芭蕉db

浜田珍夕/珍碩(洒堂)

(はまだ ちんせき / しゃどう)

(〜元文2年(1737)9月13日)

Who'sWho/年表basho


 近江膳所の医師で、菅沼曲水と並んで近江蕉門の重鎮。元禄2年入門。洒楽堂(しゃらくどう)住人で、芭蕉が招かれて、ここを讃美した『洒楽堂の記』がある。珍夕は初期の号で後に洒堂と改号した。努力の人で、元禄5年秋には、師を訪ねて江戸に上って俳道修業の悩みを訴えたりしている。これに対して、芭蕉は一句詠んだ。洒堂は後に大坂に出てプロの俳諧師となる。ここで,之道との間で勢力争いの確執を起こし、芭蕉は元禄7年その仲裁に大坂に赴き不帰の人となった。その元禄7年秋に、洒堂は死の直前の芭蕉と一緒に一夜を過した。そのとき、既に疲労していた芭蕉は、洒堂の鼾に随分閉口したらしい。
 洒堂は、長年眼疾を患っていた。『ひさご』の編集人。

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洒堂宛書簡 (元禄3年4月16日)

珍夕宛書簡1元禄3年6月26日

珍夕宛書簡2(元禄4年2月22日)

珍碩宛書簡3(元禄5年2月18日)

芭蕉宛書簡(元禄7年8月3日)

洒堂の代表作