芭蕉DB

野ざらし紀行

(名古屋)


名護屋に入道の程風吟ス*

狂句木枯の身は竹齋に似たる 哉

((きょうく)こがらしの みはちくさいに にたるかな)

草枕犬も時雨ゝかよるの こゑ

(くさまくら いぬもしぐるるか よるのこえ)

雪見にありきて

市人よ此笠うらふ雪の傘

(いちびとよ このかさうろう ゆきのかさ)

旅人をみる

馬をさえながむる雪の朝哉

(うまをさえ ながむるゆきの あしたかな)

海邊に日暮して

海くれて鴨のこゑほのかに白し

(うみくれて かものこえ ほのかにしろし)


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表紙 年表


狂句木枯の身は竹齋に似たる 哉

 『竹斎』は、仮名草子本(烏丸光広作)の題名で当時のベストセラー。やぶ医者が下男を連れて諸国行脚をする和製ドン・キホーテ物語。芭蕉は自らのやつれた姿と俳諧に掛ける尋常ならざる想いを竹斎の風狂になぞらえた。この旅の風狂は、芭蕉俳諧の一大転機になっており、名古屋の門弟に見せる並々ならぬ自信とみてよい。冒頭の「狂句」は、芭蕉の決意を示す並々ならぬ宣言であり、敢えて「狂句」という自虐的な言い方をしたのであろう。ただし、 「狂句」は、後日削除したと言われている。


名古屋野水の旧居跡にある『冬の日』の冒頭部分碑(牛久市森田武さん提供)

草枕犬も時雨ゝかよるのこゑ

 時雨の夜の犬の泣き声。この時代、犬はペットであるよりもタイのバンコクやラオスの首都ビエンチャンの街中の犬と同じで、 人間世界に紛れ込んで住んでいる共同生活者ではあるが、人間とは棲み分けて生きている動物であり、いわゆる野良犬なのである。
 芭蕉も、もとより帰る家はない草枕である。我もまた草枕、旅にしあれば、そぼ降る雨の中の犬の気持ちがよく分かる。

市人よ此笠うらふ雪の傘

 使い古した傘、それも雪の付いた傘を売ろうというのは「竹斎」級の風狂である。俳諧に開眼した芭蕉の自信とゆとりと心の軽やかさを感じさせる一句。
 この句には、他に「市人に此傘(このからかさ)の雪うらん」(赤冊子草稿)、「市人にいで是うらん 笠の雪」(笈日記 ・三冊子)など推敲過程の句形が数多く残っている。


写真は羽鳥郡江吉良町水除神社の句碑「市人にいで是うらん雪の笠」句碑。(同上)

馬をさえながむる雪の朝哉

 句の配列順序とは違って、この句の方が「狂句木枯し…」より先に、熱田で作られたらしい。嘱目吟。予期せぬ雪の朝、一面の白銀の世界では、いつもは見慣れた馬の過ぎ行く姿も新鮮なものとして目に入ってくる。


愛知県東加茂郡足助町馬頭観世音の句碑(同上)

海暮れて鴨のこゑほのかに白し

 12月、熱田での、夕闇に舟を浮かべての作。海暮れてというから既に視界は失われている。夕闇につつまれて見えない空間から伝搬してくる鴨の声を、「白し」と色で表現した感覚はさすが。「ほのかな」とは暮れなずむ暮色の表現でもあるのだろう。叙情性をたっぷり含んだ芭蕉秀句の一つ。


半田市尾張三社境内にて(牛久市森田武さん寄贈)