芭蕉db

内藤露沾

ないとう ろせん

(〜享保18年(1738)9月14日、享年79歳)

Who'sWho/年表basho


 磐城の平藩7万石城主内藤右京大夫義泰(風虎)の次男義英、その後政栄。28歳の時お家騒動で家老の讒言によっておとしめられ、麻布六本木の別邸で風流によって自らを慰めながら、部屋住みのままに生涯を終えた。宗因門下のなかなかの才能で一流を起こした。芭蕉が『笈の小文』の旅に出るにあたって、「時は冬吉野をこめん旅のつと」と餞した。この句も、餞別吟としてなかなかの出来栄えである。号は傍池堂・遊園堂。西山宗因門弟。後に江戸俳壇を仕切った沾徳は露沾の弟子。
 蕉門中最も身分の高い人であった。

露沾の代表作

時は冬吉野をこめん旅のつと  (『笈の小文』)

梅咲て人の怒の悔もあり  (『猿蓑』)

梅一木つれづれ草の姿かな  (『炭俵』)

温石のあかるゝ夜半やはつ櫻  (『続猿蓑』)

ものものの心根とはん月見哉  (『続猿蓑』)

一時雨またくづをるゝ日影哉  (『続猿蓑』)

星さへて江の鮒ひらむ落葉哉  (『続猿蓑』)