穐風や蓮をちからに花一つ 読人不知
此句東武よりきこゆ、もし素堂か
<あきかぜや はすをちからに はなひとつ>。秋風が吹いて夏は去っていく。遅れて咲いたハスの花が一つ。花心に抱いたハスの実を力と頼んで秋風に負けじと咲いている。「読人不知」は、素堂かなどといっているが、実際には三河岡崎の鶴声の作。
がつくりとぬけ初る歯や秋の風 杉風
<がっくりと ぬけそめるはや あきのかぜ>。杉風の原作は、「がつくりと身の秋や歯のぬけし跡」であったものを芭蕉が朱を入れた作品。原作は作句の意図がよく見える。人生のアキに達した杉風、このとき44歳。
芭蕉葉は何になれとや秋の風 路通
<ばしょうばは なにになれとや あきのかぜ>。秋風に芭蕉の葉はずたずたに裂けてしまった。一体、この風は芭蕉葉を何になれと言いたいのだろう?
人に似て猿も手を組秋のかぜ 珍碩
<ひとににて さるもてをくむ あきのかぜ>。秋風に寒そうに猿が腕を組んで座っている。そのしぐさは人によく似ていて、なんともいとおしい。
加賀の全昌寺に宿す
終夜秋風きくや裏の山 曾良
<よもすがら あきかぜきくや うらのやま>。『奥の細道』で芭蕉と別れて先に旅立った曾良は、一人で全昌寺に投宿した。元禄2年8月5日のこと。
芦原や鷺の寝ぬ夜を秋の風 江戸山川
<あしはらや さぎのねぬよを あきのかぜ>。葦原が秋風にざわついてサギたちは眠れない。サギは葦原には寝ない。
朝露や鬱金畠の秋の風 凡兆
<あさつゆや うこんばたけの あきのかぜ>。「鬱金畠」は薬草に使うウコンの栽培される畠。そこに白露が降りている。秋の風が露を落とす。
はつ露や猪の臥芝の起あがり 去来
<はつつゆや いのふすしばの おきあがり>。秋になって初露が降りたら、猪に敷き詰められていた山のシバが起き直って生気を取り戻している。
大比叡やはこぶ野菜の露しげし 野童
<おおひえや はこぶやさいの つゆしげし>。秋と共に空気が澄んで比叡の威容がくっきり見える。そんな季節の中を近郷の百姓たちはしとどに露をかぶった野菜を街中に売りに来る。
三葉ちりて跡はかれ木や桐の笛 凡兆
<みはちりて あとはかれきの きりのふえ>。桐一葉というのだが、桐の三葉しかなかった葉っぱが落ちてしまうともはや冬の風情となった桐の苗。
七夕やあまりいそがばころぶべし 伊賀小年杜若
七夕の牽牛と織女、一年ぶりの逢瀬にはやって天の川を渡るとつまづいておぼれますよ。
みやこにも住まじりけり相撲取 去来
<みやこにも すみまじりけり すもうとり>。都のような万事細身の世界に相撲取りが居るとはねぇ。
朝がほは鶴眠る間のさかりかな
伊賀風麦
<あさがおは つるねむるまの さかりかな>。鶴は、「焼け野のキギス、夜の鶴」というくらい子育てに熱心で、雨露をさけるために一晩中子供を保護していると言われている。だから朝方になって一寸まどろむのだが、朝顔は鶴がうとうとしている間に咲いて萎むのだ。
蕣やぬかごの蔓のほどかれず 膳所及肩
<あさがおや ぬかごのつるの ほどかれず>。「ぬかご」は零余子で、山芋の蔓の葉の付け根に零余子という小さな種芋がつく。この蔓に朝顔が巻きつかれてもはやほどこうにも解けない。
笑にも泣にもにざる木槿かな 嵐蘭
<わらうにも なくにもにざる むくげかな>。木槿の花というのは、扶養や合歓のように美人の比喩などには使われず、よって美人のかんばせとして、笑うとも泣くとも例えられない。
手を懸ておらで過行木槿哉 杉風
<てをかけて おらですぎゆく むくげかな>。手をかけて折ろうと思ったが、折るほどの花でもないと思って通り過ぎたことだ。
高燈籠ひるは物うき柱かな 千那
<たかとうろ ひるはものうき はしらかな>。夜にはふさわしい高灯篭も昼間見ると間の抜けたただののっぽの柱に過ぎない。「高灯篭」は、七、八間の高い杉の柱にぶら下げた灯篭で、死者のあった家ではその7回忌までは毎年盂蘭盆の月、すなわち7月朔日から晦日までこれを灯したのである。
はてもなく瀬のなる音や秋黴雨リ 史邦
<はてもなく せのなるおとや あきついり>。「黴雨<つゆ、ついり>」は梅雨。秋の長雨のこと。日本では、五月雨の梅雨よりも秋の長雨の方が降雨量ははるかに多い。その長雨で増水した瀬の音が毎日まいにち止まないことだ。
そよそよや藪の内より初あらし 旦藁
<そよそよや やぶのうちより はつあらし>。秋風の始まるシーズン、その陣頭を切ってそよそよと藪の中から秋嵐が生まれてきた。
秋風やとても薄はううごくはず
三川子尹
<あきかぜや とてもすすきは うごくはず>。すすきは黙っていたって動くはずなのに、秋風ときたらこれでもかというように激しく動かす。三河の人、子尹<しいん>については詳細不明。
迷ひ子の親のこゝろやすゝき原 羽紅
<まよいごの おやのころや すすきはら>。謡曲「隅田川」に題材を求めている。子を亡くした親の心持は、秋風になびくススキの原の中に迷い込んだようなものである。
八瀬おはらに遊吟して、「柴うり」
の文書ける序手に
まねきまねきあふごの先の薄かな 凡兆
<まねきまねき あふごのさきの すすきかな>。「あふご」は天秤棒のこと。柴を背負った柴売りの天秤棒の先にススキの穂が付いていてこれが歩くたびに揺れて、ちょうど手招きをしているように見える。「柴うりの文」は、大原女について書いた文章。
つくしよりかへりけるに、ひみとい
ふ山にて卯七と別て
君が手もまじる成べしはな薄 去来
<きみがても まじるなるべし はなすすき>。別れに手を振る君の姿は見えなくなってしまったが、この日見の峠の秋風にそよぐススキの穂波のなかに君の手もきっと入っているのであろう。「ひみ」は長崎の日見峠。去来は元禄三年に故郷長崎に帰っている。
草刈よそれが思ひか萩の露
平田李由
<くさかりよ それがおもいか はぎのつゆ>。草刈の百姓よ、お前はその鎌で萩の花を刈り取ってしまおうというのか?しかし、逡巡しているところを見ると、お前も私と同じ気持ちでいるようだな。
元禄二年翁に供せられて、みちのく
より三越路にかゝり行脚しけるに、
かゞの國にていたはり侍りて、いせ
まで先達けるとて
いづくにかたふれ臥とも萩の原 曾良
百舌鳥なくや入日さし込む女松原 凡兆
<もずなくや いりひさしこむ めまつばら>。秋の入日は真横からさす。それによって赤松林の松の赤い幹が照らされる。百舌の鳴く秋の季節。
初雁に行燈とるなまくらもと 亡人落梧
<はつかりに あんどんとるな まくらもと>。初雁の渡る秋の夜は人恋しく寂しい。枕もとの行灯はそのままにしておいて欲しい。
堅田にて
病鴈の夜寒に落て旅ね哉 芭蕉
加賀の小松と云處、多田の神社の宝
物として、実盛が菊から草のかぶと、
同じく錦のきれ有。遠き事ながらま
のあたり憐におぼえて
むざんやな甲の下のきりぎりす 芭蕉
菜畠や二葉の中の虫の聲 尚白
<なばたけや ふたばのなかの むしのこえ>。初秋の畑。菜っ葉を摘んでいると、なかから虫の音が聞こえてくる。
はたおりや壁に來て鳴夜は月よ 風麥
<はたおりや かべにきてなく よはつきよ>。「はたおり」はウマオイのこと。スイッチョンと鳴くのでこの名がついた。ウマオイが壁で鳴く秋の夜は、また月のきれいな夜でもある。
いせにまうでける時
葉月也矢橋に渡る人とめん 亡人千子
<はづきなり やばしにわたる ひととめん>。去来の妹千子<ちね>は兄と貞亨3年8月に伊勢に旅をした。矢橋の渡しは二月、八月は危険だといわれていた。いま八月だから舟に乗ろうとしている人に乗るなと言いたい。
三ケ月に鱶のあたまをかくしけり 之道
<みかづきに ふかのあたまを かくしけり>。三日月のかかる夜、フカが洋上に浮かんできたかと思ったらすぐにまた水の中にもぐってしまった。彼は、三日月を見て釣り針と勘違いしたに違いない。
粟稗と目出度なりぬはつ月よ 半残
<あわひえと めでたくなりぬ はつづきよ>。「はつ月」は、陰暦8月5、6日頃の月。この季節になるとヒエもアワも実って黄色くなり始める。月も中秋の名月に向かって段々大きくなって心強い。
月見せん伏見の城の捨郭 去来
<つきみせん ふしみのしろの すてぐるわ>。「捨郭<くるわ>」は、城外に築造した合戦用の前線装置で堀をめぐらし武具を
製造・修理した。伏見城は秀吉が築造し、大坂夏の陣で家康によって破壊された。一句は、今年の八月十五夜の月はあの伏見の荒城の捨郭でやろう。
翁を茅舍に宿して
おもしろう松笠もえよ薄月夜
伊賀土芳
<おもしろう まつかさもえよ うすづきよ>。前詞にあるように元禄3年3月11日、芭蕉は土芳の「蓑虫庵」に招かれた。その折の喜びを土芳は詠んだ。実に素直な句である。翁に来てはもらったものの、何ももてなすものとて無い侘びしい庵のこと、せめて松笠がよく燃えて、秋冷の薄月夜に趣を添えて欲しい。
加茂に詣づ
「しでに涙のかゝる哉」とかの上人の
たなこのやしろの神垣に取つきてよみ
しとや。
月影や拍手もるゝ膝の上 史邦
<つきかげや かしわでもれる ひざのうえ>。前詞の「たなこ」は「たなお=棚尾神社」の誤り。『山家集』に「かしこまる四手に涙のかかるかな又いつかはと思ふあはれに」と詠んだ西行をパロディ化した。月影のもれる神殿で拍手を打ったらその手の影が膝にもれてきた。
友達の、六條にかみそりいたゞくと
てまかりけるに
影ぼうしたぶさ見送る朝月夜 伊賀卓袋
<かげぼうし たぶさみおくる あさづくよ>。前詞の「六条にかみそりいただく」というのは、猿雖が東本願寺から法師の称号を頂戴しに行ったことをいう。また、「たぶさ」はもとどりを結った髪型のこと。朝月夜と共に京都本願寺へ出かける人の、あの髪型もこれが見納めか?
ばせを葉や打かへし行月の影 乙州
<ばしょうはや うちかえしゆく つきのかげ>。芭蕉の大きな葉が風にゆれている。それにつれて葉の表面に映る月影も動いていく。
京筑紫去年の月とふ僧中間 丈艸
<きょうつくし こぞのつきとう そうなかま>。ここに僧二人は作者丈艸と、元禄2年故郷長崎に行っていた去来であろう。作句は元禄3年。この秋の名月の夜、お互いに京都、および筑紫の名月の様子を尋ねあっているのである。
吹風の相手や空に月一つ 凡兆
<ふくかぜの あいてやそらに つきひとつ>。秋風の吹く夜、この風に対するのは月一つだけだ。
ふりかねてこよひになりぬ月の雨 尚白
雨の中秋の名月。今日まで雨にならずに来たというのに肝心かなめの今夜に限って降るとは。。。
向の能き宿も月見る契かな 曾良
<むきのよき やどもつきみる ちぎりかな>。明月を見るに家の方角がとてもよい。そこへ招かれて素晴らしい月が見られるというのも前世の宿命なのでしょう。
元禄二年つるがの湊に月を見て、気
比の明神に詣で、遊行上人の古例を
きく
月清し遊行のもてる砂の上 芭蕉
仲秋の望、猶子を送葬して
かゝる夜の月も見にけり野邊送 去来
<かかるよの つきもみにけり のべおくり>。去来の兄元端の子・向井俊素は元禄3年8月14日死去。その葬送が翌日行われた。中秋の明月の夜である。甥の野邊送りに満月が出ている。こんな悲しい月を見ることがあろうとは。。
明月や處は寺の茶の木はら 膳所昌房
<めいげつや ところはてらの ちゃのきはら>。寺に地続きに茶畑が続く。今年の明月はこの寺で見ている。
月見れば人の砧にいそがはし 羽紅
<つきみれば ひとのきぬたに いそがわし>。中秋の頃ともなるとどこの家でも砧打ちに忙しくなる。
僧正のいもとの小屋のきぬたかな 尚白
<そうじょうの いもとのこやの きぬたかな>。僧正は、僧正遍照(816-890)( 平安前期の僧・歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。俗名、良岑宗貞(よしみねのむねさだ)。桓武天皇の孫。)のこと。在俗時代に怪しげな家に住む貧しい女と契ったことがあるとされる。一句は、この故事にかけている。砧の音が聞こえるが、あれは遍照が昔契った女の打つ砧の音ではないか。
初潮や鳴門の浪の飛脚舟 凡兆
<はつしおや なるとのなみの ひきゃくぶね>。「初潮」は、陰暦8月15日の大潮のこと。この時が年間最高潮位になる。その初潮に鳴門の飛脚舟が波をけ散らして出航する。想像の句。
一戸や衣もやぶるゝこまむかへ 去来
<いちのへや ころもやぶるる こまむかえ>。「こまむかへ」は、朝廷が諸国から馬を献上させ、それを朝廷の役人が逢坂の関まで迎えに行く行事。8月16日に行われた。この時代は、信州佐久の望月の駒だけとなっていたが、一句は奥州一戸(青森県一戸)からも献上していたとして作られた。はるばる奥州からの駒は、それを引いて来た者の服がぼろぼろになるほどの長旅だったのだ。
稗の穂の馬逃したる気色哉 越人
<ひえのほの うまにがしたる けしきかな>。秋風に吹き荒れるひえの畑の揺れ方は、まるで逃げる馬がたてがみをなびかせているように見える。
澁糟やからすも喰はず荒畠 正秀
<しぶかすや からすもくわず あらばたけ>。「渋糟」は渋柿の渋を発酵させた糟。それを畑に撒いたがさすがにカラスも食べない。
あやまりてぎゞうおさゆる鱅哉 嵐蘭
<あやまりて ぎぎゅうおさゆる かじかかな>。カジカを捕まえようと押さえたら、ぎぎゅうで刺されてしまった。「ぎぎゅう」はナマズに似た淡水魚で背中に棘があって刺す。
一鳥不鳴山更幽
物の音ひとりたふるゝ案山子哉 凡兆
<もののおと ひとりたおれる かかしかな>。静寂な山の中でかかしの倒れる音がした。「一鳥不鳴山更幽<いっちょうなかずやまさらにゆうなり>」なる漢詩(王安石)のパロディー。
むつかしき拍子も見えず里神樂 曾良
<むつかしき ひょうしもみえず さとかぐら>。ひなびた田舎の神楽。どこといって難しいところもない単調なもの。曾良はプロの神道家だったので神楽には詳しかったはず。
旅枕鹿のつき合軒の下 江戸千里
<たびまくら しかのつきあう のきのした>。奈良に旅をして宿に泊まっていると、軒端の下まで鹿が来て、特に牡達はメスをめぐって角突き合せて争う。粕谷千里は、『野ざらし紀行』に同道した大和竹内村の人。
鳩ふくや澁柿原の蕎麥畠 珍碩
<はとふくや しぶがきはらの そばばたけ>。「鳩ふく」は鳩笛を吹くこと。白い花が咲き乱れる渋柿原のそば畠で誰かが鳩笛を吹いている。物悲しい秋の夕方。
上行と下くる雲や穐の天 凡兆
<うえゆくと したじゅるくもや あきのそら>。澄み切った秋の空。雲が流れていく、その下をまた雲が追い越していく。
鮬釣比も有らし鱸つり 半残
<せいごつる ころもあるらし すずきつり>。鱸<すずき>は出世魚、幼い頃には鮬<せいご>と呼ばれたのである。スズキ釣りという言葉はあるがセイゴ釣りとは言わない。これはどうしたことだ?
ゐなか間のうすべり寒し菊の宿 尚白
<いなかまの うすべりさむし きくのやど>。ゐなか間は、関東間(6尺)のこと。京間(6尺3寸)に対して呼ぶ。菊を飾った座敷のうすべりが京間の長さに足らずつんつるてんなのは折からの晩秋の寒さを一層かきたてて寒く感じさせる。
菊を切る跡まばらにもなかりけり 其角
<きくをきる あとまばらも なかりけり>。今を盛りと咲く菊のこと。少しばかり切ってもさみしくもならない。芭蕉の、「菊の後大根の外更になし」などを意識した句。
高土手に鶸の鳴日や雲ちぎれ 珍碩
<たかどてに ひわのなくひや くもちぎれ>。土手の立ち木にヒワが来てさえずっている。秋の千切れ雲が青空を横切って流れていく。
この比のおもはるゝ哉稲の秋 土芳
<このごろの おもわるるかな いねのあき>。近頃ともなるとしきりに思いが深くなる。秋の稲の出来栄えが。思わせ振りに切り出して、超現実的なことを言うことで俳諧化した句。
稲かつぐ母に出迎ふうなひ哉 凡兆
<いねかつぐ ははにでむかう うないかな>。「うなひ」は子供の髪型。伸ばした髪の毛を首筋のところで束ねた子供の髪型。稲を背負った母親が家に帰ってくると待ちわびた子供たちが駆け寄っていく。
自題落柿舎
柿ぬしや梢はちかきあらし山 去来
<かきぬしや こずえはちかき あらしやま>。落柿舎の命名の句。去来の嵯峨野の別邸落柿舎は、去来が40本分の柿を
木ごと全部京都の商人に売ったのに、嵐が来て一晩で実が全部落ちてしまったので、代金を全額返済したという。この事件にちなんで命名されたのだが、一句はこれに関連して、柿の持ち主は私だが、柿の枝先の向こうには嵐山が見える。あの嵐はこの山から来て、私は大損をしたのだが。。。
しら浪やゆらつく橋の下紅葉
賀эャ松塵生
<しらなみや ゆらつくはしの したもみじ>。揺れるつり橋を渡りながら下を見ると真っ赤な紅葉が燃え立つようで、その下の川は白浪を上げて流れている。
肌さむし竹切山のうす紅葉 凡兆
<はださむし たけきるやまの うすもみじ>。竹は秋に切るのがよい。一寸肌寒くなった8月が時期とされる。
神田祭
さればこそひなの拍子のあなる哉
神田祭の(鼓)うつ音 蚊足
拍子さへあづまなりとや
花すゝき大名衆をまつり哉 嵐雪
<はなすすき だいみょうしゅうを まつりかな>。蚊足<ぶんそく>は嵐雪とは隣近所に住んでいたらしいが、京都の人なので江戸の行事なぞ、なんの鄙のざれ事という程度に馬鹿にしている。嵐雪は面白くない。そこで、武蔵野のススキは日本中の大名を集めたではないか、といって対抗しているのである。
行秋の四五日弱るすゝき哉 丈艸
<ゆくあきの しごにちよわる すすきかな>。ここ四、五日、すすきの元気が消えてきた。秋も終わりに近づいたのだ。
立出る秋の夕や風ぼろし 凡兆
<たちいづる あきのゆうべや かざぼろし>。「風ぼろし」は風邪を引いて出る発疹。秋が寒くなって夕方表に出たら風邪を引いてイボが出た。「さびしさに宿を立ち出てながむればいづくも同じ秋の夕暮」(小倉百人一首)のパロディー化。
世の中は鶺鴒の尾のひまもなし 同
<よのなかは せきれいのおの ひまもなし>。セキレイは、恋知り鳥と言われている。また、その交尾が短時間ですばやいことからあまり真剣な恋には譬えられない。世の中の男女の睦事などセキレイの尻尾のように忙しないことだ。
塩魚の歯にはさかふや秋の暮 荷兮
<しおうおの はにはさかうや あきのくれ>。しおざかなを食べたら歯にはさまって取れない。人生の秋もくれようとしてさみしいことだ。