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芭蕉db
文鱗生*、出山の御像を送りけるを
安置して
(続深川集)
(なむほとけ くさのうてなも すずしかれ)
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貞亨元年。江戸蕉門の文鱗は、「出山の尊像」を贈った。
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南無ほとけ草の台も涼しかれ
文鱗が贈ってくれた仏像は、芭蕉庵の貧しい仏壇の中に安置した。華やかな蓮華の台ではなく貧相な仏壇であった事から、草の台といい、それはそれですずしげである。
この仏像は、以後三度の草庵転居についても常に芭蕉は肌身離さず、それぞれの草庵に安置し大切にしていたのである。芭蕉の遺言にも出てきて、これを支考に譲ると書いている。
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文鱗生:芭蕉門人の鳥居文鱗<ぶんりん>。悟りを開いて雪山を出てきた釈迦の木像(厳しい修行に身をやつした仏陀の像)=出山の尊像を芭蕉に贈った。文鱗は、第二次芭蕉庵の建築についても最も多額の醵金をした人。