芭蕉db

向井去来宛書簡

(元禄7年9月10日)

書簡集年表Who'sWho/basho


 牡丹の便の御報ながら*、つぶさに相達し候。御無異に御暮しなされ候よし、満悦浅からず存ぜられ候。牡丹のよろこび、おほかたならず*、拙者よりよくよく礼申し進じ候へと申され候。よき木をつかはされ、拙者別して珍重に存ぜられ候。
 拙者、八日に伊賀を出で候て、九日大阪へ到着いたし候。洒堂亭を仮の旅宿と相定め候。少々、昨日より今日にかけて、近付きに罷り成り候*。何とぞ目に立たぬやうに、おとなしくあしらへかしと存ずることに候*。貴様も一夜泊りになりとも御入来候はば、大悦本望たるべく候。
一、『猿蓑後集』*、伊勢より支考参り候を相手に*、やうやう仕立て候。いそがしまぎれに取りかため候へば、心もとなく存じ候へども、前集に大負けはすまじきやうに存じ候。もつとも、下見・板のあらまし*、またまた貴様お世話なされ下されず候はでは、成り申すまじく候。
『浪化集』*沙汰なきよし、心もとなく存じ候。発句ども、御集め置きなさるべく候。
一、『続猿蓑』清書、もし平助御頼み下され候はば*、成り申すまじく候や。手初心に候へども、臥高にさせ申すべく候や*。近ごろ残念に候*。おつつけそこもとへ上せ申すべく*候あひだ、序文早早御越し下さるべく候。いかやうとも相談いたすべく候*
一、すなはち板のこと申しつかはし候あひだ*、たしかなる便に、この書状江戸へ急便に頼み存じ候。 以上
  九月十日                       ばせを
なほなほ、ここもと様子、定めがたき体に候*。ふと発足の気味も知れず候*。金二歩ばかり、御才覚御越しなされ下さるべく候。返進いたすこと*、急なることも、のびのびなることも御座有るべく候。その段、拙者勝手になされ下さるべく候。また、返進せぬことも御座有るべく候。

 芭蕉は、元禄7年9月8日伊賀を立って、奈良経由で大坂に向かう。随伴するもの支考、素牛、 二郎兵衛、松尾又右エ門(およしの娘婿と思われる)の4人。芭蕉は、出発前に顔に斑点ができるなど体調極めて悪かった。伊勢街道を奈良に向かうが途中笠置と加茂の間のたった二里を舟に乗らなければならなかったほどである。
 本書簡は、大坂洒堂亭で京都の去来宛に書いたもの。『続猿蓑』所載の作品の編纂の進捗状況と出版についての去来への依頼などが書かれている。
 芭蕉の思いとしては大坂には長逗留するつもりはなかったらしく、支考のために伊勢に移動のためのお金の工面をも依頼している。その金については、追伸で返却する予定が無いと言っているが、スポンサー去来との金銭関係が見えて面白い。また要求金額も半両と極めて小額であるのは、芭蕉の経済観念の淡白さの証拠として興味がある。なおこの日は杉風宛書簡も執筆している。