芭蕉db

名月の花かと見えて綿畠

(続猿蓑)

(めいげつの はなかとみえて わたばたけ)

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 元禄7年8月15日、51歳。伊賀上野「無名庵」にて月見の宴を催した折りの句。このときの句には、他に「名月に麓の霧や田の曇り」「今宵誰吉野の月も十六里」がある。

名月の花かと見えて綿畠

 いま名月の明るい光の中であたり一面が昼を欺くようによく見える。その中に白いものが見えるが、あれは月桂樹の花ではなくて本当は綿の実なのだ。 この時代、木綿の栽培が日本国中に広がっていったのだが、一句はそんな時代の先端を行くハイカラさも込められているのである。
 この時代の、木綿の導入は人々の衣生活に大きな影響を与えた。それまで、農民の作業着は麻布であって、染色もきれいにはできなかったが、木綿になると肌触りも良く、捺染も良好で、生活に華やかさを急激に増していった。ただし、綿布の普及によって
民家に綿ぼこりが増えたのも事実である。(柳田國男『木綿以前の事』)