芭蕉db

向井去来宛書簡

(貞亨3年閏3月10日 芭蕉43歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


芳賀一晶*、老母見舞被登候間啓上仕候。愈御無事に被御座候哉、承度奉存候*。爰元*和田氏*・其角*・野蕉*、無恙罷有候*。誠度々御伝書*、先日又預貴墨、御厚志御深切之段、誠不浅感心仕事に御座候*。折節は御書状もと存、心懸も御座候へ共、蚊足*より委細に御通候上はと存ては、重而重而と便り延引に罷過、心外之至、此方存分浅に似たるなるべし。御秀作度々相聞、千里隔といへども、心一に叶ふ時は符節と合候而、毫髪可入處無*、近世只俳諧之悟心明に相きこへ候而*、爰元連衆、別而は文鱗*・李下*よろこぶ事大に御座候。此度蛙之御作意*、爰元に而云盡したる様に存候處、又々珍敷御さがし*、是又人々驚入申し候。当秋冬晩夏之内上京、さが野の御草庵に而親話尽し可申とたのもしく存罷有候*。さがへ、キ丈御方へ参候事は其元に而もさたなきがよく候*
(閏)三月十日     芭蕉桃青 判書
     去来雅伯
       人々御中

 京都の去来との現存する最初の書簡である。この頃まだ去来は芭蕉の門には入っていない。
 去来からの再三の書簡に対して無沙汰であったことの詫びと、『蛙合』の中の去来の作が江戸の弟子たちの間で大変評判になったことなどを伝える。また、この晩夏以降に上京の予定であることを伝えるが、これは実行されなかった。