芭蕉db

去来宛書簡

(元禄4年3月9日 芭蕉48歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


飛脚便御芳翰、舒巻再三御懐敷而已奉存候*。愈御無事之由珎重*、残生持病常之通に罷有候へ共*、春気気晴ふらふらといたし、此境又退窟(屈)に及候間、追付罷立候*。道々日を重ね候も、一六七之間京着と御待可成候*。此度不意に嵐蘭上り候而柴扉に尋*、一日滞留、終日語りつゞけ候而いまだ名残、京都にて再会と契置候。出京は全貴様に懸御目度存念之由に御座候*。加生事も噂いたし、尤可御目よし、よろこばれ候*
去町屋、牢人めきたるも二三日も留置候半は、大屋手前、我等も、加生も気之毒に存候間、元志老か嵯峨之別墅か、御心当被成可下候*。京三日之滞留と被申、尤緩りとは居被申まじく候間*、若遠方御出之御心指御座候共、此仁御待請被成可下候*。器量之勇士にて御座候間、御心ざし相叶可申と*、御出合、拙者も一入大慶に存候*
雛、扨々感悦申候*。五文字も少心ゆかぬやうには御座候へ共、心を付て置候はゞ、若ゑびす、人の代や、と云たぐひに成候間*、左気付可下候*。其まゝ御用可然候半歟*
夜吟、新意明に顕候*。殊之外よろしく候。猶追々御つゞけ、歌仙に御仕立可成候*
三吟早(半)哥仙珎重*。如仰、去歳より之ねがひ*,哥仙数日をこめ候を気の毒と、色々工夫申候處、三刻に不及就成(成就)候事、是以珎重不斜候*。懐帋之趣は少々糊気見え候へ共*、惣躰新意を心指所ほのぼのと見え候而、先よろしき方に可評にや*
一、越人猫之句、驚入候*。初而彼が秀作承候。心ざし有ものは終に風雅の口に不出といふ事なしとぞ被存候*。姿は聊ひがみたる所も候へ共*、心は高遠にして無窮之境遊しめ、堅(賢)愚之人共にをしえたるものなるべし。孔孟老荘之いましめ、且佛祖すら難忍所*、常人は是をしらずして俳諧をいやしき事におもふべしと、口惜候。
一、しまのほとりのあまと見給ふ*、秀作、なみだうかぶばかりに、又お(を)かしく候。
一、夢鹿より預書状候へ共、追付参候間、不返翰*。嵐蘭同道可致候間、是も一宿と御待候へと,御逢之砌御傅可成候*。句々手柄之段々御□越大悦に存候。しばらく(の)間上達うたがひなく候。野水よりも案内、頓而面談、此度延引、御心得御申可下候*
一、亡人御跡之事御取持被成候由、御尤千萬に存候*。随分御心を可盡候。

三月九日                            芭蕉子


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 宛名と年号を欠くが、伊賀滞在中の芭蕉が、京都の去来に宛てた1通であることが分かっている。伊賀上野を嵐蘭が訪問し、京の去来にも会いたいというのでその紹介状の役割をも果している書簡である。