芭蕉宛杉風書簡

(元禄3年9月25日)

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 當月六日・十二日両度伊兵衛方へ之御状相届、御息災承、大悦いたし候。此方無事に罷在候。夏中は女房共兄弟二人にはなれ、其上六月中より相煩、あやう(ふ)き躰に罷成候處、本間道悦老治療に而たすかり、頃日は養生、藥給申斗にて本復仕候。彼是心がゝり多ク、書状も遣し不申候。其上何やら其許やかましく膳所をも御立のき、大方美濃に可御座よし、沙汰に承、居所もしかじかしれ不申、いよいよ延引に罷成候。當月初、路通奥州筋より歸申よしにて參、其許之様子咄申候よし、曾良の物語に承、先々貴様御事、別儀無之事と知レ申候。何とも路通も合點不候様にも存候。其許へ參候とて參河にて其元之様子聞申、それよりすぐ峯ノ藥師へかゝり、山越に奥筋へ參候由承候。參河にて膳所之人に遭申候はゞ、先に其許へ參、万事之様子埒明、其上いづかたへも參候はゞ、貴様何角御苦勞も有まじき事之様に存候。少届不申候路通と存候へ共、其段少も改申にては無御座候。只今は深川に店かり居申候間、折々逢申候時はいつものごとくかたり申候。
一、御持病いかゞ無
心元存候。もはや一つ宛も御年重り申事に候へば、殊之外氣遣いたし候。是悲(非)しかじか無御座候はゞ、寒氣にむかひ、御下りも嬉しながらも、又氣遣にも御座候。とかくよくよく御養生被成、道中別儀無之様にて御下り可成候。此方之儀は貴様一人之御事、いかやうとも心まゝに可仕候間、其段もいつものごとくにおぼしめさるまじく候。
一、拙者手前之事、算用には餘慶も相見へ
(え)候へども、酒井様肴代七八百兩づゝ掛置申故、手前荷物多ク參候時分はせはしく御座候。先は不仕合共不申、宜分にて御座候間、御氣遣被成まじく候。
一、深川屋敷之儀、彌もとめ申筈に候へども、屋敷之金之訴詔(訟)にさはり申故、正月迄延引申候。
一、宗波老いよいよ道意療治にて達者に成被
申、悦申事に候。道意殊之外療治あがり、江戸にて病人多クはやり申、少宛手前ものび申程に罷成候。
一、先月十二日むさし野へ曾良同道に而參候。是は内々と申通、いもと新田不埒に付、曾良丈頼鑿
穿いたしに參候。殊之外宜事にて、今よりは次第能様にいたし候筈見立歸り申候。其節發句共いたし候を前書いたし候。曾良と相談にて直し可申候へども先々下書遣し申候。少も替りたる事も無之候へども、俳道すて不申斗の事に懸御目候。在郷道在郷馬に乗、難儀仕候事共、書申候へば一興にも成おかしく候。御覧之後火中に可成候。下書に候へば殊之外見ぐるしく御座候。
一、去春貴様爰元御立被
成候時、前方懸御目候より存付、色々の事書捨見申候へども、さりとは書れ不申候。曾良丈物覺はよく候へども、前書などは埒明不申、是又ふしぎに存事候。
一、拙者儀、もはや荷物之事は小兵衛に打まかせ、朝々も夜明申迄は臥り申、少づゝ苦労もたすかり申候。古事申直し、句に仕候。

がつくりと身の秋や歯のぬけし跡

ヶ様に申、悔申候。 以上

      九月廿五日                   杉風

 芭蕉桃青様

尚々御持病御養生随分可成候。無心元斗に存事候。中川甚五兵へ殿より拙者方御手帋參候。いかゞ無心元よし申来候。初冬下り可申由、居所しかとしれ不申候段、申遣し候。又々様子申遣し可申候。松倉又五郎殿より申来候間、いかゞ無心許よし申来候。右之通り返事遣し候。外記殿へも參、貴様無事禮申候。七月に參候かと覺申候。


 膳所の義仲寺にいる芭蕉宛に杉風が出した書簡。杉風はこの年病気をしたらしい。芭蕉が『奥の細道』の旅のあと長期わたって上方に滞在しているため随分と師の健康を気遣っている。江戸に帰ってきたときのために芭蕉庵を買い戻す工作がうまくいっていないこと、路通が来たこと、曾良と武蔵野に出かけたことなどを報告している。杉風という人の誠実さがよく表れた書簡である。