 より壱リ半程、金成よりハ半道程也。岩崎より行ば道より右ノ方也。
[ 真坂 ] 四リ半、岩手山(伊達将監)。やしきモ町モ平地。上ノ山は正宗ノ初ノ居城也。杉茂リ、東ノ方、大川也。玉造川ト云。岩山也。入口半道程前 より右ヘ切レ、一ツ栗ト云村ニ至ル。小黒埼可見トノ 義也。二リ余、遠キ所也故、川ニ添廻テ、及暮岩手山ニ宿ス。真坂ニテ雷雨ス。乃晴、頓 而又曇テ折々小雨スル也。
 中新田町 小野田(仙台ヨリ最上へノ道ニ出合) 原ノ町 門沢(関所有) 渫沢  軽井沢 上ノ畑 野辺沢 尾羽根沢 大石田船乗 岩手山ヨリ門沢迄、すぐ道も有也。
 
一 十五日 小雨ス。右ノ道遠ク、難所有之由故、道ヲ かヘテ、二リ、宮○壱リ半、かぢハ沢。此辺ハ真坂より小蔵ト云かヽりテ、此宿へ出タル、各(格)別近シ。
 ○此間、小黒埼・水ノ小島有。名生貞ト云村ヲ黒崎ト、所ノ者云也。其ノ南ノ山ヲ黒崎山ト云。名生貞ノ前、川中ニ岩 嶋ニ松三本、其外小木生テ有。水ノ小嶋也。今ハ川原、向付タル也。古ヘハ川中也。宮・一ツ栗ノ間、古ヘハ入江シテ、玉造江成ト云。今、田畑成也。
壱リ半尿前。シトマヘ ゝ取付左ノ方、川向ニ鳴子ノ湯有。沢子ノ御湯成ト云。仙台ノ説也。関所有。断六ケ敷也。出手形ノ用意可之也。壱リ半 、中山。
 ○堺田(村山郡小田嶋庄小国之内)。出羽新庄領也。中山 より入口五六丁先ニ堺杭有。
 
○十六日 堺田ニ滞留。大雨、宿(和泉庄や、新右衛門兄也) 。

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十七日 快晴。堺田ヲ立。一リ半、笹森関所有。新庄領。関守ハ百姓ニ貢ヲ肴シ置也。サヽ森 、三リ、市野ゝ。小国ト云へカゝレバ廻リ成故、一バネト云山路ヘカヽリ、此所ニ出。堺田ヨリ案内者ニ荷持セ越也。市野 ゝ五六丁行テ関有。最上御代官所也。百姓番也。関ナニトヤラ云村也。正厳・尾花沢ノ間、村有。是、野辺沢ヘ分ル也。正ゴンノ前ニ大夕立ニ逢。昼過、清風へ着、一宿ス。
 
○十八日 昼、寺ニテ風呂有。小雨ス。ソレヨリ養泉寺移リ居。
 
○十九日 朝晴ル。素英、ナラ茶賞ス。夕方小雨ス。
 
廿日 小雨。
 
廿一日 朝、小三良へ 被招。同晩、沼沢所左衛門へ被招。此ノ夜、清風ニ宿。
 
廿二日 晩、素英へ 被招。
 
廿三日ノ夜、秋調へ 被招。日待也。ソノ夜清風ニ宿ス。
 
廿四日之晩、一橋、寺ニテ持賞ス。十七日 より終日晴明ノ日ナシ。
 ○秋調 仁左衛門。○素英 村川伊左衛門。 ○一中 町岡素雲。
 ○一橋 田中藤十良。遊川 沼沢所左衛門。東陽 歌川平蔵。
 ○大石田、一栄 高野平右衛門。○同、川水 高桑加助。○上京、鈴木宋専、俳名似林、息小三良。新庄、渋谷甚兵へ風流。
 
○廿五日 折々小雨ス。大石田 より川水入来、連衆故障有テ俳ナシ。夜ニ入、秋調ニテ庚申待ニテ被招。
 
廿六日 昼ヨリ於遊川 ニ東陽持賞ス。此日も小雨ス。
 
廿七日 天気能。辰ノ中尅、尾花沢ヲ立テ 、立石寺へ趣。清風より馬ニテ館岡迄 被送ル。尾花沢。二リ、元飯田。一リ、館岡。一リ、六田 (山形へ三リ半、馬次間ニ内蔵ニ逢)。二リよ、天童。一リ半ニ近シ、山寺(宿預リ坊。其日、山上・山下巡礼終ル )。未ノ下尅ニ着。是ヨリ山形ヘ三リ。
山形へ趣カンシテ止ム。是より仙台へ趣路有。関東道、九十里余。
 
一 廿八日 馬借テ天道ニ趣。六田ニテ、又内蔵ニ逢。立寄ば持賞ス。 未ノ中尅、大石田一英(栄)ニ着。両日共ニ危シテ雨不降*。上飯田 より壱リ半。川水出合。其夜、労ニ依テ無俳。休ス。
 
一 廿九日 夜ニ入小雨ス。発一巡終テ、翁 、両人誘テ黒滝へ被参詣。予所労故、止。未尅被帰。道々俳有。夕飯、川水ニ持賞。夜ニ入、帰。
 
○一 晦日  朝曇、辰刻晴。歌仙終。翁其辺へ被遊、帰、物ども被書。
 
六月朔 大石田を立。辰刻、一栄・川水、弥陀堂迄送ル。馬弐疋、舟形迄送ル。二リ。一リ半、舟形。大石田より出手形ヲ取、ナキ沢ニ納通ル。 新庄より出ル時ハ新庄ニテ取リテ、舟形ニテ納通。両所共ニ入ニハ不構。二リ八丁新庄、風流ニ宿ス。
 
二日 昼過 より九郎兵衛へ被招。彼是、歌仙一巻有。盛信。息、塘夕、渋谷仁兵衛、柳風共。孤松、加藤四良兵衛。如流、今藤彦兵衛。木端、小村善衛門。風流、渋谷甚兵へ 。

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○三日 天気吉。新庄ヲ立、一リ半、元合海。次良兵へ方へ甚兵へ方 より状添ル。大石田平右衛門方よりも状遣ス。船、才覚シテノスル(合海より禅僧二人同船、清川ニテ別ル。毒海チナミ有*)。一リ半古口へ舟ツクル。是又、平七方へ新庄甚兵ヘ より状添。関所、出手形、新庄より持参。平七子、呼四良、番所へ持行。舟ツギテ、三リ半、清川ニ至ル。酒井左衛門殿領也。此間ニ仙人堂・白糸ノタキ、右ノ方ニ有。平七 より状添方ノ名忘タリ。 状不添シテ番所有テ、船ヨリアゲズ。一リ半、雁川。三リ半、羽黒手向荒町。申ノ刻、近藤左吉ノ宅ニ着。本坊ヨリ帰リテ会ス。本坊若王寺別当執行代和交院へ、大石田平右衛門 より状添。露丸子へ渡。本坊へ持参、再帰テ、南谷へ同道。祓川ノ辺 よりクラク成。本坊ノ院居所也。
 
○四日 天気吉。昼時、本坊へ蕎麦切ニテ 被招、会覚ニ謁ス。并南部殿御代参ノ僧浄教院・江州円入ニ会ス。俳、表計ニテ帰ル。三日ノ夜、稀有観修坊釣雪逢、互ニ泣第(涕泣)ス。
 
○五日 朝ノ間、小雨ス。昼ヨリ晴ル。昼迄断食シテ註連カク。夕飯過テ、先、羽黒ノ神前ニ詣。帰、俳、一折ニミチヌ。
 
○六日 天気吉。登山。三リ、強清水。二リ、平清水。二リ、高清。是迄馬足叶 。道人家、小ヤガケ也。弥陀原(中食ス。是よりフダラ、ニゴリ沢・御浜ナドヽ云ヘカケル也。難所成。こや有)御田有。行者戻リ、こや有。申ノ上尅、月山ニ至。 先、御室ヲ拝シテ、角兵衛小ヤニ至ル。雲晴テ来光ナシ。夕ニハ東ニ、旦ニハ西ニ有由也。
 
○七日 湯殿へ趣。鍛冶ヤシキ、コヤ有。本道寺へも岩根沢へも行也。 牛首コヤ有。不浄汚離、コヽニテ水アビル。少シ行テ、ハラジヌギカヱ、手繦カケナドシテ御前ニ下ル(御前よりスグニシメカケ・大日坊ヘカヽリテ鶴ケ岡へ出ル道有)。是 より奥へ持タル金銀銭持テ不帰。惣 而取落モノ取上ル事不成。浄衣・法冠・シメ計ニテ行。昼時分、月山ニ帰ル。昼食シテ下向ス。強清水迄光明坊 より弁当持せ、サカ迎せラル。及暮、南谷ニ帰。甚労ル。
 △ハラヂヌギカヘ場よりシヅト云所ヘ出テ、モガミへ行也。
 △堂者坊ニ一宿。三人、壱歩。月山、一夜宿。コヤ賃廿文。方々役銭弐百文之内。散銭弐百文之内。彼是、壱歩銭不余。
 
○八日 朝ノ間小雨ス。昼時ヨリ晴。和交院御入、申ノ刻ニ至ル。
 
○九日 天気吉、折々曇。断食。及昼テシメアグル。ソウメンヲ進ム。亦、和交院ノ御入テ、飯・名酒等持参。申刻ニ至ル。花ノ句ヲ進テ、俳、終。ソラ発句、四句迄出来ル 。

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○十日 曇。飯道寺正行坊入来、会ス。昼前、本坊ニ至テ、蕎切*・茶・酒ナド出。未ノ上刻ニ及ブ。道迄、円入 被迎。又、大杉根迄被送。祓川ニシテ手水シテ下ル 。左吉ノ宅ヨリ翁計馬ニテ、光堂迄釣雪送ル。左吉同道。々(道々)小雨ス。ヌルヽニ不及。申ノ刻、鶴ケ岡長山五良右衛門宅ニ至ル。粥ヲ望、終テ眠休シテ、夜ニ入テ発句出テ一巡終ル。
 
○十一日 折々村雨ス。俳有。翁、持病不快故、昼程中絶ス。
 
○十二日 朝ノ間村雨ス。昼晴。俳、歌仙終ル。
 ○羽黒山南谷方(近藤左吉・観修坊、南谷方也)・且所院・南陽院・山伏源長坊・光明坊・息平井貞右衛門。○本坊芳賀兵左衛門・大河八十良・梨水・新宰相。
 △花蔵院△正隠院、両先達也。円入(近江飯道寺不動院ニテ可尋)、七ノ戸南部城下、法輪陀寺内淨教院珠妙。
 △鶴ケ岡、山本小兵へ殿、長山五郎右衛門縁者。図司藤四良、近藤左吉舎弟也。
 
一 十三日 川船ニテ坂田ニ趣。船ノ上七里也。陸五里成ト。出船ノ砌、羽黒 より飛脚、旅行ノ帳面 被調、被遣。又、ゆかた二ツ 被贈。亦、発句共も被為見。船中少シ雨降テ止。申ノ刻 より曇。暮ニ及テ、坂田ニ着。玄順亭へ音信、留主ニテ、明朝逢。
 
○十四日 寺島彦助亭へ 被招。俳有。夜ニ入帰ル。暑甚シ。
 
○十五日 象潟へ趣。朝ヨリ小雨。吹浦ニ到ル前ヨ より甚雨。昼時、吹浦ニ宿ス。此間六リ、砂浜、渡シ二ツ有。左吉状届。晩方、番所裏判済。
 
○十六日 吹浦ヲ立。番所ヲ過ルト雨降出ル。一リ、女鹿。是 より難所。馬足不通。 番所手形納。大師崎共、三崎共云。一リ半有。小砂川、御領也。庄内預リ番所也。入ニハ不入手形。塩越迄三リ。半途ニ関ト云村有(是 より六郷庄之助殿領)。ウヤムヤノ関成ト云。此間、雨強ク甚濡。船小ヤ入テ休。昼ニ及テ塩越ニ着。佐々木孫左衛門尋テ休。衣類借リテ濡衣干ス。ウドン喰。所ノ祭ニ付 而女客有ニ因テ、向屋ヲ借リテ宿ス。先、象潟橋迄行而、雨暮気色ヲミル。今野加兵へ、折々来テ被訪。
 
十七日 朝、小雨。昼ヨリ止テ日照。朝飯後、皇宮山蚶 彌(満)寺へ行。道々眺望ス。帰テ所ノ祭渡ル。過テ、熊野権現ノ社へ行、躍等ヲ見ル。夕飯過テ、潟へ船ニテ出ル。加兵衛、茶・酒・菓子等持参ス。帰テ夜ニ入、今野又左衛門入来。象潟縁起等ノ絶タルヲ歎ク。翁諾ス。弥三郎低耳、十六日ニ跡ヨリ追来テ、所々ヘ随身ス 。

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○十八日 快晴。早朝、橋迄行、鳥海山ノ晴嵐ヲ見ル。飯終テ立。アイ風吹テ山海快。暮ニ及テ、酒田ニ着。
 
○十九日 快晴。三吟始。明廿日、寺 嶋彦助江戸へ被趣ニ因テ状認。翁 より杉風、又鳴海寂照・越人へ被遣。予、杉風・深川長政へ遣ス。
 
○廿日 快晴。三吟。
 
○廿一日 快晴。夕方曇。夜ニ入、村雨シテ止。三吟終。
 
○廿二日 曇。夕方晴。
 
○廿三日 晴。近江 や三良兵へへ 被招。夜ニ入、即興ノ発句有。
 
廿四日 朝晴。夕ヨリ夜半迄雨降ル 。

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一 廿五日 吉。酒田立。船橋迄被送。袖ノ浦 、向也。不玉父子・徳左・四良右・不白・近江や三郎兵・かゞや藤右・宮部弥三郎等也。未ノ尅、大山ニ着。状添而丸や義左衛門方ニ宿。夜雨降。
 
○廿六日 晴。大山ヲ立。酒田より浜中へ五リ近し。浜中ヨリ大山へ三リ近し。大山 より三瀬へ三里十六丁、難所也。三瀬より温海へ三リ半。此内、小波渡・大波渡・潟苔沢ノ辺ニ鬼かけ橋・立岩、色々ノ岩組景地有。未ノ尅、温海ニ着。鈴木所左衛門宅ニ宿。弥三良添状有。少手前 より小雨ス。及暮、大雨。夜中、不止。
 
○廿七日 雨止。温海立。翁ハ馬ニテ直ニ鼠関 被趣。予ハ湯本へ立寄、見物シテ行。半道計ノ山ノ奥也。今日も折々小雨ス。及暮、中村ニ宿ス。
 
○二十八日 朝晴。中村ヲ立、到蒲 ・(名ニ立程ノ無難所)*。甚雨降ル。追付止。申ノ上刻ニ村上ニ着、宿借テ城中へ案内。喜兵・友兵来テ逢。彦左衛門ヲ同道ス。
 
○廿九日 天気吉。昼時(帯刀公ヨリ百疋給)喜兵・友兵来テ、光栄寺へ同道。 一燈公ノ御墓拝。道ニテ鈴木治部右衛門ニ逢。帰、冷麦持賞。未ノ下尅、宿久左衛門同道ニテ瀬波へ行。帰、喜兵御隠居より被下物、山野等 より之奇物持参。又御隠居より重之内被下。友右ヨリ瓜、喜兵内 より干菓子等贈。
 
一 七月朔日 折々小雨降ル。喜兵・太左衛門・彦左衛門・友右等尋。 喜兵・太左衛門ハ被見立。朝之内、泰叟院へ参詣。巳ノ尅、村上ヲ立。午ノ下尅、乙村ニ至ル。次作ヲ尋、甚持賞ス。乙宝寺へ同道、帰 而つゐ地村、息次市良方へ状添遣ス。乙宝寺参詣前大雨ス。即刻止。申ノ上尅、雨降出。及暮、つゐ地村次市良へ着、宿。夜、甚強雨ス。朝、止、曇。
 
二日 辰ノ刻、立。 喜兵方より大庄や七良兵へ方ヘ之状は愚状に入、返ス。昼時分より晴、アイ風出。新潟へ申ノ上刻、着。一宿ト云、追込宿之外ハ不借。大工源七母、有情、借。 甚持賞ス。
 
○三日 快晴。新潟を立。馬高ク、無用之由、源七指図ニ 而歩行ス。 申ノ下刻、弥彦ニ着ス。宿取テ、明神へ参詣。
 
○四日 快晴。風、三日同風也。辰ノ上刻、弥彦ヲ立。 弘智法印像為拝。峠 より右ヘ半道計行。谷ノ内、森有、堂有、像有。二三町行テ、最正寺ト云所ヲ、ノヅミト云浜へ出テ、十四五丁、寺泊ノ方ヘ来リテ、左ノ谷間ヲ通リテ、国上へ行道有。荒井ト云塩浜ヨリ壱リ計有。寺泊ノ方ヨリハ 、ワタベト云所ヘ出テ行也。寺泊リノ後也。壱リ有。同晩、申ノ上刻、出雲崎ニ着、宿ス。夜中、雨強降。
 
○五日 朝迄雨降ル。辰ノ上刻止。出雲崎ヲ立。間モナク雨降ル。至柏崎ニ、天や弥惣兵衛へ弥三良状届、宿ナド云付ルトイヘドモ、不快シテ出ヅ。道迄両度人走テ止、不止シテ出。小雨折々降ル。申ノ下尅、至鉢崎 。宿たわらや六郎兵衛。
 
○六日 雨晴。鉢崎ヲ昼時、黒井ヨリスグニ浜ヲ通テ、今町へ渡ス。聴信寺へ弥三状届。忌中ノ由ニテ強 而不止、出。石井善次良聞テ人ヲ走ス。不帰。 及再三、折節雨降出ル故、幸ト帰ル。宿、古川市左衛門方ヲ云付ル。夜ニ至テ、各来ル。発句有。
 
○七日 雨不止故、見合中ニ、聴信寺へ 被招。再三辞ス。強招 ニク(クニ)及暮。 昼、少之内、雨止。其夜、佐藤元仙へ招テ俳有テ、宿。夜中、風雨甚。
 
○八日 雨止。欲立。強 而止テ喜衛門饗ス。饗畢、立。未ノ下刻、至高田。細川春庵ヨリ人遣シテ迎、連テ来ル。春庵へ不寄シテ、先、池田六左衛門ヲ尋。客有。寺ヲかり、休ム。又、春庵ヨリ状来ル。頓 而尋。発句有。俳初ル。宿六左衛門、子甚左衛門ヲ遣ス。謁ス。
 
○九日 折々小雨ス。 俳、歌仙終。
 
○十日 折々小雨。中桐甚四良へ 被招、歌仙一折有。夜ニ入テ帰。夕方 より晴。
 
○十一日 快晴。暑甚シ。巳ノ下尅、高田ヲ立。五智・居多ヲ拝。名立ハ状不届。直ニ能生ヘ通、暮テ着。玉や五良兵衛方ニ宿。月晴。
 
○十二日 天気快晴。能生ヲ立。早川ニテ翁ツマヅカレテ衣類濡、川原暫干ス。午ノ尅、糸魚川ニ着、荒ヤ町、左五左衛門ニ休ム。大聖寺ソセツ師言伝有。母義、無事ニ下着、此地平安ノ由。申ノ中尅、市振ニ着、宿。
 
○十三日 市振立。虹立。玉木村、市振ヨリ十四五丁有。中・後ノ 堺、川有。渡テ越中ノ方、堺村ト云。加賀ノ番所有。出手形入ノ由。泊ニ到テ越中ノ名所少々覚者有。入善ニ至テ馬ナシ。人雇テ荷ヲ持せ、黒部川ヲ越。雨ツヾク時ハ山ノ方へ廻ベシ。橋有。壱リ半ノ廻リ坂有。昼過、雨為降晴。申ノ下尅、滑 河ニ着。暑気甚シ。
 
○十四日 快晴。暑甚シ。富山カヽラズシテ(滑川一リ程来、渡テトヤマへ別)、三リ、東石瀬野(渡シ有。大川)。四リ半、ハウ生子(渡有。甚大川也。半里計)。 氷見へ欲行、不往。高岡へ出ル。二リ也。ナゴ・二上山・イハセノ等ヲ見ル。高岡ニ申ノ上刻着テ宿。翁、気色不勝。 暑極テ甚。不快同然。

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一 十五日 快晴。高岡ヲ立 。埴生八幡ヲ拝ス。源氏山、卯ノ花山也。クリカラヲ見テ、未ノ中刻、金沢ニ着。
京や吉兵衛ニ宿かり、竹雀・一笑へ通ズ、艮(即)刻、竹雀・牧童同道ニテ来テ談。一笑、去十二月六日死去ノ由。
 
一 十六日 快晴。 巳ノ刻、カゴヲ遣シテ竹雀ヨリ迎、川原町宮竹や喜左衛門方へ移ル。段々各来ル。謁ス。
 
一 十七日 快晴。翁、源意庵へ遊。予、病気故、不随。今夜、丑ノ比ヨリ雨強降テ、暁止。
 
一 十八日 快晴。
 
一 十九日 快晴。 各来。
 
一 廿日 快晴。庵ニテ一泉饗。俳、一折有テ、夕方、野畑ニ遊。帰テ、夜食出テ散ズ。子ノ刻ニ成。
 
一 廿一日 快晴。高徹ニ逢、薬ヲ乞。翁ハ北枝・一水同道ニテ寺ニ遊。十徳二ツ。十六四*
 
一 廿二日 快晴。高徹見廻。亦、薬請。此日、一笑追善会、於□□寺興行。各朝飯後ヨリ集。予、病気故、未ノ刻ヨリ行。暮過、各ニ先達 而帰。 亭主丿松。
 
一 廿三日 快晴。翁ハ雲口主ニテ宮ノ越ニ遊。予、病気故、不行。江戸へノ状認。鯉市・田平・川源等へ也。徹ヨリ薬請。以上六貼也。今宵、牧童・紅爾等願滞留。
 
一 廿四日 快晴。金沢ヲ立。小春・牧童・乙州、町ハヅレ迄送ル。雲口・一泉・徳子等、野々 市迄送ル。餅・酒等持参。申ノ上尅、小松ニ着。竹意同道故、近江やト云ニ宿ス。北枝随之。夜中、雨降ル。
 
一 廿五日 快晴。欲小松立、所衆聞而以北枝留。立松寺へ移ル。多田八幡ヘ詣デヽ、真(実)盛が甲冑・木曾願書ヲ拝。終テ山王神主藤井(村)伊豆宅へ行。有会。 終而此ニ宿。申ノ刻ヨリ雨降リ、夕方止。夜中、折々降ル。
 
一 廿六日 朝止テ巳ノ刻ヨリ風雨甚シ。今日ハ歓生 へ方へ 被招。申ノ刻ヨリ晴。夜ニ入テ、俳、五十句。終 而帰ル。庚申也。
 
一 廿七日 快晴。所ノ諏訪宮祭ノ由聞テ詣。巳ノ上刻、立。斧卜・志挌等来テ留トイヘドモ、立。伊豆尽甚持賞ス。八幡ヘノ奉納ノ句有。真(実)盛が句也。予・北枝随之。
一 同晩 山中ニ申ノ下尅、着。泉屋久米之助方ニ宿ス。山ノ方、南ノ方ヨリ北へ夕立通ル。
 
一 廿八日 快晴。夕方、薬師堂其外町辺ヲ見ル。夜ニ入、雨降ル。
 
一 廿九日 快晴。道明淵、予、不往。
 
一 晦日 快晴。道明が淵。
 
一 八月朔日 快晴。黒谷橋へ行。
 
一 二日 快晴。
 
○三日 雨折々降。及暮、晴。山中故、月不。夜中、降ル。
 
一 四日 朝、雨止。巳ノ刻、又降 而止。夜ニ入、降ル。

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一 五日 朝曇。昼時分、翁・北枝、那谷へ趣。明日、於小松ニ、生駒万子為出会也。 従順シテ帰テ、(即)刻、立。大正侍ニ趣。全昌寺へ申刻着、宿。夜中、雨降ル。
 
一 六日 雨降。滞留。未ノ刻、止。菅生石(敷地ト云)天神拝。将監湛照、了山。
 
一 七日 快晴。辰ノ中刻、全昌寺ヲ立。立花十町程過テ茶や有。ハヅレ より右ヘ吉崎へ半道計。一村分テ、加賀・越前領有。カヾノ方よりハ舟不出。越前領ニテ舟カリ、向へ渡ル。水、五六丁向、越前也。 (海部二リ計ニ三国見ユル)。下リニハ手形ナクテハ吉崎へ不越。コレヨリ塩越、半道計。又、此村ハヅレ迄帰テ、北潟ト云所ヘ出。壱リ計也。北潟 より渡シ越テ壱リ余、金津ニ至ル。三国へ二リ余。申ノ下刻、森岡ニ着。六良兵衛ト云者ニ宿ス。
 
一 八日 快晴。森岡ヲ日ノ出ニ立テ、舟橋ヲ渡テ、右ノ方廿丁計ニ道明寺村有。少南ニ三国海道有。ソレヲ福井ノ方へ十丁程往テ、新田塚、左ノ方ニ有。コレヨリ黒丸見ワタシテ、十三四丁西也。新田塚ヨリ福井、廿丁計有。巳ノ刻前ニ福井へ出ヅ。 苻(府)中ニ至ルトキ、未ノ上刻、小雨ス。艮(即)、止。申ノ下刻、今庄ニ着、宿。
 
一 九日 快晴。日ノ出過ニ立。今庄ノ宿ハヅレ、板橋ノツメヨリ右へ切テ、木ノメ峠ニ趣、谷間ニ入也。右ハ火 うチガ城、十丁程行テ、左リ、カヘル山有。下ノ村、カヘルト云。未ノ刻、ツルガニ着。先、気比へ参詣シテ宿カル。唐人ガ橋大和や久兵へ。食過テ金ケ崎へ至ル。山上迄廿四五丁。夕ニ帰。カウノヘノ船カリテ、色浜へ趣。海上四リ。 戌刻、出船。夜半ニ色へ着。クガハナン所*。塩焼男導テ本隆寺へ行テ宿。
 
朝、浜出、詠ム。日連(蓮)ノ御影堂ヲ見ル。 十日 快晴 巳刻、便船有テ、上宮趣、二リ。コレヨリツルガヘモ二リ。ナン所。帰ニ西福寺へ寄、見ル。申ノ中刻、ツルガヘ帰ル。夜前、出船前、出雲や弥市良へ尋。隣也。金子壱両、翁へ可渡之旨申頼預置也。夕方ヨリ小雨ス。頓 而止。
 
一 十一日 快晴。天や五郎右衛門尋テ、翁へ手紙認、預置。五郎右衛門ニハ不逢。巳ノ上尅、ツルガ立。午ノ刻ヨリ曇、涼シ。申ノ中刻、木ノ本へ着。
 
一 十二日 少曇。木ノ下(本)ヲ立。午ノ尅、長浜ニ至ル。便船シテ、彦根ニ至ル。城下ヲ過テ平田ニ行。禅桃留主故、鳥本ニ趣テ宿ス。宿カシカネシ。夜ニ入、雨降。
 
一 十三日 雨降ル。多賀へ参詣。鳥本ヨリ弐里戻ル。帰テ、摺針ヲ越、関ケ原ニ至テ宿。夕方、雨止。
 
一 十四日 快晴。関ケ原ヲ立。野上ノ宿過テ、右ノ方へ切テ、南宮ニ至テ拝ス。不破修理ヲ尋テ別 龍霊社へ詣。修理、汚穢有テ別居ノ由ニテ不逢。弟、斎藤右京同道。ソレヨリスグ道ヲ経テ、大垣ニ至ル。弐里半程。如行ヲ尋、留主。息、止テ宿ス。夜ニ入、月見シテアリク。 竹戸出逢。清明。

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一 十五日 曇。辰ノ中尅、出船。とう山*・此筋・千川・暗香へノ状残。翁へモ残ス。如行ヘ発句ス。竹戸、脇ス。未ノ尅、雨降出ス。申ノ下尅、大智院ニ着。院主、西川ノ神事ニ 而留主。夜ニ入テ、小寺氏へ行、道ニテ逢テ、其夜、宿。
 
○十六日 快晴。森氏、折節入来。病躰談。七ツ過、平右ヘ寄。夜ニ入、小芝母義理・彦助入来。道 より帰テ逢テ、玄忠へ行、及戌刻。其夜ヨリ薬用。
 
○十七日 快晴。
 
○十八日 雨降。
 
○十九日 天気吉。
 
●廿日 同。
 
○廿一日 同。
 
○廿二日・廿三日 快晴。
 
廿四日 晴。
 
○廿五日 巳下刻ヨリ降ル。
 
○廿六日 晴。
 
廿七・八・九 晴。
 
九月朔日 晴。
 
二日 晴。大垣為行。今、申ノ尅ヨリ長禅寺へ行 而宿。海蔵寺ニ出会ス。

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三日 辰ノ尅、立。乍行春老へ寄、及夕、大垣ニ着。天気吉。此夜、木因ニ会、息弥兵へヲ呼ニ遣セドモ不行。予ニ先達 而越人着故、コレハ行。
 
四日 天気吉。源兵へ、会ニ 而行。
 
五日 同。
 
六日 同。 辰尅出船。木因、馳走。越人、船場迄送ル。如行、今一人、三リ送ル。餞別有。申ノ上尅、杉江へ着。予、長禅寺へ上テ、陸ヲスグニ大智院へ到。舟ハ弱半時程遅シ。七左・玄忠由軒来テ翁ニ遇ス
 
七日 七左・八良左・正?等入来。帰て七左残リ、俳有。新内も入来。
 ○今宵、翁、八良左へ被行。今昼、川澄氏へ逢。請事有。寺へ帰テ金三歩被越。木因来ル。
 
八日 雨降ル故、発足延引。俳有ドモ病気発シテ平臥ス。
 
九日 快晴。出船。辰ノ刻、桑名へ上ル。壱リ余、暗ク津に着。
 
 

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  • 巳三月廿日同出、深川出船(本図画は天理大学付属天理図書館所蔵資料より)。巳ノ下尅、千住ニ揚ル:「彌生も末の七日」に出発したことになっている本文に対して、日記は「3月20日」と記録されている。この謎は古来様々な憶測を呼んできた。特に「同出」は、一同で出発したと読めることから、芭蕉を含む見送りの者全員で深川を3月20日に出たと解釈されてきたのである。その後、深川で執筆したと思われる芭蕉の元禄2年3月23日付落梧宛書簡」が発見されたことによって、「奥の細道」の記述の信憑性が一気に確認された。すなわち、芭蕉はこの時期未だ「杉風が別墅」に滞在していたこと、 出発は3月26日の予定であること、また、第二次芭蕉庵を買った人は年配者で、草の戸に雛を飾ったのは娘のためではなくて孫のためだったことなどがこれによって明らかになったのである。「奥の細道」出発日時は27日なので、書簡とはまだ1日ずれているのだが、この時代の一日の始まりは午前零時(子の刻)ではなく、明けた日をいうのであって、26日の未だ明けやらぬうちに立つ予定が、来客等の接客にでも追われたかして、すっかり夜が明けてしまってからの乗船となったために最終的に27日と記録されたのであろうと考えられるのである。また「同出」は、そういう目で改めて読み直すと「日出」と読め、日の出に出発したと解釈される。重ねて、旅の途次に須賀川から書いた4月26日付け「杉風宛書簡」末尾に謝辞にかえて「先月のけふは、貴様御出候、たれより忝候などゝいふ事のみに泣きいだし候」ことからも、「彌生も末の七日」に間違いないものと思われる。ただし、このことが曾良も3月27日に一緒に出た証拠とはならず、曾良は先に千住にいて、芭蕉の来るまでの間、日光街道・奥羽街道の宿場駅として情報ネットワークが深川よりはるかに確立されていたはずの千住で旅行プランを作成していたと想像しても許されるであろう 。
  • 津久井氏 被見廻 而:<つくいしみまわれて>と読む。津久井は地元の俳人津久江氏の誤り。敬訪問と金丸八幡参詣の誘いに訪問。
  • 重之内持参:浄法寺高勝が見舞ってくれて、かつ重箱の折詰めを持ってきてくれた。
  • 翁と鹿助右同道ニテ図書ヘ 被参 :<おうとかすけうどうどうにてずしょへまいられ>。芭蕉と鹿子畑助右衛門は一緒に浄法寺高勝邸に出かけた。
  • 右ノ由尓々:<みぎのよししかじか>と読む。
  • 一二三五:為替レートと思われる。金一歩の交換比率が白石では1235文ということであろう。この数値が大きいほど江戸と比べて地域経済力の低いことを表す地域間経済格差指標となる 。
  • 儀左衛門宿不借:登米での宿を断られた事件。昨夜石巻の四兵衛に宿泊後紹介状を貰っていたはずなのに断られた。ここで、「検断」は宿駅の管理者。
  • 金雞山見ル:<きんけいざんみえる>と読む。 「けい」の字は「鶏」の鳥を「隹」にしたもの。
  • 雨不降:「降」の字はこざと偏に「ほう=降の字のこざと偏のかわりにしんにゅう」。
  • 毒海チナミ有 :僧侶で俳号「毒海」という人物は、貞亨の頃芭蕉庵で死んだ男だが、この舟に乗り合わせた「合海より禅僧二人 」が何と、毒海の知り合い(チナミ有)だということが分かったという。この時代でも世間は狭かったのである。
  • 蕎切:蕎の字は草冠に麦。
  • 蒲・:<ぶとう>「とう」の字は草冠に「陶」。
  • 一六四:餞別金16匹の誤記か?それなら金額にして4百文。
  • クガハナン所:陸は難所の意か?。
  • とう山:とうは口編に草冠に合。 大垣の人で木因の弟子。