芭蕉db

奥の細道

(佐藤庄司旧跡 元禄2年5月2日)


 月の輪のわたし*を越て、瀬の上*と云宿に出づ。佐藤庄司*が旧跡は、左の山際一里半計に有*。飯塚の里鯖野*と聞て、尋たずね行に、丸山と云に尋あたる*。是庄司が旧館也*。麓に大手の跡など、人の教ゆるにまかせて泪を落し、又かたはらの古寺*に一家の石碑を残す。中にも二人の嫁がしるし、先哀也*。女なれどもかひがひしき名の世に聞えつる物かなと袂をぬらしぬ。堕涙の石碑*も遠きにあらず。寺に入て茶を乞へば、爰に義経の太刀・弁慶が笈をとヾめて汁物とす*

 

笈も太刀も五月にかざれ帋幟

(おいもたちも さつきにかざれ かみのぼり)

 

五月朔日の事也*

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表紙 年表


5月2日。瀬上から佐場野に行き、佐藤兄弟の父元治夫婦及び佐藤兄弟の墓に参る。その後、飯坂温泉へ。ここに大島城があり、ここが佐藤元治の館跡であった。一行は、飯坂に宿泊。夕方から雨。夜更けて強雨。


佐藤兄弟の墓 (写真提供:牛久市森田武さん)

 

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笈も太刀も五月に飾れ紙幟

佐藤庄司の館跡を訪ねて、義経の太刀や弁慶の笈などをみると、これから訪ねる平泉の悲劇が想われる。いま、薫風香る五月。笈も太刀も五月の風に吹かれてみよ。結句紙幟は座敷に飾る紙製の幟旗。
 なお、この句は『曾良本おくのほそ道』では、

弁慶が笈をも飾れ紙幟

とある。


「笈も太刀も・・」の句碑(写真提供:牛久市森田武さん)


義経の笈(写真提供:牛久市森田武さん)




全文翻訳

月の輪の渡しを越えて瀬上という宿駅に出た。佐藤庄司の旧跡は、ここの左手十キロほど離れた山際、飯塚の鯖野にあると聞いたので道々尋ねながら行くと、丸山城というのに尋ね当たった。これが庄司の旧館である。麓に大手門の跡などが残っている。土地の人が語るこの城の悲話を聞いて涙を落とした。また、近くの古寺には佐藤一族の石碑が残っている。中でも、佐藤継信・忠信兄弟二人の妻の墓標は悲しい。彼女らは、二人の夫の戦死の後、甲冑に身を包んで亡き夫らの姿を装い、兄弟の母を慰めたなど、そのかいがいしい話が伝えられているにつけても涙を誘われる。まさに堕涙の「石碑は遠くにあらず」だ。

茶をいただこうと寺に入ってみれば、この寺の什宝は義経の太刀と弁慶の笈だ。 

 笈も太刀も五月にかざれ帋幟

 五月一日のことだった。