(伊賀上野へ)
(たびねして みしやうきよの すすはらい)
(かちならば つえつきさかを らくばかな)
(ふるさとや ほぞのおになく としのくれ)
三重県四日市市采女の旧東海道杖突坂山中の句碑(牛久市森田武さん撮影)
三重県上野市赤坂の芭蕉生家前にある句碑(牛久市森田武さん撮影)
「桑名より食はで来ぬれば」:『古今夷曲集(こきんいきょくしゅう)』に西行の歌として「伊勢桑名の辺、ほし川・あさけ・日ながというふ三ヶ村を詠める」の詞書きに次いで、「桑名よりくはで来ぬればほし川の朝けは過ぎて日ながにぞ思ふ」とあるによる。西行の作かどうか疑わしい駄作。
杖つき坂:杖突坂。四日市から鈴鹿にかけての坂道で、日本武尊が東征の帰途、この坂道を登坂したとき足を三重に折り、杖を突いて越えなくてはならないほど疲労していたという。この伝説によってこの呼び名が生まれたという。また、三重に折ったことからこの地方を三重郡といい、廃藩置県によって現在の三重県が命名された。杖突坂は、今では東名阪自動車道の杖突坂トンネルとなっている 。