芭蕉db

平庵宛書簡

(貞亨5年2月11日 芭蕉45歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


痛入たる御音信忝奉存候*。一両日御物遠罷過候*。昨日より嵐朝へ参、一宿仕候*。先以、先夜民部殿へ被召寄候而御厚志之御馳走*、貴様御内通よろしき故と、御亭主振感心*、忝奉存候。明日二見への心ざし御座候へ共*、天気如此御座候得ば、先延引可仕候旨(間?)、今晩罷帰、明日可御意候。其内民部殿へ御逢候はば、可然奉頼候。猶貴面*。 以上
     二月十一日             芭蕉之
   平庵様
     貴報
尚々御音信忝賞玩仕候*。乍去御牢人之御心遣、却而痛入申候*。亭主且野人*へ御伝申候。 以上

芭蕉は、『笈の小文』の旅で、故郷伊賀上野で年を越し、貞亨5年2月4日伊勢に入った。嵐雪の弟子 葛西嵐朝亭に落着いて伊勢山田からこの書簡を発している。受取人の平庵は、この時浪人中であるので武士階級の人らしいが詳細は不明。
語るに落ちる話として、伊良子岬に逼塞しているはずの杜国がここ伊勢に芭蕉と同道していることが文中追伸で分かる。杜国は、禁足の判決を受けているのにである。だから、『笈の小文』では、吉野山で合流したことになっているが、すでに伊勢では一緒だったのだから、旅の半分を二人は同道したことになる。大らかなものである。