芭蕉db

向井去来宛書簡

(元禄5年5月7日)

書簡集年表Who'sWho/basho


 去日芳翰両度*、このうち内記殿御下り*、其角まで御届け、いまだ御意を得ず、御宿も存ぜず候。ゆるゆる御滞留なさるべく候あひだ、そのうち御目にかかるべく候。いよいよ御無事に、元端老*御一家共に、別条御座無く申し候や。ここもと相変る儀も御座無く候。少々この方より御無音のかたに御座候。心底には日々書状相ととのへ申すべくと存じながら、人に紛らされ候て延引に罷り過ぎ候。さてさて御なつかしく、「なくてぞ人は」と詠みけむ*、別れて人は恋しとこそ存ずるにて候へ。
一、先書、史邦*こと委細に仰せ聞けられ候。奉公人の常、もつとも武士の覚悟にて御座候へば、驚くべき事にはあらず候へども、後の御状にこのこと御座無く候あひだ、少々こと静まり候やと推察候。
 去歳、人々とりこみ、版木・三つ物*などとて少しは騒ぎ過され候へば、佞者のにくみたるべく候*。もつとも、これまた世の常にて御座候。なにさま*、かやうのところも存ぜざるにはあらず、随分他のまじはり御やめ、是非貧着*これ無きやうに、まことに忍び忍び御修行あれかしと存じたることに御座候。
 拙者などながながと逗留、これまた史邦子ためには大害の御事どもに存じ候。もし静まり候はば、いよいよ張り合ひにならざるやうに*、少しは御遠慮の体然るべく候。破れて御退き候段*、是非無きことに候。すなはち人の平生かくのごとくに御座候。近き便、今一左右*つぶさに承りたく存じ候。
一、団水*こと、貴宅へ参り候よし、そのままになさるべく候。定めて是非の凡俗たるべく候*
一、加賀句空*上京、すなはち御会ひなされ候よしにて、半歌仙遣はされ候。別に悪しき所も見え申さず候。相手業にて候へば、この位もつともたるべく候。「雉子ほろろ」感心申し候*
一、珍碩のぼり候とて、好春亭*へ御同道、一順、これまた一覧を遂げ候*。なにさま珍碩め作者*にて御座候。随分に何事にても御知らせなさるべく候*。面上談話の心にて、芳志・寸志、露命の楽しみ、過ぐるもの御座無く候。
一、この方俳諧の体、屋敷町・裏屋・背戸屋・辻番・寺かたまで、点取はやり候。もつとも点者どものためには、よろこびにて御座有るべく候へども、さてさて浅ましく成り下がり候。なかなか「新しみ」など「かろみ」の詮議思ひもよらず、随分耳に立つこと、むつかしき手帳をこしらへ*、「磔」「獄門」巻々に言ひ散らし、或は古き姿に手重く*、句作り一円きかれぬこと*にて御座候。愚案この節、巻きてふところにすべし*。予が手筋かくのごとしなど顕し候はば、もつとも荷担の者少々一統致すべく*、然らば却つて門人どもの害にもなり、沙汰もいかがに料簡致し候へば、余所に眼を眠り居り申し候。
 その中にも、其角は紛れず居り申し候。これも世上をにくみ候て、当年はしひて俳諧・発句致さず候。愚老へ深切に相勤め候。前々よりは年もかさなり候ゆゑか、よろずおとなしく、大悦に存じ候。嵐雪もつとも無為なる者*にて候ゆゑ、前々と相変らず相勤め候。
一、愚老住所、内々申し進じ候通り、橘町と申して、浜丁にて越前殿上がり屋敷の跡新地、江戸はづれながら江戸なか遠くもあらず候。人の住み捨てし明店、勝手よろしきやうに調度までしたため置き候へば、霜月・師走、壁一枚ぬることもならざる時節ゆゑ、年明け候はば早々いづかたになりとも小庵結び候て、引き籠り候までの足休めと存じ候て、越年までの心にて御座候へども、少々江戸筋へ出で候*を人も不審がり候体候。常人の目の付けどころ、をかしく浅ましく候。それゆゑ、却つて当五月まで、そのまま住居致し候。幸ひと桃隣など、人にちなみのため、かたがた以てうるさき所に、ながなが居り申し候。やうやう暑さに向ひ、うつとしく候あひだ、近国遊山にと心がけ候を、ほのかに杉風・濁子、そのほか枳風・李下、深川の者どもなど見とがめ候て、卯月初より深川に草庵とりかかり、頃日既に成就候。九日・十日の内に移り申し候。跡の店には桃隣を残し候。是非もなき汚泥の中に落ち入りて、名利の点者となり果て候はんも不便ながら、先づ我ら召しつれ候者とて、其角など連衆残らず取り持ち、目をかけ候て、跡に残し候ほどには仕寄せ候へば*、愚眼よりは不便に存じ候へども、ぬし*は本懐の体によろこぶ気色にて御座候。そのひろめに、集も夏秋かけてと存ずるにて御座候。若輩より我ら存知の者にて、うつけぬ者にて御座候へども、ひさびさ離別、いかなる心入れにやと予ては存じ候へども、さてさて見事なるやつにて、病養の手助け、朝暮の働き、残るところも御座無く、それゆゑ其角も情深く存じ、もつとも杉風・嵐蘭ごとき者も褒美致し候*。なるほど跡に残し候ても気遣ひ御座無く候。
 盤子*は二月初めに奥州へ下り候。いまだ帰り申さず候。こいつは役に立つやつにて御座無く候。其角を初め連衆皆々にくみ立て候へば、是非無く候。もつとも投節何とやら踊り*などで、酒さへ飲めば馬鹿尽し候へば、愚庵気を詰め候こと成りがたく候*。定めて帰り候はば上り申すべく、そこもとへ訪ね候も御覚悟になさるべくと存じ候ゆゑ、内語*かくのごとくに御座候。史邦へもひそかに御伝へ、沙汰無きやうに*御覚悟なさるべく候。
一、史邦首尾、はやはや御知らせ、この書状御見せ下さるべく候。
一、野童丈*へ御申し下さるべく候。三翁公*より御招き候へども、例のむつかし*、いまだ御目にかからず候。  以上
      五月七日              ばせを
去来様
 なほなほ、当暮には、また上り申すべくと存じ候*ところ、杉風、庵を結び候あひだ、今年は江戸にて月雪を楽しみ申すにて御座有るべく候。

書簡集年表Who'sWho/basho


 江戸橘町仮寓発の書簡としては最後のもので、京都の去来宛に書いた書簡。実に様々なことが書かれていて貴重な真蹟書簡である。なかでも、甥の桃隣についての記述は、芭蕉が桃隣の才能をほとんど認めていないこと、また点取り俳諧を激しく非難しながら桃隣については矛先が鈍る風もあって、血の道の複雑さを垣間見せている。
 そのた各務支考について、評価の辛い割には愛着している風があるが、二人の間には微笑ましい師弟間の感情があったのかもしれない。それかあらぬか支考は芭蕉の2年後の臨終に誠心誠意付き添っている。
 しかし、書簡全体は点取り俳諧の横行と、自身が提唱する「軽み」の隔たりを非難してやまない点で、この時期の芭蕉の最大関心事が伺われる。