芭蕉db

向井去来宛書簡

(元禄2年12月下旬 芭蕉46歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


御飛札並小帋二束*、被芳慮辱、目出度受納不浅令存候*。御病人之事御名不存候*。定而御牢人衆之御内にて可御座*。時分柄、御難義(儀)気之毒致推察*
一、江戸より五つ物到来珍重*、ゆづり葉*感心に存候。乍去当年は此もの方のみおそろしく存候處、しゐて肝はつぶし不申候へ共、其躰新敷候。前書之事不同心にて候。彼義(儀)は只今天地俳諧にして万代不易に候*。大言おとなしくても、おとなしき様なくては、風雅精神とは被申まじく候。却而云分ちいさき様に存候。ゆづり葉を口にふくむといふ万歳の言葉*、犬打童子も知りたる事なれば、只此まヽにて指出したる、閑素にして面白覚候。其上文字の前書、今は凡士之手に落、前書に而人を驚かすべきやうに而、正道にあらざるやうに候*。其ままに而あれかしと存候。されどもキ様御了簡、其角心□をも汲被成候而、ともかくも可成候。
愚老木曽塚之坊、越年之事、達而ねがひに候間、大晦日より、あれへ移り、湖水元旦之眺望可致と存候。野水が朝ほどには有まじき哉と存候。
 尚々愚句元旦之詠*、なるほどかろく可致候。よくよく存候に、ことごと敷工み之所に而無御座候。却而世俗に落候半。加生*、キ様、随分ことごと敷がよろしく候。
    □月廿□日                          はせを
去来様

  木曽塚で越年して元旦にはそこから湖水の眺めを見たいというので時期は元禄2年の年末である。「不易」を説いていて芭蕉年譜上重要な書簡である。