猿蓑

猿蓑集 巻之六


 
  猿蓑集 巻之六
 
 
   幻住庵記           芭蕉艸

石山の奥、岩間のうしろに山有。国分山と云。そのかみ国分寺の名を傅ふなるべし。麓に細き流を渡りて、翠微に登る事三曲二百歩にして、八幡宮たゝせたまふ。神体は弥陀の尊像とかや。唯一の家には甚忌なる事を、兩部光を和げ、利益の塵を同じうしたまふも又貴し。日比は人の詣ざりければ、いとゞ神さび物しづかなる傍に、住捨し草の戸有。よもぎ・根笹軒をかこみ、屋ねもり壁落て狐狸ふしどを得たり。幻住庵と云。あるじの僧何がしは、勇士菅沼氏曲水子之叔父になん侍りしを、今は八年斗昔に成て、正に幻住老人の名をのみ残せり。又市中をさる事十年斗にして、五十年やゝちかき身は、蓑虫のみのを失ひ、蝸牛家を離て、奥羽象潟の暑き日に面をこがし、高すなごあゆみぐるしき北海の荒磯にきびすを破りて、今歳湖水の波に漂。鳰の浮巣の流とゞまるべき蘆の一本の陰たのもしく、軒端茨あらため、垣ね結添などして、卯月の初いとかりそめに入し山の、やがて出じとさへおもひそみぬ。さすがに春の名残も遠からず、つゝじ咲残り、山藤松に懸て、時鳥しばしば過る程、宿かし鳥の便さえ有を、きつゝきのつゝくともいとはじなど、そゞろに興じて、魂呉・楚東南にはしり、身は瀟湘・洞庭に立つ。山は未申にそばだち、人家よきほどに隔り、南薫峰よりおろし、北風湖を侵して涼し。日枝の山、比良の高根より、辛崎の松は霞こめて、城有、橋有、釣たるゝ舟有。笠とりにかよふ木樵の聲、麓の小田に早苗とる哥、螢飛かふ夕闇の空に、水鶏の扣音、美景物としてたらずと云事なし。中にも三上山は士峯の俤にかよひて、武蔵野ゝ古き栖もおもひいでられ、田上山に古人をかぞふ。さゝほが嶽・千丈が峯・袴腰といふ山有。黒津の里はいとくろう茂りて、網代守ルにぞとよみけん萬葉集の姿なりけり。猶眺望くまなからむと、後の峯に這ひのぼり、松の棚作、藁の圓座を敷て、猿の腰掛と名付。彼海棠に巣をいとなび、主簿峯に庵を結べる王翁・徐栓が徒にはあらず。唯睡癖山民と成て、孱顔に足をなげ出し、空山に虱を捫て座ス。たまたま心まめなる時は、谷の清水を汲て自ら炊ぐ。とくとくの雫を侘て一炉の備へいとかろし。はた昔住けん人の、殊に心高く住なし侍りて、たくみ置る物ずきもなし。持佛一間を隔て、夜の物おさむべき處などいさゝかしつらへり。さるを筑紫高良山の僧正は、加茂の甲斐何がしが厳子にて、此たび洛にのぼりいまそかりけるを、ある人をして額を乞ふ。いとやすやすと筆を染て、幻住庵の三字を送るる。頓て草庵の記念となしぬ。すべて、山居と云う旅寝と云、さる器たくはふべくもなし。木曽の檜笠、越の菅蓑斗、枕の上の柱に懸たり。昼は稀々とぶらふ人々に心を動し、あるは宮守の翁、里のおのこ共入来たりて、いのしゝの稲くひあらし、兎の豆畑にかよふなど、我聞しらぬ農談、日既に山の端にかゝれば、夜座静に月を待ては影を伴ひ、燈を取ては岡兩に是非をこらす。かくいへばとて、ひたぶるに閑寂を好み、山野に跡をかくさむとにはあらず。やゝ病身人に倦て、世をいとひし人に似たり。倩年月の移こし拙き身の科をおもふに、ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは佛籬祖室の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を勞じて、暫く生涯のはかり事とさへなれば、終に無能無才にして此一筋につながる。楽天は五臓之神をやぶり、老杜は痩たり。愚賢文質のひとしからざるも、いづれか幻の栖ならずやと、おもひ捨ててふしぬ。

先づ頼む椎の木も有り夏木立

題芭蕉翁國分山幻住庵記之後
何世無陰士。以心隠為賢也。何處無山川。風景因人美也。
間讀芭蕉翁幻住庵記。乃識其賢且知山川得其人而益美□。
可謂人与山川共相得焉。廼作鄙章一篇歌之曰。

  琶湖南兮国分嶺 古松鬱兮緑陰清
  茅屋竹□□敷間 内有佳人獨養生
  滿口錦繍輝山川 風景依稀入□城
  此地自古富勝覧 今日因君尚盆榮

元禄庚午仲秋日              震軒具艸

  几右日記

時鳥背中見てやる麓かな       曲水
<ほととぎす せなかみてやる ふもとかな>。作者曲水は、「幻住庵」の提供者である。しかし彼は公務で江戸に発って芭蕉の幻住庵入庵を見ていない。それを、ホトギスに託して、自分の代理のホトトギスが師の入庵を麓から見ていたのだというのであろう。

くつさめの跡しずか也なつの山    野水
<くつさめの あとしずかなり なつのやま>。「くつさめ」は「くしゃみ」のこと。幻住庵でくしゃみを一つ。その時だけ大きな声がしたが、その後は森閑と静まり返っている。幻住庵の夏は涼しいというより寒いぐらいなのである。

鶏もばらばら時か水鶏なく      去来
<にわとりも ばらばらどきか くいななく>。ここ幻住庵では水鶏の鳴き騒ぐ声が聞こえる。さぞや、里では鶏が乱れ鳴く時刻であろう?

海山に五月雨そふや一くらみ     凡兆
<うみやまに さみだれそうや ひとくらみ>。庵の中が急に暗くなってきた。見れば琵琶湖も比叡の山も五月雨に襲われて暗くなっている。

軒ちかき岩梨おるな猿のあし     千那
<のきちかき いあわなしおるな さるのあし>。「岩梨」はコケモモの畿内での方言。幻住庵の軒端にコケモモが赤い実をつけている。猿たちよその枝を折らないでおくれ。

細脛のやすめ處や夏のやま      珍碩
<ほそはぎの やすめどころや なつのやま>。国分山は、師匠の細い脛を休めるに格好の場所ですから、ゆっくり休んでください。

贈紙帳
おもふ事紙張にかけと送りけり    里東
<おもうこと しちょうにかけと おくりけり>。「紙張」は、和紙で作った蚊帳のこと。蚊帳は麻で作るものだが、貧しい人には買えなかったので、紙帳が使われた。一句は、私が贈った紙帳に覚書を書いてくださって結構ですよ、という。芭蕉は、ここで「我が宿は蚊のちいさきを馳走かな」と詠んでいる。

いつたきて蕗の葉にもるおぶくぞも  野径
<いつたきて ふきのはにもる おぶくぞも>。「おぶく」は仏壇への供え物のことで、「ぞ」は強調。庵に江戸から持参した持仏が一体安置してあった。それにおぶくが蕗の葉の上に供えられている。このご飯何時炊いたものやら。蕗の葉という貧しさも面白い。

螢飛疊の上もこけの露        
<ほたるとぶ たたみのうえも こけのつゆ>。幻住庵では蛍は家の中といい外と言い見境なく飛び回る。そんなんだから畳の上には苔に着いた露が落ちていたりする。

顔や葎の中の花うつぎ       膳所怒誰
<かんばせや むぐらのなかの はなうつぎ>。芭蕉翁に幻住庵に来ていただいて、まるで葎の中に純白の卯の花が咲いたようです。怒誰は幻住庵滞在中の芭蕉の世話係であった。

たどたどし峯に下駄はく五月闇    探志
<たどたどし みねにげたはく さつきやみ>。五月雨で泥んこ道を国分山のここまで危なっかしくやってきました。雨道をやっとやってきたという形而下的な話だけでなく、「たどたどし」のなかには、おそるおそる教えを乞いに来ましたという寓意が込められているのである。

五羽六羽庵とりまはすかんこ鳥    元志
<ごわろっぱ いおりとりまわす かんこどり>。幻住庵の屋根を取り巻くように5羽6羽の郭公が鳴いています。西行の「山里に誰をまたこは呼子鳥ひとりのみにて住まむと思ふに」(『山家集』)をふまえている。

木つゝきにわたして明る水鶏哉   膳所泥土
<きつつきに わたしてあくる くいなかな>。夜中水鶏がコツコツと木を叩く音がしていたが、夜が明けると選手交代で啄木鳥がコツコツやっている。

笠あふつ柱すヾしや風の色      史邦
<かさあふつ はしらすずしや かぜのおと>。「あふつ」は煽ること。この笠は、『幻住庵記』にある木曽の檜笠であって、この句のように柱にかけてある。そこに湖水から吹き上げてくる風が当たって涼しげだ。

月待や海を尻目に夕すヾみ      正秀
<つきまつや うみをしりめに ゆうすずみ>。幻住庵は琵琶湖の東にあるので月の出を見ようとすると湖水にお尻を向けることになる。湖も見たいし月も見たいし。

しづかさは栗の葉沈む清水哉    亡人柳陰
<しずかさは くりのはしずむ しみずかな>。幻住庵の閑さを象徴するものとして、沈んだ栗の葉の一枚一枚が見える澄んだ「谷の清水」がある。柳陰<りゅういん>については詳細不詳。

涼しさやともに米かむ椎が本     如行
<すずしさや ともにこめかむ しいがもと>。「先づ頼む椎の木も有り夏木立」と師が読んだ椎の木の下で、師と共に心安らかに米のご飯を噛みしめています。元禄3年6月30日曲水宛書簡には、「十九日早朝帰庵、如行も同道、幻住庵に両宿、目を驚し帰り申候」とある。如行はこのときの感想をこの句に託したのである。

訪に留守なり
椎の木をたがへて啼や蝉の聲    膳所朴水
<しいのきを たがえてなくや せみのこえ>。幻住庵を尋ねたら翁は留守だった。庵前の椎木を頼むと言いながら今日は別の椎木に留まっているな。面白い句。朴水<ぼくすい>は、膳所の神主。

目の下や手洗ふ程に海涼し    美濃垂井市隠
<めのしたや てあらうほどに うみすずし>。幻住庵から下を見ると、手が届きそうな場所に琵琶湖がある。いかにも涼しい。

文に云こす
膳所米や早苗のたけに夕涼      半残
<ぜぜこめや さなえのたけに ゆうすずみ>。膳所の田んぼでは早苗の丈も伸びて、その葉先を通ってきた夕風が涼しいことであろう。膳所(現大津市)はおいしい米の産地とされていた。

麥の粉を土産す
一袋これや鳥羽田のことし麥     之道
<ひとふくろ これやとわだの ことしむぎ>。幻住庵の翁のところへ麦の粉(麦こがしと言って大麦を炒(い)って粉にひいたもの。砂糖を混ぜ水で練って食べたり、菓子の原料にしたりする。はったい。香煎(こうせん)。麦炒(い)り粉『大字林』。)を持参いたしました。これは鳥羽田でとれた今年の新麦ですよ。鳥羽田は山城の歌枕。之道はこのとき蕉門に入門したので、入会金が麦焦がしだったというわけである。

書音
一夏入る山さばかりや旅ねずき    長崎魯町
<いちげいる やまさばかりや たびねずき>。魯町からの手紙。一夏を山に入るという山はさぞかし素晴らしいところなのでしょうが、それにしても旅寝のお好きな方ですね。夏の入りは4月16日、それから90日間を夏といった。前詞「書音」はしょいんと読み、手紙のこと。

夕立や檜木の臭の一しきり      及肩
<ゆうだちや ひのきのかざの ひとしきり>。激しい夕立が通った後の幻住庵を取り巻くヒノキ達の発する匂いの強烈なこと。

昇猿腰掛
穐風や田上山のくぼみより      尚白
<あきかぜや たなかみやまの くぼみより>。幻住庵記ある田上山と松の木の上に作った展望台「猿の腰掛」、そこから眺める眺望の中に早くもやってきた秋を見つけました。

贈簔
しら露もまだあらみのゝ行衛哉    北枝
<しらつゆも まだあらみのの ゆくえかな>。『幻住庵記』に、「木曽の桧傘、越の菅蓑ばかり、枕の上の柱にかけたり。」とある越の菅蓑は北枝が『奥の細道』の途次金沢で贈ったもの。あの蓑笠は新品だったから、まだ白露も知らない新しい蓑、翁につれられて何処まで行ったやら。

木履ぬぐ傍に生けり蓼の花      木節
<ぼくりぬぐ そばにおいけり たでのはな>。「木履」は足駄のこと。下駄を脱ぐ台のすぐ傍に蓼の草が生えている。もう秋らしい。蓼は、刺身のツマなどに使われる草。

包紙に書
縫にこす薬袋や萩の露       膳所
<ぬいにこす くすりぶくろや はぎのつゆ>。「薬袋」は、煎じ薬を入れて煎じるための布製の袋のこと。薬袋を縫っていますと、まわりにはもう秋の萩の花が満開です。作者扇<せん>は膳所の女性。詳細は不明。

稲の花これを佛の土産哉       智月
<いねのはな これをほとけの みやげかな>。秋の到来と共に稲の花が咲きました。目立たないちっぽけな花ですが、これを切って仏前に供えましょうか。

石山や行かで果せし秋の風      羽紅
<いしやまや いかではたせし あきのかぜ>。幻住庵にすむ翁を訪ねて石山にも行こうと思いながら、翁も庵を出てしまい秋も来てしまってついに行くことなく終わってしまいました。

桶の輪やきれて鳴やむきりぎりす   昌房
<おけのわや きれてなきやむ きりぎりす>。桶の輪が夜中にひとりでに切れた。その音に驚いたかコウロギの鳴き声が止んだ。

里はいま夕めしどきのあつさ哉    何処
<さとはいま ゆうめしどきの あつさかな>。ここ幻住庵は涼しいが、麓の里は凪の時刻で随分と暑いことだろう。真夏の句がここへ来た理由は不明。

啼やいとヾ塩にほこりのたまる迄   越人
<なくやいとど しおにほこりの たまるまで>。「いとど」はカマドウマ。台所ではイトドが鳴き、塩の入れ物には埃がたまっている。幻住庵の台所はなんとも無精なこと。

越人と同じく訪合て
蓮の實の供に飛入庵かな       等哉
<はすのみの ともにとびいる いおりかな>。等哉と越人が連れ立って幻住庵を訪れた。庭先の蓮田の蓮の実がはじけて庵の中に飛び込むように、私たち二人は一緒に飛び込みます。

明年弥生尋旧庵
春雨やあらしも果ず戸のひづみ    嵐蘭
<はるさめや あらしもはてず とのひずみ>。元禄4年3月、嵐蘭は幻住庵を尋ねてみた。春雨が降ってはいるが荒れ果てているというのではないが、雨戸などはひずんでしまっていて動かない。

同夏
涼しさや此庵をさへ住捨し      曾良
<すずしさや このあんをさえ すみすてし>。翁は、ここをあんなに気に入っていたというのに、やっぱり捨ててしまった。翁は、やはり漂泊の詩人なのだ。


   

猿蓑者芭蕉翁滑稽之首也。非比彼山寺偸衣朝市頂冠笑。只任心感物冩興而已矣。洛下逸人凡兆・去来随翁遊學。楳館竹窓等凌節、斯有歳。屬撰此集玩弄無已。自謂絶超狐腋白裘者也。於是四方唫友憧々往来、或千里寄書、々中皆有佳句。日蘊月隆各程文章。然有昆仲騒士不集録者、索居栖為難通信。且有旄倪婦人不琢磨者、鹿言細語為志。雖無至其域何棄其人乎哉。果分四序作六巻。故不遑廣捜他家文林也。維元禄四稔辛未仲夏、余掛錫於洛陽旅亭、偶會兆来吟席。見需記古事題尾、卒援毫不揣拙。庶幾一蓑高張有補干詞海漁人云

狂野衲 丈 艸 漢 書

     正 竹 書 之

     京寺町二条上ル丁   井筒屋庄兵衛板


「天佑」さんから、下記の写本をいただきました。また、「跋」文中の字母の補充も「天佑」さんのご支援によるものです。記して謝意を表します 

 



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