芭蕉db

奥の細道

(佛頂和尚山居跡 元禄2年4月5日)


 当国雲岸寺*のおくに、 仏頂和尚*山居跡あり。

竪横の五尺にたらぬ草の庵
   むすぶもくやし雨なかりせば*

 
と、松の炭して岩に書付侍りと、いつぞや聞え給ふ。其跡みんと雲岸寺に杖を曳ば、人々すゝんで共にいざなひ、若き人おほく道のほど打さはぎて、おぼえず彼麓に到る*。山はおくあるけしきにて、谷道 遙に、松杉黒く苔したヾりて、卯月の天今猶寒し。十景尽る所*、橋をわた つて山門に入。
 さて、かの跡はいづくのほどにやと
*、後の山によぢのぼれば、石上の小 菴岩窟にむすびかけたり*。妙禅師の死関、法雲法師の石室を見るがごとし*
 

木啄も庵は やぶらず夏木立

(きつつきも いおはやぶらず なつこだち)

と、とりあへぬ一句を柱に残侍し*

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表紙 年表 俳諧書留


 元禄2年4月5日のこと。この日は朝のうち曇っていたが、天気はよかった。
 好天もこの日までで、以後6日より9日までは連日の雨天、10日になってようやく止み太陽が顔を出した。この間、浄法寺図書方へ投宿。11日は日中小雨、夕方やや強く降る。12日は曇、13日になって久しぶりに天気になったものの、14日は又雨。11日から14日まで翠挑方に宿泊。15日に雨上がり、再度浄法寺図書宅に移る。
 

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木啄も庵はやぶらず夏木立

 芭蕉の禅の師であり、畏友佛頂和尚山居跡を訪ねました。さすがに尊い和尚の修業跡なればよろず突っついて木に穴を開けてしまう啄木鳥も和尚の庵には乱暴を働かないようだ。キツツキは、別名寺ツツキとも云うほど木造の文化財を破壊する「困り者」なのである。
 なお、『曾良本おくのほそ道』では、この句は、

木啄も庵は食らはず夏木立

と記録されている。


佛頂和尚の歌「竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば」と
芭蕉の「
木啄も庵は破らず夏木立」の句を書いた石碑


雲巌寺は今でも手入れの行き届いたたたずまいを見せている。残念ながら佛頂山居の跡は不明だった。



佛頂和尚山居跡は、一般には撮影等の立ち入りは禁止されていますが、雲厳寺さんのご好意に
より撮影することが出来ました。(牛久市森田武さん提供)