續猿蓑

巻之下

穐之部


 

  名 月

                 はせを
名月に麓の霧や田のくもり

名月の花かと見えて棉畠

ことしは伊賀の山中にして、名月の夜この
二句をなし出して、いづれか是、いづれか
非ならんと侍しに、此間わかつべからず。
月をまつ高根の雲ははれにけりこゝろある
べき初時雨かなと、圓位ほうしのたどり申
されし麓は、霧横り水ながれて、平田(し
ょうしょう)と曇りたるは、老杜が唯雲水
のみなり、といへるにもかなへるなるべし。
その次の棉ばたけは、言葉麁にして心はな
やかなり。いはヾ今のこのむ所の一筋に便
あらん。月のかつらのみやはなるひかりを
花とちらす斗に、とおもひやりたれば、花
に清香あり月に陰ありて、是も詩哥の間を
もれず。しからば前は寂寞をむねとし、後
は風興をもつぱらにす、吾こゝろ何ぞ是非
をはかる事をなさむ。たヾ後の人なをある
べし。                   支考評

 

名月の海より冷る田簔かな      洒堂
<めいげつの うみよりひえる たみのかな>。「田蓑」は、現在の大阪市西成区津守町にあったという禊(みそぎ)の場所(『大字林』)。名月の晩、田蓑島で美しい月を見ていると、海から冷えてくる寒さが身を包む。

名月や西にかゝれば蚊屋のつき    如行
<めいげつや にしにかかれば かやのつき>。夜も更けて月を眺めるのもくたびれた。さいわい月は西に傾いたので、蚊帳の中に寝転がって観賞することとしよう。

ものものの心根とはん月見哉     露沾
<ものものの こころねとわん つきみかな>。八月十五夜の月に照らされた全てのものたちはみな美しい。これがこれらの本性なのか否か聞いてみたい。

ふたつあらばいさかひやせむけふの月 智月
八月十五夜の月、こんなに美しい月ならもう一つあってもいいように思うが、これで本当に二つあったら、どちらが美しいかといって争いになるのだろうなぁ?

名月や長屋の陰を人の行       闇指
<めいげつや ながやのかげを ひとのゆく>。中秋の名月の陰がくっきりと長く続く武家屋敷。その陰の中をひとり誰かが歩いていく。

名月や更科よりのとまり客      凉葉
<めいげつや さらしなよりの とまりきゃく>。名月の秋の夜。今夜はあの月の名所更科から客人が来ている。多分、芭蕉と「更科紀行」を終えて江戸までついてきた越人ではないか。

名月や灰吹捨る陰もなし       不玉
<めいげつや はいふきすてる かげもなし>。「灰吹」は、タバコ盆に付属した竹筒で、タバコの灰・吸い殻などを落とし込むもの。吐月峰(とげつぽう)(『大字林』)。名月の明るさの中、灰吹きの汚い灰を庭に捨てるなんて下品なことはできる雰囲気ではないのである。

中切の梨に氣のつく月見哉      配力
<なかぎりの なしにきのつく つきみかな>。「中切」とは、中門のこと。普段気がつかない中門の脇の梨の木に梨の実がなっているのを月見の散歩中に見つけた。月の明るさと、感覚の変化。

名月や草のくらみに白き花      左柳
<めいげつや くさのくらみに しろきはな>。月のあかりに生い茂った雑草が黒々と陰を作り出している。しかし、その中にある白い花がかすかな明かりの中で浮かび上がる。陰影の描写に成功した句。

明月や遠見の松に人もなし      圃水
<めいげつや とおみのまつに ひともなし>。「遠見の松」とは、丘の頂など小高いところに植えられた松。ここからの眺めがよいのでこう呼ばれる。中秋の名月のあかりに遠見の松が浮かび上がって見える。しかし、今夜そこには人影が無い。その松の枝にかかる月を見るのだから居るわけが無い。

おがむ氣もなくてたふとやけふの月  山蜂
<おがむきも なくてとうとや きょうのつき>。明月は「真如の月」ともいう。普段、とりたてて仏心があるというのではない私だが、この仲秋の明月を見ていると思わず知らず信仰心が湧いてくる。

明月や寐ぬ處には門しめず      風国
<めいげつや ねぬところには かどしめず>。名月の夜、明月の客を待っている家では、門を閉めずにいる。大変奥ゆかしい。

名月や四五人乗しひらだぶね     需笑
<めいげつや しごにんのりし ひらたぶね>。「ひらだぶね」とは、吃水(きつすい)の浅い、細長い川舟。時代・地域により、大きさ・舟形もさまざまで、古く上代から江戸時代まで、各地の河川で貨客の輸送に使われた。ひらたぶね(『大字林』)。ひらた舟に乗って月見をしている四五人の人。川面に揺れる月を見ようという趣向なのだろう。作者需笑<じゅしょう>については未詳。

老の身は今宵の月も内でみむ     重友
<おいのみは こよいのつきも うちでみん>。若い時分は一晩中外を歩きまわって月を眺めたものだが、もはや歳。家の縁側に腰掛けてじっくり見るだけだ。それもまたよしだ。重友<じゅうゆう>は未詳。

明月にかくれし星の哀なり      泥芹
<めいげつに かくれしほしの あわれなり>。月の明るさで見えなくなってしまった星たち。何だか気の毒な気がする。泥芹<でいきん>は不明。

いせの山田にありて、かりの庵をおもひ立け
るに

二見まで庵地たづぬる月見哉     支考
<ふたみまで いおちたずぬる つきみかな>。仮の草庵を伊勢の国内で探しているうちに、遠く二見浦まで来てしまった。丁度今宵は八月十五夜。二見浦で明月に会うとはなんと素晴らしいことか。元禄7年の秋。支考は伊勢にいて芭蕉を待っていたのである。この日、芭蕉は上野に滞在して、冒頭の句を詠んだ。

芥子蒔と畑まで行む月見哉      空牙
<けしまくと またまでいかん つきみかな>。古来、ケシのタネを蒔く季節は八月十五夜の頃がよいとされている。今夜はその夜。畑にケシを蒔きに行こう。本当は月を見たいのだが、いい口実になるので。

の名の五助と共に月みかな     如眞
<かきのなの ごすけとともに つきみかな>。「五助」は柿の名だが、月見をその柿の木の下でしている。今宵の月見は五助と一緒というわけだ。

山鳥のちつとも寐ぬや峯の月     宗比
<やまどりの ちっともねぬや みねのつき>。「足引きの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」(『万葉集』)などと詠まれているが、今夜の明るい月の下では、山鳥もよもや眠れまい。

名月や里のにほひの青手柴      木枝
<めいげつや さとのにおいの あおてしば>。「青手柴」が意味不詳。よって、解釈不能。木枝<ぼくし>については未詳。

に居て月見ながらや莚機      利合
<にわにいて つきみながらや むしろばた>。昔、兼好法師は貧しくて、筵を織って生計を立てたというが、風流を愛した人だから、明月の晩には庭に筵機を出して、月見をしながら筵を織ったことであろう。

明月や聲かしましき女中方      丹楓
<めいげつや こえかしましき じょちゅうがた>。明月を見物の一行の中にお女中方がいるらしい。先ほどからなんとも喧しいのだが、あれでも風流を楽しみに来たというのであろうか?? 丹楓<たんぷう>については未詳。

明月や何もひろはず夜の道      野萩
<めいげつや なにもひろわず よるのみち>。名月の夜、まるで真昼間のように明るいが、それなのに街道を歩いてきて何も拾わずに来た。あまりに月が美しくて、下を見ることがなかったのである。

飛入の客に手をうつ月見哉      正秀
<とびいりの きゃくにてをうつ つきみかな>。月見の句会でもあったか。遠路から飛び入りの参加者だが、明月の美しさによっている一座の者たちはすぐに打ち解けて、客人を賞賛する。これも明月の効果か。

淀川のほとりに日をくらして
舟引の道かたよけて月見哉      丈草
<ふなびきの みちかたよけて つきみかな>。淀川の舟運は、下りは船頭だけで下れるのだが、上りは川岸から強力が綱で曳いたのである。その道は、中秋の名月の晩でも使うので、月見の客はそこを避けて月見をしなくてはならなかったのである。

待宵の月に床しや定飛脚       景桃
<まつよいの つきにゆかしや じょうびきゃく>。「定飛脚」は、江戸・京・大坂を結ぶ定期飛脚便。月に三度双方向に発信した。「待宵の月」は、14日の月のこと。昼のように明るい14日の月夜。飛脚が走るのを見てみたいものだ。この時代、夜間の走破は許されなかったが、明るい月夜なら走りたいだろうという作者の想像が込められているのかも。作者景桃<けいとう>は京都の人。神御霊社別当。俳号は示右<じう>。この当時は少年で12歳だったといわれている。

家に三老女といふ事あり。亡父将監が秘
してつたへ侍しをおもひ出て
姨捨を闇にのぼるやけふの月     沾圃
<おばすてを やみにのぼるや きょうのつき>。「三老女」は、老女を主人公とする能。「関寺小町」「檜垣(ひがき)」「姨捨(おばすて)」を言う。他に、「鸚鵡(おうむ)小町」「卒塔婆(そとわ)小町」を加えて老女物は五曲ある(『大字林』より)。沾圃は宝生流第10代大夫、その父が将監である。信州姨捨の月は、三明月と言われる月の名所。姨捨の月は、姨捨の執心の闇の中を通過して、天に上って照らすのである。

おきて月入あとや塀のやね     馬見
<つゆおきて つきいるあとや へいのやね>。十五夜の月が西の空に消えて明け方の冷気は塀の屋根に梅雨を結露させた。それが明月の余韻のように薄鈍く光っている。

月影や海の音聞長廊下        牧童
<つきかげや うみのおときく ながろうか>。月夜の照らす長廊下。外は八月十五夜の月がこうこうと照っているものの、廊下の床はかえって暗い。そこへ海の波の音が絶えず聞こえている。静寂な空間。

深川の末、五本松といふ所に船をさして
川上とこの川しもや月の友      芭蕉

十六夜はわづかに闇の初哉      仝

いざよひは闇の間もなしそばの花   猿雖
<いざよいは やみのまもなし そばのはな>。芭蕉の句のように、十六夜は僅かな闇があるのだが、蕎麦畠のここでは秋蕎麦の花が真っ白く咲いて、闇を消す。そこへ十六夜の月が出てくる。だから闇は無い。

  七 夕

更行や水田の上のあまの河      維然
<ふけゆくや みずたのうえの あまのかわ>。七夕の夜が更けていく。秋になっても、水を湛えた田んぼには天の川が横たわる。

星合を見置て語れ朝がらす      凉葉
<ほしあいを みおきてかたれ あさがらす>。朝烏よ、お前が朝の到来を告げるについては、昨夜の星の逢瀬のことをよくみたままに語れよ。「星合」とは、七夕の牽牛と織女のおう瀬のこと。

船形の雲しばらくやほしの影    東潮
<ふななりの くもしばらくや ほしのかげ>。七夕の二星は舟に乗って天の川を渡るといわれている。ちょうど今船形をした雲が星空を横切ろうとしているが、雲よ折角だから牽牛織女の二星を乗せてあげてくれないか。
 東潮<とうちょう>は、出羽米沢の人。和田氏。芭蕉死後嵐雪派についた。

たなばたをいかなる神にいはふべき  沾圃
<たなばたを いかなrかみの いわうべき>。七夕の行事は古来人々に祀られてきたが、それでいてこれを何と云う神とするのかはっきりしていない。

朝風や薫姫の團もち         乙州
<あさかぜや たきものひめの うちわもち>。「薫姫<たきものひめ>」は、織女の別名。この他にも6つの名前がある。織女に風を送っていた団扇持ちの女性が扇ぐ風がいま秋の朝風となって涼しく吹いてくることだ。

  立 秋

ぬかや庭に片よる今朝の秋     露川
<あわぬかや にわにかたよる けさのあき>。昨日脱穀したアワの殻が夕べの風で庭の隅にかき集められた。この風は、いよいよ秋の到来を知らせる風なのだ。

秋たつや中に吹るゝ雲の峯      左次
<あきたつや ちゅうにふかるる くものみね>。「中」は中空の意味。秋になって、あんなに元気のよかった入道雲も勢いを減じて強い秋の風に吹かれて倒れかかるようになってきた。左次<さじ>は、尾張名古屋の僧侶。

  穐 草

朝露の花透通す桔校(梗)かな     柳梅
<あさつゆの はなすきとおす ききょうかな>。朝露をいただいた桔梗の紫の花。その高貴な色彩は露を通過して、露があるのさえ分からない。

細工にもならぬ桔梗のつぼみ哉    随友
<さいくにも ならぬききょうの つぼみかな>。桔梗のつぼみは緑色の五角錐のような形をしている。実に幾何学的な美しさで、これを細工で作るのは不可能だろう。

女郎花ねびぬ馬骨の姿哉       濁子
<おみなえし ねびぬばこつの すがたかな>。「ねびぬ」というのは、老いていない、の意。「馬骨」とは、昔清少納言が引退しているところへ若い公家がやって来て老いたことを罵倒したのを見事にたしなめたという逸話をいう。一句の意味は、女郎花は、馬骨の話をした清少納言のように歳をとってもかくしゃくとして老いさらばえぬのに似ていることだ、ということ。

をみなえへし鵜坂の杖にたゝかれな  馬見
<おみなえし うさかのつえに たたかれな>。「鵜坂の杖」とは、越中富山の鵜坂神社では不義密通した女は、その密通の数だけお尻を叩かれるというなんとも野蛮で女性蔑視の習慣があった。これより、オミナエシは「女郎」花というくらいだから、身持ちが悪く鵜坂明神にお尻を叩かれろと言うのである。

一筋は花野にちかし畑道       烏栗
<ひとすじは はなのにちかし はたけみち>。畑に通う道。その一筋の道には秋草の花が咲き誇る。百姓たちにもある美意識をめでたいものだ。烏栗<うりつ>は、伊賀上野の人。来川氏。

弓固とる比なれば藤ばかま      支浪
<ゆみがため とるころなれば ふじばかま>。「弓固」とは、弓の製作時または修繕時や休息時や運送時に型をつけるために用いる治具または保護具。ここでは後者。フジバカマの花の咲く秋ともなれば、夏場休ませておいた弓の弓固めをはずして、そろそろ試射を始めるか。

贈芭蕉
百合は過芙蓉を語る命かな      風麥
<ゆりはすぎ ふようをかたる いのちかな>。百合の季節は終わって今はもう芙蓉の咲く季節。芙蓉の花は、朝に咲いて夕べには散ってしまう。その命の短さを花の移り変わりに感じさせられることよ。

さよ姫のなまりも床しつまぬ花    史邦
<さよひめの なまりもゆかし つまぬはな>。「さよ姫」とは、宣化天皇二年(6世紀)十月、百済救援を命じられた大伴狭手彦は遠征の途次、肥前国の松浦佐用姫を妻とする。そして、別れの時、佐用姫は出征のために船出する狭手彦を見送って山の頂きから領巾を振って嘆き悲しんだ。悲しみのあまり石になってしまった、という。「つまぬ花」はホウセンカのこと。ホウセンカを見るとさよ姫のことがしのばれるというのであろうが、根拠が不明。原典の『芭蕉庵小文庫』では上五は「玉かづら」だが、これでも意味は不明のままだ。

のぼる葉は物うしや鶏頭花     万乎
<かれのぼる ははものうしや けいとうげ>。鶏頭の花は、つぎの芭蕉句にもあるように、初秋から秋一杯咲いているが、晩秋ともなると葉は下から枯れて落ちていく。それでも花は咲いている。この風景は見ようによっては、花ばかりいいおもいをして鬱陶しくもある。

鶏頭や鴈の來る時なほあかし     芭蕉

鶏頭の散る事しらぬ日數哉      至暁
<けいとうの ちることしらぬ ひかずかな>。実際、ケイトウの最大の欠点は花が長く咲きすぎるということに尽きる。やはり花の命は短いのがよいらしい。

折々や雨戸にさはる萩のこゑ     雪芝
<おりおりや あまどにさわる はぎのこえ>。萩の枝が雨戸にそっと触ってかすかな音がするなどというのは、誰か待ち人のきぬずれのようでなまめかしいのだが、秋も盛りのいま萩もすっかり枝を伸ばして折々に雨戸にさわって音がするようでは風情も少々減ずるのではないか。

蔦の葉や残らず動く秋の風      荷兮
<つたのはや のこらずうごく あきのかぜ>。蔦の葉が秋風に吹かれている。それが全部の葉が同期して動くので面白い。

山人の昼寐をしばれ蔦かづら    加賀山中桃妖
<やまびとの ひるねをしばれ つたかずら>。山林作業をもっぱらとする山人は木の上で平気で寝る。よく落っこちないものだが、蔦かずらよ彼等をしばって落ちないようにしてあげな。

風毎に長くらべけり蔦かづら     杉下
<かぜごとに たけくらべけり つたかずら>。秋風の吹くたびに蔦の蔓たちは、長いの短いのがその丈を比べあっているようで面白い。杉下<さんか>について不明。

  朝 が ほ

朝顔の莟かぞへむ薄月夜      田上尼
<あさがおの つぼみかぞえん うすづきよ>。寝付けない初秋の夜。表は薄月夜。明日の朝咲く朝顔は月明りの中にも色が変って見える。その数を数えて秋の夜長を過ごしている。この月は、満ちたときに八月十五夜の月になるのであろう。

あさがほの這ふてしだるゝ柳かな   闇指
<あさがおの はうてしだるる やなぎかな>。朝顔の蔓が柳の木に絡みついている。

も有あさがほたもて錫の舟     風麥
<みずもあり あさがおたもて すずのふね>。錫製の平底の花生けに水も一杯入れたのだから、さした朝顔をちゃんと活けてくれ、といっても蔓では垂れてしまってうまくいかない。朝顔はやはり一輪挿しでないと。

朝貌にしほれし人や鬢帽子      其角
<あさがおに いそれしひとや びんぼうし>。「鬢帽子」は、鉢巻をしてその結び目を鬢のところに下げたスタイル。朝顔の淋しく咲いている姿は、鬢帽子の人の面影にどこか似ている。どのように似ているのかよく分からない。

  虫 附 烏(鳥)

きぼうしの傍に經よむいとヾかな  可南
<ぎぼうしの そばにきょうよむ いとどかな>。「いとど」は、ムシの名前でコウロギのこと。「ぎぼうし」は、ユリ科の多年草。山中に生え、また庭園に植える。広卵心形・披針形などの葉が根生する。主に夏季、花茎の上方に淡紫色または白色の鐘状の花を総状につける。トウギボウシ・タマノカンザシなど多くの種がある。ぎぼし(『大字林』)。
 ぎぼうしの傍でコウロギが経を読んでいる。感心なことだ。

竈馬や顔に飛つくふくろ棚      北枝
<こうろぎや かおにとびつく ふくろだな>。「ふくろ棚」とは、床の間の脇に設けられ、引き違いの襖(ふすま)をつけた戸棚。多くは違い棚と組み合わせて用いる。天袋や地袋など。袋戸棚(『大字林』)。袋戸棚の戸を開けたらとたんにコウロギが顔に飛びついてきた。さぞやびっくりしたことであろう。

の消て胴にまよふか虫の聲     正秀
<ひのきえて どうにまようか むしのこえ>。「胴」は、「途<みち>」の誤記か。明かりを消されたら虫たちが騒がしくなった。道に迷って周章狼狽しているらしい。

秋の夜や夢と鼾ときりぎりす     水鴎
<あきのよや ゆめといびきと きりぎりす>。「きりぎりす」はコオロギのこと。秋の夜長は眠るのにも飽きてしまうぐらい。ふと目覚めていると、そこへ大きないびき、くわえてコオロギの鳴き声。その賑やかさに再び寝付けない。

みの虫や形に似合し月の影      杜若
<みのむしや なりににあいし つきのかげ>。秋の月の夜。薄ぼんやりした夜の景色の中に蓑虫がぼんやり見える。こんな風情が蓑虫にはちょうど良い。

蜻蛉や何の味ある竿の先       探丸
<とんぼうや なんのあじある さおのさき>。トンボが竿の先にとまって、お尻を上げて竹ざおの先を舐めるような姿勢をしている。竹竿の先端は、どんな味がするのであろう。

蟷螂の腹をひやすか石の上      蔦雫
<かまきりの はらをひやすか いしのうえ>。蟷螂が石の上に腹ばいになって動かない。石の冷気を腹から取り込んでいるのだろうか。

の実に輕さくらべん蝉の空     示峯
<はすのみに かるさくらべん せみのから>。ハスの実は、熟すと殻から飛び出してはじけて遠方へ飛んで行く。その身軽さは大変なものだ。それは蝉の抜殻と比べてどちらが軽いだろう。

ぬけがらにならびて死る秋のせみ   丈草
<ぬけがらに ならびてしぬる あきのせみ>。夏の蝉が死んでいる。自らの抜殻の傍で死んでいる。

がねにゆらつく浦の苫屋哉     馬見
<かりがねに ゆらつくうらの とまやかな>。定家の歌「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」というが、今ここに見える苫屋は、空を渡る雁の羽音にも揺れそうなあばら家だ。

鶺鴒や走失たる白川原       氷固
<せきれいや はしりうせたる しらかわら>。「白川原」とは、水害の後で何もかも流されて白ちゃけ荒れ果てた原のこと。そんな場所にセキレイがすばやく走り抜けて見えなくなった。

粟の穂を見あぐる時や啼鶉      支考
<あわのほを みあぐるときや なくうずら>。俳画には鶉とアワは定番である。そして決まって鶉は稗や粟の根方にとまっていて上を見上げながら啼いている。あの口を開けた図柄は、アワの穂を見て食べたくて啼いているのかしら?

老の名の有ともしらで四十雀     芭蕉

  穐 風

秋かぜや二番たばこのねさせ時    游刀
<あきかぜや にばんたばこの ねさせどき>。「二番たばこ」は、初秋の頃、二度目で出た葉を収穫するたばこのこと。これを摘んだあと、筵をかけて一晩寝かせたあと、一枚一枚日陰干しするのである。

雀子の髭も黒むや秋の風       式之
<すずめごの ひげもくろむや あきのかぜ>。春から初夏に生れた雀の子も、秋風の吹く今頃になると、口の周りに髯が黒々と生える。もうすっかり大人だ。

何なりとからめかし行秋の風     支考
<なんなりと からめかしゆく あきのかぜ>。「からめかす」は、「殻にする」、「空にする」、「唐にする」など多義的な意味を込めた。秋風は、何もかも乾燥させて、カラカラと空虚な音をさせる。秋風は西から吹いてくるので、中国から吹いてくるので、何もかもを唐風にする。

松の葉や細きにも似ず秋の聲     風國
<まつのはや ほそきにもにず あきのこえ>。松の木が上げる風の音は松風というが、なんて淋しい音を出すのであろう。その葉の一本一本はごく細い糸のような葉だというのに。

をのづから草のしなへを野分哉    圃燕
<おのずから くさのしなえを のわきかな>。秋になって夏草どもは皆立っているのがやっとというように弱っているのに、台風は容赦なく草の原を掻き分けて通過していく。これで皆倒れてしまうのである。
 圃燕<ほえん>については未詳。

ふんばるや野分にむかふはしら賣   九節
<ふんばるや のわきにむかう はしらうり>。柱売りの山人があろうことか台風の日にやってきた。想い柱を担いで風に必死に耐えている。なんと無駄なことを。

あれあれて末は海行野分かな     猿雖
<あれあれて すえはうみゆく のわきかな>。さんざんに暴れまわって文字通り野を分けていった台風がようやく去っていったが今頃は海の上を分けながら暴れているのであろう。

  稲 妻

独いて留守ものすごし稲の殿    少年一東
<ひとりいて るすものすごし いねのとの>。「稲の殿」とは、稲妻のこと。僕は一人留守番をしていました。そこへ雷様がやって来て、僕の頭の上でゴロゴロゴロゴロ。その怖いことこわいこと。
一東<いっとう>は伊賀上野の少年。

稲妻や雲にへりとる海の上      宗比
<いなづまや くもにへりとる うみのうえ>。海上に稲妻が光る。そのたびに黒々とした入道雲の縁が金色に光る。まるで金糸で縁取りをしているような美しさだ。

明ぼのや稲づま戻る雲の端      土芳
<あけぼのや いなづまもどる くものはし>。昨夜暗くなってからやってきた稲妻(色男)が、また再び明け方になって、戻ってきたみたいに雲の端がまた光っている。稲妻には、稲にタネを宿す男の性的な暗喩が隠されているのである。

いなづまや闇の方行五位の聲     芭蕉

   木 實 附 菌

團栗の落て飛けり石ぼとけ      為有
<どんぐりの おちてとびけり いしぼとけ>。ドングリの実が落ちて、あいにくクヌギの木の下にあったお地蔵さまの脳天に当たった。当たったと思ったら、ドングリの実がびっくりしたように飛び跳ねた。

炭焼に澁柿たのむ便かな       玄虎
<すみやきに しぶがきたのむ たよりかな>。秋になって冬支度のために例年の通り山家の炭焼きに手紙を書いて炭を注文する。それに併せてこれも例年の通りだが渋柿も持ってくるように追記する。玄虎<げんこ>は藤堂藩藩士。

秋空や日和くるはす柿のいろ     洒堂
<あきぞらや ひよりくるわす かきのいろ>。柿の実が赤く色づいてそれが秋の空をおおうようになると、そこが陽が当たっているように見えるから、秋の日和が狂ったように思われる。

つぶつぶと箒をもるゝ榎み哉     望翠
<つぶつぶと ほうきをもるる えのみかな>。「榎み」は、榎木の実のことで、直径1〜2ミリの小さな実だが、晩秋の頃になると痩せて皮だけになるがこれが熟れて甘くなる。庭を掃いていると榎木から落ちた実が庭に転がっていて箒で掃いても小さいから箒の目をくぐって、枯葉の下から顔を見せるのである。

はつ茸や塩にも漬ず一盛       沾圃
<はつだけや しおにもつけず ひとさかり>。「はつ茸」は、秋になって茸シーズン最初に顔を出すのでこの名がついている。この茸、実に鮮度が落ちやすく放置しておくとすぐカビが生えて食用に供せなくなる。塩漬けしておけばよいのだが、忘れてしまうとその盛りは一瞬なのである。

伊賀の山中に阿叟の閑居を訪らひて
松茸や都にちかき山の形       維然
<はつだけや みやこにちかき やまのなり>。マツタケの名所伊賀。同じく山城の国もマツタケの産地。同じ畿内の茸の産地というだけあって山の形まで都の山なみと似ています。前詞にあるとおり、維然はこの年元禄7年秋、伊賀滞在中の芭蕉を訪ねたのである。

まつ茸やしらぬ木の葉のへばりつく  芭蕉

  

後屋の塀にすれたり村紅葉      北鯤
<うしろやの へいにすれたり むらもみじ>。「むらもみじ」は色彩がムラ(斑)になった、すなわち赤以外の色が混ざった状態。我が家の裏庭の塀の傍の紅葉ときたら葉が塀にこすれてムラ紅葉になって何とも醜いのです。

  鹿

すぼに夜明の鹿や風の音      風睡
<しりすぼに よあけのしかや かぜのおと>。「尻すぼ」は、尻すぼみのこと。一晩中声をからして啼いていたので明け方には声が枯れてしまって鳴声が尻すぼみになったのである。夜の鹿の鳴く声は恋の叫び。

寐がへりに鹿おどろかす鳴子哉    一酌
<ねがえりに しかおどろかす なるごかな>。「鳴子」は、鹿おどしのガラガラで、山小屋から、紐で鹿の害から守りたい付近に鍋釜や鐘などをぶら下げて、紐を引くと音の出る仕組み。その紐を夜中寝返り打った時に引っ張ったか何かしたのであろう、鹿が大あわてで逃げていく音がする。一酌<いっしゃく>は伊賀上野の酒屋。

  農 業

起しせし人は逃けり蕎麥の花     車庸
<おこしせし ひとはにげけり そばのはな>。「起し」は、山地の開墾のこと。開墾地での生活は苦労が多く、成功も僅少。だから大概は失敗して逃げ出すのである。酸性の土地は地味も貧しいので、こういうところでは蕎麦以外の作物は育たない。その蕎麦は、一度植えれば手を入れなくても種子が落ちて毎年季節になれば白い花が咲くのである。

木の下に狸出むかふ穂懸かな     買山
<このもとに たぬきでむかう ほかけかな>。「懸穂」は、新しい稲の収穫があるとその穂を束ねて倉の入り口なのに懸けて収穫を感謝する土俗的神事。この稲穂を狙って狸が早くも出没するというのだが、狸が生の稲穂を食べることはないので、飾り以外に食べ物を奉納するのだろう?

さまたげる道もにくまじ畔の稲    如雪
<さまたげる みちもにくまじ あぜのいね>。稲穂が実って頭を垂れて、それによって畦道が狭くなる。まことに歩きにくいのだが、豊作の証拠であるから感謝こそすれこれを非難することはない。

いせの斗從に山家をとはれて
蕎麥はまだ花でもてなす山路かな   芭蕉

早稲刈て落つきがほや小百姓     乃龍
<わせかりて おちつきがおや こびゃくしょう>。「小百姓」は、小農のこと。大した土地もないから田んぼも少なく、そこに早稲種の稲を植えた。今年は豊作で、少しばかりの稲を刈り終えてみると収穫の喜びもそれなりに味わうことができる。自足する人の幸福感。

山雀のどこやらに啼霜の稲      斗從
<さまがらの どこやらになく しものいね>。稲の刈り取りが終わらないうちに初霜が降りた。どこかでヤマガラが啼いている。しずかな晩秋の朝の景。

居りよさに河原鶸來る小菜畠     支考
<おりよさに かわらひわくる こなばたけ>。「鶸<ひわ>」は、スズメ目アトリ科に属するカワラヒワ・マヒワ・ベニヒワの総称(『大字林』)。河原などイネ科の植物の繁茂している場所を好んで棲む。それが、菜畑にきているのには訳がある。「小菜畠」は、菜や大根の畑だが、種子を直播するので密植される。成長してから間引きをするが、少々ヒワが食ってもどうせ間引きするので大目に見てくれる。それがヒワたちにとって天国なのだ。

一霜の寒や芋のずんど刈       
<ひとしもの さむさやいもの ずんどがり>。一霜というのは、初霜に近い表現。雪が降ったような大霜ではなく、うっすらと敷いた霜。そんな朝、芋畠のサトイモのつるが釜でずっさりと切り取られていた。

肌寒き始にあかし蕎麥のくき     維然
<はださむき はじめにあかし そばのくき>。肌寒さを感じる季節がやってきた。とみるや真っ先に寒さに反応したは蕎麦の茎で鮮やかに赤くなってきた。

なりていくらが物ぞ唐がらし    木節
<ひゃくなりて いくらがmのぞ とうがらし>。ナンバンの実は、木ごと切り取って乾燥し、赤い実を摘み取って出荷する。その頃には実は皺がよってなんとも情けない顔つきになる。これを百個売ったところで何ぼのものだろう、とつい思ってしまう。

大師河原にあそびて
樽次といふものゝ孫に逢ひて
そのつるや西瓜上戸の花の種     沾圃
<そのつるや すいかじょうごの はなのたね>。「樽次」は、酒井雅樂頭の侍医。江戸大塚に住み、酒豪として名高い。大師河原で酒飲みコンテストをしたのを仮名草子に書いて出版して人気を博したという。その大師河原は、神奈川県川崎市の六郷川右岸。一句はここで、樽次の孫というものに会ったが、瓜の木に茄子は生らないが、瓜の木に瓜は生るであろう。だから彼もきっと大酒豪に違いない。

  菊

翁草二百十日恙なし         蔦雫
<おきなぐさ にひゃくとおか つつがなし>。「翁草」とは、キンポウゲ科の多年草。日当たりのよい山地に自生。全体に白毛が密生する。葉は根生し、羽状複葉。春、高さ20センチメートル内外の花茎上に鐘状の花を一個下向きにつける。萼片(がくへん)は花弁状で外面は白い絹毛が密生、内面は暗紫褐色。和名は、花後、羽毛状にのびた白色の花柱を老人の白髪にみたてたもの。根を乾かしたものを白頭翁(はくとうおう)とよび漢方薬とする(『大字林』)。
 このオキナグサ、その名の通り長生きと見えて、二百十日の嵐にもめげずにしっかりと生きている。

ゑぼし子やなど白菊の玉牡丹     濁子
<えぼしごや などしらぎくの たまぼたん>。「ゑぼし子」は、烏帽子親の子の意で、烏帽子親とは元服の際に指名する親で、その子の成人後の後見人。「玉牡丹」は、中国伝来の白い大輪の菊の種類。菊なのに牡丹の名がついている。そこが作句動機。牡丹は花の王者で、菊は牡丹を烏帽子親とする烏帽子子のように聞こえることだ、というのである。悪趣味の句。

煮木綿の雫に寒し菊の花       支考
<にもめんの しずくにさむし きくのはな>。「煮木綿」は、木綿糸を染色するときに染料を定着するために煮る。工場では蒸気釜で加熱するのだが、民家では煮るしかない。それを軒端につるして乾燥させるのだが、その雫が軒端の菊の花に落ちる。季節は晩秋の寒さが一段と増す時期。

  題画屏

むかばきやかゝる山路の菊の露    兀峯
<むかばきや かかるやまじの きくのつゆ>。「むかばき」とは、〔「向か脛(はぎ)」にはく意〕旅行や狩りなどの際に足をおおった布また革。型・丈・材質などは用途や時代によって異なる。平安末期から武士は狩猟・騎乗などの際には、腰から足先までの長さの鹿皮のものを着用。現在も流鏑馬(やぶさめ)の装束に用いる。
 鷹狩の侍の行縢には菊の露がついている。そんな屏風絵に賛を入れる。

借りかけし庵の噂やけふの菊     丈草
<かりかけし あんのうわさや きょうのきく>。これから借りようと思っている庵の話に、そこには菊の花が咲いているなどと言ったが、実は今日は菊の節句。菊のことばかり考えていたから、やっぱり話の中に菊が出てくるのだ。

  暮 秋

廣沢や背負ふて帰る秋の暮      野水
<ひろさわや せおうてかえる あきのくれ>。「廣沢」は京都嵯峨野の廣沢の池。晩秋の夕暮。廣沢の池のほとりを帰路につく。背中に背負っているのは荷物なのか、今日一日の秋の風流の楽しかった記憶なのか。

行秋を鼓弓の糸の恨かな       乙州
<ゆかきを こきゅうのいとの うらみかな>。行く秋を惜しむ心、それはたとえて言えば胡弓の音のあの哀切な調べのよう。恨むがごとく、泣くがごとく。「行く秋」を題材としながら、乙州と次句の芭蕉の句、貫禄の違いがよく分かる。

行あきや手をひろげたる栗のいが   芭蕉

  雑 穐

五六十海老つゐやして□(はぜ)一ツ  之道
<ごろくじゅう えびついやして はぜひとつ>。ここにハゼの字は、魚偏に殳。「海老で鯛を釣る」というのは安い資本で法外な利潤を得ることだが、いくらなんでもダボハゼではエビも馬鹿にならない。しかもハゼ一匹釣るのにエビ百匹を使うとなると、間尺には全く合わないのである。しかし、一句は楽しんだから何とも思っていないよという余裕がある。

粟がらの小家作らむ松の中      團友
<あわがらの こいえつくらん まつのなか>。松林の中に、粟殻で囲んだ家を作ってそこに住んで見たいものだ。秋の淋しさがよく分かるかも。
 團友<だんゆう>は伊勢の神職で、岩田團友。

あら鷹の壁にちかづく夜寒かな    畦止
<あらたかの かべにちかづく よざむかな>。「あら鷹」は、鷹狩につかう訓練されていない鷹のこと。鷹の訓練は夜中に行う。いま鷹小屋に向かうのだが、そのピンと冷え込む晩秋の夜寒が、緊張もはらんで感じられる。
 長谷川畦止<けいし>は大阪の人。

残る蚊や忘れ時出る秋の雨      四友
<のこるかや わすれどきでる あきのあめ>。晩秋の雨の秋の夜。夏に苦しめられたことなどすっかり忘れていた蚊が一匹プーンと飛んでくる。四友<しゆう>については不明。

身ぶるひに露のこぼるゝ靱哉     萩子
<みぶるいに つゆのこぼるる うつぼかな>。「靱」は「靫<うつぼ>」で、矢を携帯するための筒状の容器。竹などを編んで毛皮を張ったもの、練り革に漆をかけたものなどがあり、右腰につける。矢羽を傷めたり、篦(の)が狂ったりするのを防ぐ。うつお。〔「靭」と書くのは誤用〕(『大字林』)。
 矢を放つに身震いをするものだから、靫についた露がはらはらと落ちる。

更る夜や稲こく家の笑聲       万乎
<ふけるよや いねこくいえの わらいごえ>。夜更けまで稲の脱穀をしている家がある。働く家族の大声の笑い声などが漏れて来る。この時代、夜中まで作業を続ける脱穀作業など余程の豊作でなくては無かったであろう。この笑い声は感謝と生活の安堵の声なのである。

柿の葉に焼みそ盛らん薄箸     桑門宗波
<かきのはに やきみそもらん すすきばし>。「やきみそ」は、杉板などに塗り付けた味噌を弱火で焼いたもの(『大字林』)。これを柿の葉に盛って、それをススキの箸で食べたら風流なものだ、というのである。

本間主馬が宅に、骸骨どもの笛鼓をかまへて
能する處を畫て、舞臺の壁にかけたり。まこ
とに生前のたはぶれなどは、このあそびに殊
らんや。かの髑髏を枕として、終に夢うつゝ
をわかたざるも、只この生前をしめさるゝも
のなり。
稲妻やかおほのところが薄の穂    芭蕉