芭蕉db

杉風宛宛書簡

(元禄7年6月3日 芭蕉51歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


 再興中々冷じき事共にて、頃日小庵もむすばせ、愈山田暫クとヾむる目論に相定候*。珍夕段々れきれきの弟子共つのり候而、能□致候。珍夕連中よりも京都へ飛脚音物など相勤、大坂へまねき、色々ねがひ申候。珍夕・之道両人さまざまねがひ候間、暑気去り候はヾ、しばしの逗留に下り申候事もあるべく候。
一、許六よりも便宜に書状大津迄被越候*。是よりもわりなく被申候へ共、とかく暑之内は難参候*。其上逗留之間□なき内、爰かしこ精気つヾきかね可申候。下りがけにも立寄可申候。伊賀へも盆の内立寄可申与存候*。蝋地がみ段々さまざま御座候*。餘り上品もいらざる事と存、常の内上々を拾牧(枚)調申候。子珊・貴様両方御用可成候。
   六月三日                          はせを書判
  杉風様

   柳小折片荷は凉し初眞桑

珍夕哥仙、寄合一巻致候。

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 去来の別荘落柿舎から江戸の杉風に宛てた書道紙に同封した書簡。支考の伊勢での活躍や、今後の日程が伊勢・大坂・伊賀・彦根・江戸と盛沢山であったことが知られる。