芭蕉db

奥の細道

室の八島  元禄2年3月29日)


 室の八島に詣す*。同行曾良*が曰、「此神は木の花さくや姫の神と申て富士一躰也*。無戸室*に入て焼給ふちかひのみ中に、火々出見のみこと*生れ給ひしより室の八島と申。又煙を読習し侍もこの謂也*」。将、このしろ*といふ魚を禁ず。縁起の旨世に伝ふ事も侍し。


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表紙 年表 bo24_03.gif (162 バイト)俳諧書留


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 3月28日、栃木県小山市間々田に泊まる。この日終日雨。
 3月29日。一行は、真々田を出発して、栃木県小山市から壬生町を経由して、栃木市に入った。そして、本文の室の八島を参詣して、再び二人は壬生町へ戻る。そこから北にとって、鹿沼市を通り、今市市に到着して、ここで一泊した。
 この日、天気は午前中はよかったが、午後から曇。夜半から本格的な雨になった。
 なお、大神神社は、「
いかでかは思ひありとも知らすべき室の八島の煙ならでは」(藤原実方)、「煙たつ 室の八嶋に あらぬ身は こがれしことぞ くやしかりける」 大江匡房煙かと室の八島を見しほどにやがても空の霞みぬるか も」(源 俊頼)など と詠まれた「室の八島」の歌枕として信じられていた。芭蕉らもこれを信じてこの旅の最初の歌枕探訪地としたのである。しかし、ヤシマは カマドのことであって、それを「八島」と書いて庭内に八つの島をもつ池をつくったここ大神神社はそもそも平安歌人たちが詠んだ下野の国の「ムロノヤシマ」ではない可能性が高いことに注意したい。

大神神社

室の八島

 当日は関東平野全体に靄がかかり、室の八島に朝霧が立つところを狙って写真を撮ろうと、夜明け前に出かけたのですが、現地に到着した時には、既に靄は消えていました。(以上、文と写真提供:牛久市森田武さん、2002年5月19日)