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芭蕉DB
野ざらし紀行
(常盤塚)
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やまとより山城を經て、近江路に入て美濃に至る。います・山中*を過て、いにしへ常盤の塚有*。伊勢の守武*が
云ける、よし朝殿に似たる秋風とは、いづれの所か似たりけん。我も又、
(よしともの こころににたり あきのかぜ
)
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表紙 年表
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義朝の心に似たり秋の風
「月見てや常盤の里へかへるらん」の前句に対して、守武が「義朝殿に似たる秋風」と付句したことで有名。この句は、守武の付句に「の心」と入れただけなのに句が完成するのだからさすがに俳聖…。ただし、やっぱり義朝に何処がどう似ているのかは分からない。
「義ともの・・」の句碑(写真提供:牛久市森田武さん)
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います・山中:「います」は岐阜県不破郡関ヶ原町今須。山中も同じ関ヶ原町にあって、中山道宿場であった。芭蕉はこのとき
吉野から京都経由で大津から中山道を歩いたのである。
伊勢の守武:伊勢の内宮の長官・荒木田氏。
常盤の塚有:
<ときわのつかあり>と読む。不破郡関ヶ原町山中。常盤御前は、もと京都九条院雑仕の娘で、源義朝の妻となり今若丸、乙若丸、牛若丸の三人の子供を産んだが、平治の乱で負け、捕らえられて清盛の妻となって一女をもうけた。伝説によれば、牛若丸が鞍馬山を抜け出して東国へ走ったと聞いた常盤御前は乳母の千種を連れて、ここ関が原まできたが、恩賞目当ての付近の山賊に殺されてしまったという。これを哀れんだ土地の人々が亡骸を弔ったのがこの塚というのである。