芭蕉db
   蓮は花の君子なる物なり。牡丹は
   花の富貴なる由。早苗は泥濘より
   出でて蓮より清し。秋は香稲実り
   て牡丹より富めり。一物にして二
   草を兼ね、誠に清く富貴なり

里人は稲に歌詠む都かな

(真蹟懐紙)

(さとびとは いねにうたよむ みやこかな)

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 元禄元年夏。『笈の小文』の旅の途次、貞亨5年4月12日、大和国誉田八幡<こんだはちまん>にて。「楽しさや青田に涼む水の音」もこの時の句

里人は稲に歌詠む都かな

 前詞にあるとおり、牡丹や蓮は都の風流人が詩に詠む対象であるが、稲は蓮同様泥からはい出していながらそれらよりもずっと清いものだ。しかも秋になれば米を実らせて富を運んできてくれる。稲は一つの草にして二つのものを兼ねている。こういう一物二草である稲を育てる里の百姓は、まさに稲を題材として詠む歌人であり、だから人里は都なのだ。