芭蕉db
寿貞尼が身まかりけると聞きて

数ならぬ身とな思ひそ玉祭

(有磯海)

(かずならぬ みとなおもいそ たままつり)

句集へ 年表へ Who'sWhoへ


 元禄7年7月15日、伊賀上野での松尾家盂蘭盆会(魂祭=玉祭)の際の作。芭蕉51歳。
 元禄7年6月2日、江戸芭蕉庵において寿貞尼死去。享年不詳。
 寿貞の死を芭蕉が知ったのは6月8日 、京都嵯峨野の落柿舎でのこと。その際の芭蕉の心情は、村松猪兵衛宛書簡に詳しい。

数ならぬ身とな思ひそ玉祭

 寿貞尼という女性の人物像は杳として知られていない。芭蕉との関係も表現に困難を来す。ただ、芭蕉のような巨人の周辺に居ながらエピソードが全くといっていいほど残っていないところを見ると、彼女には格別の才能が有ったとか、身分が高かったとか、美貌に優れていたとかいうことはなかったのであろう。それだけに、文字どおり「数ならぬ身」だったのかも知れない。あるいは、生前寿貞尼は、自分が「数ならぬ身」であると卑下し、それを芭蕉が慰めていたのかもしれない。一句は、寿貞尼への芭蕉の熱烈な愛情表現、少なくとも芭蕉にとって寿貞尼は絶対に「数ならぬ身」ではなかったのである。


上野市農人町愛染院にある「数ならぬ・・」の句碑(牛久市森田武さん提供)