芭蕉db

行く秋や手をひろげたる栗の毬

(続猿蓑)

(ゆくあきや てをひろげたる くりのいが)

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 元禄7年、51歳。『追善之日記』によれば、「五日の夜なにがしの亭に会あり」としてこの句が掲出されている。元禄7年9月5日ということであろう。芭蕉最後の伊賀であった。伊賀門人に対する別れの吟。
 

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行く秋や手をひろげたる栗の毬

 「行く秋」は、「行く春や鳥啼き魚の目は泪」や「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」と同様に留別の文脈を含んでいる表現。「毬」は「伊賀」にかけているのかもしれない。「手をひろげる」のは掌をひろげるのか、両腕を広げるのかは不明だが、この時代の人々のボディランゲージからすれば前者であろう。さりとて握手の風習も無いからこれは単に栗の毬の開いた状態を描写した嘱目吟とするのが妥当かも知れない。
 上記『追善之日記』では、後文に「このこころは、伊賀の人々のかたくとどむれば、忍びてこの境を出んに、後におもひ合すべきよし、申されしが、永き別れとはぬしだにも祈りたまはじを・・・」とある。