芭蕉db

古池や蛙飛びこむ水の音

(蛙合)

(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)

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貞亨3年作。43歳。芭蕉作品中最も人口に膾炙した俳句中の俳句 。

 芭蕉は、貞享3年春、江戸蕉門の門弟多数 を芭蕉庵に集めて、蛙を主題とする会を催した。蛙といえば、和歌の世界では春の川辺に鳴く「もの」であったのだが、この発句においてはじめて「音」をとらえたところが革新だったのである

 貞享3年閏3月40句を2句ずつ合せて20番として、それぞれには判詞をつけて『蛙合』(仙化編)として刊行した。そこに名を連ねる主なものは、仙化をはじめとして素堂・其角・嵐雪・杉風・去来・嵐蘭・素堂・文鱗・弧屋・濁子・破笠など実にそうそうたるメンバーであった。


古池や蛙飛びこむ水の音

 芭蕉は、中七・下五の「蛙飛ンだり水の音」 までできたが、上五に悩んでいた。そのことを其角に話したところ、其角は「山吹や」にしては、と提案したという。これは、「山吹の花のしづえに折知りて啼く蛙」という定型表現からの提案であり、其角一流の派手好みの一句とはなるが、芭蕉はこれをとらず、即座に「古池や」としたという言い伝えがある。「蛙飛ンだり」という表現には、弾んだ躍動感や高揚感がある反面、談林風の滑稽の影が残る。「飛び込む」と日常語に直したところから、わびやさびにつながる水墨画の世界が現出した。
 古来、和歌の世界では蛙はその鳴き声が詠まれることをきまりとしていた。芭蕉がこれを「飛び込む水音」としたところに俳諧としての独創があると言われている。蕉風確立の画期をなした一句。
 
 ただし、誰でも知る俳句中の俳句でありながら、人類最高の秀句であるという 評価から、いや駄作に過ぎないというのまで、その評価はさまざまである。この古池も杉風の生け簀だったとか、江戸本所六軒堀鯉屋藤右衛門の屋敷の池だとか、諸説紛紛である。詮索をすればするほど、解説を加えれば加えるほど句影の消えていく 名句である。
 


東京都文京区関口芭蕉庵庭内にある句碑(加藤徹夫氏撮影)


野市西日南町、土芳の蓑虫庵にある「古池」の句碑(森田武さん撮影)


上図句碑に彫刻されている蛙は一匹だけ


Q:

先生の「芭蕉DB」を丁寧に読ませてもらいました。 
 そこで、芭蕉を熟知しておられる先生に日頃から疑問に思っていることをぜひとも解決してもらいたく、ご多忙の折、まことにご迷惑のこととは存じましたが、このようなメールを送信した次第であります。
 その疑問というのは、次のようなものであります。
 一つは、古池や蛙飛びこむ水の音、という俳句がありますが、この「古池」というのは、芭蕉庵にあった「古池」ということでよいのでしょうか。先生のホームページでは、いろいろな説があると説明されていましたが、また、この「蛙」の種類は、どのような蛙になるのでしょうか。例えば、赤蛙、土蛙、トノサマガエル、その他、一般的にはどの種類の「蛙」と考えられているのでしょうか。
 また、松尾芭蕉は、一体、どこにいたのでしょうか。例えば、古池の近くにいて、蛙が水に飛び込む音を聞いたのでしょうか。それとも、芭蕉庵の中にいて、聞いたのでしょうか。 
 取るに足らない質問になるかと思いますが、よろしくお願いいたします。
                    大学生 21才 Oさん

A:

Oさんへ
 古池の句に疑問を持たれたとのこと,もっともですね.大体この句は,本当に秀句なのか駄作なのかもよく分からないというのが私の本音です.
 この句が,古く天和年間だったのなら,単に蛙という滑稽な動物を句に入れたということで談林俳諧のおかしみを調子に乗って詠ったというに過ぎないのでしょう.そうではなくて,貞亨年間以降だというのであればこれはもう後の俳聖芭蕉ゆえの秀句ということになって,・・・・世間では後者の理解でこの句を誉めそやしているのですね.
 さて池ですが,天和以前のものなら何処の池だか全く分からないことになります.貞亨以後であれば,芭蕉庵にあった杉風のいけすの池の可能性が高いので,おっしゃるとおり深川です.もっとも他集には江戸本所の池だという説もあったりして,....
 しかし,本当の池は作者の想像の池ではないかと私は思います.
 蛙の種類は,立石寺のセミのように論争になっていませんね.作句の時期がよく分からないからでしょう.私は小さいものだろうと思います.ヒキガエルのようなごついんじゃなくて,音はかすかにポチャンかポチョではなかったでしょうか?しずけさを強調するには小さいのがいいですね.
 しかし,これも芭蕉の想像の産物でひょっとすると伊賀上野のお城の堀端なんてのもありかな????
 お答えになりませんでしたね!!