芭蕉db

秋深き隣は何をする人ぞ

(笈日記/陸奥衛/泊船集/蕉翁句集)

(あきふかき となりはなにを するひとぞ)

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 元禄7年9月28日作、51歳。この夜は芭蕉最後の俳席が畦止(けいし)亭で開かれた。翌29日も、芝柏亭に場所を移して同様の俳筵が巻かれることになっていた。しかし芭蕉は体調悪く、参加できないと考えてこの句を芝柏亭に書き送った。芭蕉が起きて創作した最後の作品であり、29日から死の10月12日までついに芭蕉は起きなかった。芭蕉絶唱の最高の秀句の一つである。

秋深き隣は何をする人ぞ

 俗の意味で最も人口に膾炙した句の一つであるといっていいのかもしれないが、それでいて全く反対に寂寥感を漂わせた秀句である。晩秋の夜、灯りのこぼれる隣家の住人に想いを馳せる人間的ぬくもりが横溢している。「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」の句を除いて最後の作品となった。

Q: 「秋深き 隣は 何をする人ぞ」 
と言う句で「深き」が連体形なのですが、どの名詞にかかっているのでしょうか?「秋深き」でそのあと全文を修飾しているようにみえるため、連体形をとっている理由がみえてきません。NAさん
A:「秋深き」ではなくて、「秋深し」とすべきだということですね。
@ 当然、「深き」というからには、それにつなげて「夜」とか「閑さ」とかいうように「名詞」が来なくてはおかしいではないかということだと思います。作者芭蕉の頭の中には当然「何か」秋に関する名詞の字句があったのだと思われます。透明感のある白で、寂しく、しっとりとした晩秋を象徴する何かが。それをこらえたままで抜き取ってしまったところが、この作品の秀逸さなのではありませんか?
A 「秋」の「キ」と「深き」の「カ」と「キ」というカ行の音が続くことで透き通った秋の音になっているのもねらい目にあったかもしれませんね。「深し」では音が吸い取られてしまいます。
B 上記@とAの意味で余韻を作りたかった、ということではないかと思いますが如何ですか?
もっとも『六行会』には「秋深し」という記録も残っています。