芭蕉DB

野ざらし紀行

(貞亨元年8月〜貞亨2年4月)


 『野ざらし紀行』の旅は、貞享1年8月江戸深川出発から、翌年4月江戸に戻るまでの往路東海道、復路中山道・甲州街道経由江戸帰着までの2千キロの大旅行であった。その中には、先年身罷った母の墓参も含まれてはいたが、俳人芭蕉にとってもっともっと大きな心中期すものがある旅であった。
 芭蕉は、延宝9年、江戸の繁華街日本橋から、未だ辺地であった深川に隠棲し、途中甲斐の谷村への疎開などもあったが、総じて深川で詩人としての基礎体力を養成し、この頃までにすでに高い新規性をも蓄積していた。それが、後世「蕉風」という名で称される芭蕉俳諧の源泉であった。その成果を問う旅が、この「野ざらし」なのである。それゆえに、出発に当たっては相当に高くテンションを上げていたのであって、それが冒頭の句「野ざらしを心に風のしむ身哉」に結実しているのであろう。
 しかし、その成果は、すぐに現れた。名古屋蕉門の創設とその果実として『冬の日』が編纂されるという想定外の成果が出現したことである。その後は、もはや芭蕉の行くところ歓迎の声一色。蕉風確立の大成功の旅であった。
 芭蕉真蹟本として、「藤田本」と「天理本」があるが、ここは前者による。なお、『野ざらし・・』の板本は死後元禄11年に『濁子本』として出版されたものが最初で、芭蕉はこれを知らない。
 『野ざらし紀行』は、芭蕉の本格的文芸作品だが、命名は自身ではない。他に『甲子吟行』・『芭蕉翁道乃紀』などの呼称も用いられている。

下記の章立ては読み易さを考慮して筆者の付したもので原作には無いことをことわっておく。

序文

箱根越え

富士川の捨て子

大井川

小夜の中山

伊勢往路

外宮

西行谷

茶店にて

茅舍

伊賀上野

竹の内

当麻寺

奥吉野

とくとくの泉

後醍醐陵

常盤塚

不破の関

大垣

桑名

桑名浜辺

熱田神宮

名古屋

年の暮

二月堂お水取り

鳴滝

京都再会

訃報

杜国との別れ

帰路

甲斐の国

おわり


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