猿蓑脚注

猿蓑集 巻之二


 
  猿蓑集 巻之二
 
 
   夏
 

有明の面おこすやほとゝぎす     其角
<ありあけの おもておこすや ほととぎす>。百人一首に「時鳥鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる」が参照されている。春の有明に西の空を見れば有明の月が山の端に残っている。ここで時鳥が鳴けば百人一首の情景が再現されるのにと思っていると、本当に時鳥の声。有明の月が面子をほどこした。

夏がすみ曇り行衛や時鳥       木節
<なつがすみ くもりゆくえや ほととぎす>。夏霞が黒くかかっている。その中にホトトギスが飛んでいって、その行方も見えなくなった。

野を横に馬引むけよほとゝぎす    芭蕉

時鳥けふにかぎりて誰もなし     尚白
<ほととぎす きょうにかぎりて たれもなし>。ホトトギスがしきりと鳴く声がする。こんな格好な日和に限って誰もいないのだから。

ほとゝぎす何もなき野ゝ門ン構     凡兆
<ほととぎす なにもなきのの もんがまえ>。見渡せど何も無い野原にホトトギスが鳴いている。そこに一軒堂々とした門構えの家がある。

ひる迄はさのみいそがず時鳥     智月
<ひるまでは さのみいそがず ほととぎす>。ホトトギスは午前中はおとなしくしていてそう忙しなくもない。芭蕉の句「ほととぎす鳴く鳴く飛ぶぞ忙はし」に異議を申し立てるつもりか?

蜀魂なくや木の間の角櫓       史邦
<ほととぎす なくやこのまの すみやぐら>。ホトトギスが鳴いている方を見ると、木間がくれに城のすみやぐらが見えた。

入相のひゞきの中やほとゝぎす    羽紅
<いりあいの ひびきのなかや ほととぎす>。入相の鐘の音に和すようにホトトギスが鋭く鳴いて飛び去った。

ほとゝぎす瀧よりかみのわたりかな  丈艸
<ほととぎす たきよりかみの わたりかな>。堂々と落ちる瀑布の音の中を、ホトトギスのつんざくような声が渡っていく。滝の上流を飛び去っていったとであろう。

心なき代官殿やほとゝぎす      去来
<こころなき だいかんどのや ほととぎす>。ホトトギスの季節だというのに、恋もせず、詩も詠まず職務に精励な代官殿はいやはや無粋なことです。次の句との並記を見よ。

こひ死ば我塚でなけほとゝぎす   遊女
<こいしなば わがつかでなけ ほととぎす>。私が失恋して死んだなら、ホトトギスよ私の墓に来て恋しいあの人の消息を教えておくれ。なお、遊女奥州とは、江戸の遊女という説と浪速の遊女という説とあり詳細は不明。

松嶋一見の時、千鳥もかるや鶴の毛
衣とよめりければ

松嶋や鶴に身をかれほとゝぎす
    曾良

うき我をさびしがらせよかんこ鳥   芭蕉

旅館庭せまく、庭草を見ず
若楓茶いろに成も一さかり     膳所曲水
<わかけで ちゃいろになるも ひとさかり>。『嵯峨日記4月22日』の条に、「「わが住む所、弓杖二長ばかりにして、楓一本より外は青き色を見ず」と書きて、」とあってこの句が提示されている。つまり、膳所藩江戸藩邸内の曲水の住居も狭さを説明して、他の木とて無くカエデが一本あるだけとう話が背景にある。ここのカエデとはノムラカエデのことで、新葉は真っ赤に紅葉していて盛りが過ぎると緑になる。

四月八日詣慈母墓
花水にうつしかへたる茂り哉     其角
<はなみずに うつしかえたる しげりかな>。其角の母は貞亨4年4月8日死去。前書きの四月八日はこれをさす。墓を覆う若葉の茂り、それが手桶の水に反射している。その水を墓石の花入れに移す。

葉がくれぬ花を杜丹の姿哉     江戸全峯
<はがくれぬ はなをぼたんの すがたかな>。葉隠れにそっと咲いているボタンの花ほど美しいものは無い。全峯は江戸の人だが未詳。

別僧
ちるときの心やすさよ米嚢花     越人
<ちるときの こころやすさよ けしのはな>。ケシの花の散り際のよさ。前詞「別僧」は「僧に別れる」で、この「僧」は路通だといわれている。それゆえに後にこの句をめぐっては、「去来抄」、「旅寝論」などの俳論書にさまざまな論評が加えられた。

知恵の有る人には見せじけしの花   珍碩
<ちえのある ひとにはみせじ けしのはな>。ケシの花は散り際のよさを花の特徴とするので、知恵のある人に見せて人生のはかなさを嘆かせては意味が無いので見せられない。無理して作った句。

翁に供られてすまあかしにわたりて
似合しきけしの一重や須磨の里   亡人杜國
<にあわしき けしのひとえや すまのさと>。一重咲きのケシの花のはかなさは、ここ須磨の里の寂しさに似て実に似つかわしい姿だ。前詞にあるように、杜国は『笈の小文』の旅で芭蕉と須磨明石を旅している。芭蕉はこのとき、「海士の顔まづ見らるるや芥子の花」と詠んでケシが主題になっている。芭蕉にとって、杜国とケシは親近性が高いのでこの句は芭蕉の代作ではないかといわれている。

青くさき匂もゆかしけしの花     嵐蘭
<あおくさき においもゆかし けしのはな>。ケシの花の青臭い匂いもいいものだ。

井のすゑに浅浅清し杜若       半残
<いのすえに あさあさきよし かきつばた>。「すゑ」はすそ、「浅」は朝のこと。清水のわきに咲いている杜若。朝の露に濡れている風情はなんともいえない美しさだ。

起出て物にまぎれぬ朝の間の
起起の心うごかすかきつばた     仙花
<おきおきの こころうごかす かきつばた>。朝起きて真っ先に心を捕らえられるのが杜若の花だ。

題去来之嵯峨落柿舎二句
豆植る畑も木べ屋も名処哉      凡兆
<まめうえる はたもきべやも めいしょかな>。去来の嵯峨野にある別邸落柿舎で詠んだ。木部屋は薪を入れておく場所のことで、特にどうってことはないのだが、豆畑といい薪小屋といい、嵯峨野だと聞けばなんだから由緒正しいもののように思われる。

破垣やわざと鹿子のかよひ道     曾良
<やれがきや わざとかのこの かよいみち>。垣根が破れた場所を繕いもせずにいるのは、ここを鹿たちが通るようにわざと敗れたままにしているのであろう。

南都旅店
誰のぞくならの都の閨の桐      千那
<たがのぞく ならのみやこの ねやのきり>。

洗濯やきぬにもみ込柿の花     尾張薄芝
<せんたくや きぬにもみこむ かきのはな>。若葉の季節、柿の木の下で洗濯をしているとしきりに柿の花が落ちてくる。それを洗濯物の布の中に揉み込むような具合に洗濯をしていることだ。薄芝については詳細は不詳。

豊国にて
竹の子の力を誰にたとふべき     凡兆
<たけのこの ちからをたれに たとうべき>。前詞の「豊国」は言うまでも無く豊臣秀吉のこと。その秀吉が神となって神社に祀ったのが豊国廟である。京都東山にあったが、徳川家光によって破壊された。一句は、豊国廟跡の廃墟に生えた筍の底力に感嘆したのである。

たけの子や畠隣に悪太郎       去来
<たけのこや はたけどなりに あくたろう>。我が家の竹薮の竹の子が芽を出した。近所に悪餓鬼がいるので、棒で竹の子をいじめて折ったりしないか心配だ。

たけのこや稚き時の繪のすさび    芭蕉

猪に吹かへさるゝともしかな     正秀
<いのししに ふきかえさるる ともしかな>。「ともし」は灯しで、夏の夜に鹿狩りをするのにつかう松明のこと。鹿狩りをしているとびっくりした猪が灯しの炎を吹き消すような勢いで逃げ去ったのである。

明石夜泊
蛸壺やはかなき夢を夏の月      芭蕉

君が代や筑摩祭も鍋一ツ       越人
<きみがよや つくままつりも なべひとつ>。「筑摩祭」は、近江坂田郡筑摩明神の祭礼で、この日氏子の女たちは自分が交わった男の数だけ土鍋をかぶって奉納するという風習があった。一句は、今上天皇の御世うるわしくて女たちは皆土鍋一つしかかぶっていない、というのだが、どうもにわかに信じがたい。何時だって女たちは土鍋を一つかぶって筑摩明神にお参りしていたのであって、天皇治世の良し悪しなどには全く無関係だったのである。

五月三日、わたましせる家にて
屋ね葺と並でふける菖蒲哉      其角
<やねふきと ならんでふける しょうぶかな>。前詞の「わたまし」というのは「転居」のこと。この人は、端午の節句の前の三日に引越しをしたのであるが、あいにく未だ新居の屋根が噴き終えてなかった。そこへ五月五日の節句がきたので、屋根葺きと一緒に菖蒲を葺いたというのである。

粽結ふかた手にはさむ額髪      芭蕉

隈篠の廣葉うるはし餅粽      江戸岩翁
<くまささの ひろばうるわし もちちまき>。ちまきを包んであるクマササの葉の緑の色のすがすがしさ。加えて香りも良い。

さびしさに客人やとふまつり哉    尚白
<さびしさに まろうどやとう まつりかな>。誰も来てくれない祭りの日。あまりに寂しいので他家の客に来てもらって一杯やっている。

五月六日大坂うち死の遠忌を弔ひて
大坂や見ぬよの夏の五十年     伊賀蝉吟
<おおさかや みぬよのなつの ごじゅうねん>。「五十年」は五十年忌。蝉吟の祖父藤堂良勝は大坂夏の陣で徳川方で戦って戦死した。慶長20年(1615)5月6日のことであった。蝉吟はもちろんこの祖父を知らないので、「見ぬ世の」人なのである。

奥ыjルにて
夏草や兵共がゆめの跡        芭蕉

這出よかひ屋が下の蟾の聲      同

此境はひわたるほどゝいへるもこゝ
の事にや
かたつぶり角ふりわけよ須广明石   同

五月雨に家ふり捨てなめくじり    凡兆
<さみだれに いえふりすてて なめくじり>。この時代の理解では、殻を背負っているものを「カタツムリ」といい、すでに殻を脱いで自由の身になったもののことを「ナメクジ」と呼んだのである。つまり両者は同一の生物だというわけ。一句は、ナメクジが五月雨の雨の中を歩いている。たった今しがた家を出て自由の身になったという体で溌剌と歩いている。雨降りの日のナメクジはみんな溌剌としているのである。

ひね麥の味なき空や五月雨      木節
<ひねむぎの あじなきそらや さつきあめ>。「ひね麦」とは、古麦のこと。五月雨の季節に新麦を収穫しているのに、去年のものが残っている。それを五月雨の日に食べると、なんとまずいこと。

馬士の謂次第なりさつき雨      史邦
<うまかたの いいしだいなり さつきあめ>。梅雨時の雨の日の旅では、駄賃などのすべての条件が馬子の言いなりになってしまう。だからといって、あまり口惜しがっている風も無い。

奥名取の郡に入、中将実方の塚は
いづくにやと尋侍れば、道より一里
半ばかり左リの方、笠嶋といふ處に
有とをしゆ。ふりつゞきたる五月雨
いとわりなく打過るに
笠嶋やいづこ五月のぬかり道     芭蕉

大和紀伊のさかひはてなし坂にて、
往来の順礼をとゞめて奉加すゝめけ
れば、料足つゝみたる紙のはしに書
つけ侍る
つゞくりもはてなし坂や五月雨    去来
<つづくりも はてなしざかや さつきあめ>。前詞にある「はてなし坂」は、大和と紀州の国境の無終山<はてなしやま>で、熊野神社への参詣道路なので通行人から修繕費用を勧進させていたのである。去来はここを元禄2年に通過した。その折の句で、募金の包み紙にこの句を書いたというのだが。
 一句は、なんぼ道普請をしてもこの五月雨で文字通りはてなし山です、の意。

髪剃や一夜に金情て五月雨      凡兆
<かみそりや いちやにさびて さつきあめ>。「金情て」は「金精て<さびて>」の誤り。五月雨の季節は何もかもさびてしまう。

日の道や葵傾くさ月あめ       芭蕉

縫物や着もせでよごす五月雨     羽紅
<ぬいものや きもせでよごす さつきあめ>。何もかもかびてしまう五月雨。しまっておいた着物なども袖を通さないままにかびて着れなくなっている。

  七十余の老醫みまかりけるに、弟
子共こぞりてなくまゝ、予にいた
みの句乞ひける。その老醫いまそ
かりし時も、さらに見しれる人に
あらざりければ、哀にもおもひよ
らずして、「古来まれなる年にこ
そ」といへど、とかくゆるさゞり
ければ
六尺も力おとしや五月あめ      其角
<ろくしゃくも ちからおとしや さつきあめ>。古稀で死んだ老医への手向けの句を依頼さたものの、当人と一度も会ったことも無いので断ろうとしたがことわれずに作ったというのである。ここに「六尺」は、この医者を生前乗せて運んでいた駕篭かきのこと。医者の死で彼らは失職してしまったのである。だから、力落としなのだろうというのだが、無礼千万な句ではある。しかも、70と6尺と五月雨と数字を並べた語呂合わせもしている。

百姓も麥に取つく茶摘哥       去来
<ひゃくしょうも むぎにとりつく ちゃつみあうた>。茶摘は夏の季語である。一番茶から二番茶、三番茶と段々本格的夏になっていく。茶摘の歌に促されるように麦が色づいて、農民たちは麦刈りにも精を出すのである。

しがらきや茶山しり行夫婦づれ    正秀
<しがらきや ちゃましにゆく ふうふづれ>。「茶山しに行く」というのは茶摘に行くこと。「しがらき」は、滋賀県甲賀郡信楽町。ここは焼き物の名産地として夙に有名だが、信楽茶の産地でもある。

つかみ合子共のたけや麥畠     膳所游力
<つかみあう こどものたけや むぎばたけ>。子供たちが麦畑でけんかをしている。麦の背丈とちょうど同じくらいだから、争っている頭が出たり消えたりしている。
 この句は、『嵯峨日記』に所収の作。

孫を愛して
麥藁の家してやらん雨蛙       智月
<むぎわらの いえしてやらん あまがえる>。アマガエルに麦わらの家を作って進呈しよう。アマガエルと孫とを同一視することで愛情を表現する。

麥出來て鰹迄喰ふ山家哉      江戸花紅
<むぎできて かつおまでくう やまがかな>。よほど麦の出来が良かったのであろう。この農家では、高価なカツオを食っているぞ。作者花紅<かこう>は江戸の人だが詳細は不詳。

しら川の関こえて
風流のはじめや奥の田植うた     芭蕉

出羽の最上を過て
眉掃を面影にして紅粉の花      芭蕉

法隆寺開帳 南無佛の太子を拝す
御袴のはづれなつかし紅粉の花    千那
<おはかまの はずれなつかし べにのはな>。法隆寺の「南無佛太子像」をその御開帳で見て詠んだ句。この木像では、太子ははかまをはいていて、その裾にかすかに紅が赤く残っている。その紅は紅花から作られた色なのであろう。

田の畝の豆つたひ行螢かな       伊賀万乎
<たのうねの まめつたいゆく ほたるかな>。「畝」は「畦」の誤記であろう。農家では、しばしば田の畦道に大豆を植えたものである。蛍は、この枝豆を食べたくて畦伝いに飛んでいるのであろう、という身もふたも無い句。

膳所曲水之樓にて
螢火や吹とばされて鳰のやみ     去来
<ほたるびや ふきとばされて におのやみ>。「鳰」は、ここでは「鳰の湖」=琵琶湖の意味で使われている。蛍が飛び交っていた湖の湖面に風が出てきた。すると蛍はいっせいにどこかに消えて漆黒の闇の湖となった。

勢田の螢見二句
闇の夜や子共泣出す螢ぶね      凡兆
<やみのよや こどもなきだす ほたるぶね>。瀬田川の蛍見物の蛍舟。大人は酔っ払って上機嫌だが、闇夜の怖い子供たちはただ泣き出すばかり。その賑やかなこと!!

ほたる見や船頭酔ておぼつかな    芭蕉

三熊野へ詣ける時
螢火やこゝおそろしき八鬼尾谷   長崎上尼
<ほたるびや ここおそろしき やきおだに>。「八鬼尾谷」は熊野神社に至る「無終山<はてなしやま>」にある谷。この谷に蛍が飛び交うのを見ると、これは鬼火かと思われて身の毛もよだつ。

あながちに鵜とせりあはぬかもめ哉  尚白
<あながちに うとせりあわぬ かもめかな>。カモメは、同じように魚を求めてはいるが、貪欲な鵜のようなものと対抗してまで争って食おうというのではないようだ。意味深長な句。角逐問題を持つ尚白らしい。

草むらや百合は中々はなの貌     半残
<くさむらや ゆりはなかなか はなのかお>。ススキなどの生えている草叢にユリの花が咲いている。その花こそ、まさに花の中の花というにふさわしい。

病後
空つりやかしらふらつく百合の花  大坂何処
<そらつりや かしらふらつく ゆりのはな>。「空つり」は高熱などのために頭がふらふらすること。私は今、病後でふらふらしているが、あたかも庭のユリの花のように頭が重いのだ。

すゞ風や我より先に百合の花     
<すずかぜや われよりさきに ゆりのはな>。涼風が吹き通っていったが、これは私に吹き付けるより前に庭前のユリの花を揺らして通った風だ。「百合」と「揺り」をかけている。

焼蚊辞」を作りて
子やなかん其子の母も蚊の喰ン    嵐蘭
<こやなかん そのこのははも かのくわん>。焼蚊辞」は、<かをやくのじ>と読む。書簡参照。一句は、蚊に食われて子供が泣いている。その母もまた蚊に食われているに違いない。

餞別
立ざまや蚊屋もはづさぬ旅の宿    膳所里東
<たちざまや かやりはずさぬ たびのやど>。早朝、蚊帳もはずさずにあわただしく旅に出発する。

うとく成人につれて、参宮する從者
にはなむけして
みじか夜を吉次が冠者に名残哉    其角
<みじかよを きちじがかじゃに なごりかな>。前詞の「うとく成人につれて<うとくなるひとにつれて>」は有徳であるといわれている人に付け人してという意味。若者をこの人につけて伊勢参りをさせるという設定。
 短い夏の夜どおし若者との別れを惜しんだ。この情況はあたかも源義經が金売り吉次について上京したときとそっくりだというのであるが、ここには男色の匂いがあるようだ。

隙明や蚤の出て行耳の穴       丈艸
<ひまあくや のみのでていく みみのあな>。耳の中に入ったノミ。中でゴソゴソやかましい。隙間を作ってやったら出て行った。

下闇や地虫ながらの蝉の聲      嵐雪
<したやみや じむしながらの せみのこえ>。うっそうと茂った薄暗い藪の中。セミの声が降るように聞こえている。それが地中深くしみこむようで、まるでセミの幼虫が地中で鳴いているような錯覚にとらわれる。回りくどい句。

客ぶりや居處かゆる蝉の聲     膳所探志
<きゃくぶりや いどころかゆる せみのこえ>。セミは同じ木で一二度鳴くと別の木に移ってまたそこで鳴く。その様子がまるでよその家にお客に行くようで面白い。

頓て死ぬけしきは見えず蝉の聲    芭蕉

哀さや盲麻刈る露のたま       伊賀槐市
<あわれさや めくらあさかる つゆのたま>。盲人が朝露にぐっしょりと濡れた麻を刈っている。ここに盲人は、人間一般を指すか。つまり見えないままに生きている哀れさという意味で。露は朝日に消えるので無常をあらわす。

渡り懸て藻の花のぞく流哉      凡兆
<わたりかけて ものはなのぞく ながれかな>。清流にかかる橋を渡ろうとしてふと下を見ると、藻の花が見える。なんとかわいらしい。

舟引の妻の唱哥か合歓の花      千那
<ふなひきの つまのしょうかか ねむのはな>。川岸を船頭夫婦が舟を曳いて上ってゆく。妻の船曳歌がのんびりと岸辺に響く。そこにはねむの花が眠たげに咲いている。

白雨や鐘きゝはづす日の夕      史邦
<ゆうだちや かねききはずす ひのゆうべ>。入相の鐘を今日ばかりは聞き漏らしてしまった。なにしろひどい夕立がきたから。

素堂之蓮池邊
白雨や蓮一枚の捨あたま       嵐蘭
<ゆうだちや はすいちまいの すてあたま>。前詞は素堂がハスをこよなく愛して葛飾の蓮池に別邸を作って毎日ハスを見ていると聞いて作句したことを意味する。夕立がきたら素堂はきっとハスの葉を一枚坊主頭にかぶせて雨よけしているのであろうなぁ。

日燒田や時々つらく鳴く蛙      
<ひやけだや ときどきつらく なくかわず>。「日焼田」は旱魃で水が干上がってしまった田んぼのこと。あまりにくるしさにカエルが時々うめき声を上げる。

日の暑さ盥の底の蠛かな       凡兆
<ひのあつさ たらいのそこの うんかかな>。猛暑にさらされているたらいの底にウンカがびっしり着いている。

水無月も鼻つきあはす數奇屋哉    
<みなづきも はなつきあわす すきやかな>。句会の席か? 水無月のこの暑いさなかに男共がこうして鼻付き合わせて座っていることよ。

日の岡やこがれて暑き牛の舌     正秀
<ひのおかや こがれてあつき うしのした>。「日の岡」は、京都市山科区日ノ岡で、東側だけが開いているので朝日が顔に当たるところからこう呼ばれているそうである。「こがれる」のは焼け付くことで、恋することではない。日の岡を牛が猛暑に焼きつかれながら歩いている。さぞや喉も渇いていることであろう。

たゞ暑し籬によれば髪の落      木節
<ただあつし まがきによれば かみのおち>。ただただもう暑い。暑いので日陰のある垣根に寄って歩いていくと垣根にからみついている髪の毛が顔に触れてまた何とも気持ちが悪い。

じねんごの藪ふく風ぞあつかりし   野童
<じねんごの やぶふくかぜぞ あつかりし>。「じねんご」は竹の実で、竹は60年に一回花が咲いて場所を移して死に絶えるといわれている。その花によって脂肪分の濃い実がなる。これをじねんごという。これをネズミが食して大発生をするとも言われている。一句は、そんな花の咲いた枯れた竹薮の夏。通る風も暑苦しい。

夕がほによばれてつらき暑さ哉    羽紅
<ゆうがおに よばれてつらき あつさかな>。招かれていってみるとその家には夕顔が咲いているものの、風がまったく無い。正座をしていると暑さに死にそうな気分。

青草は湯入ながめんあつさかな   江戸巴山
<あおくさは ゆいりながめん あつさかな>。露天風呂の縁に茂っている青草は湯に入って熱いおもいをしながら眺めるのである。作者巴山については詳細不詳。

千子が身まかりけるをきゝて、みの
ゝ國より去来がもとへ、申しつかは
し侍ける

無き人の小袖も今や土用干
      芭蕉

水無月や朝めしくはぬ夕すゞみ    嵐蘭
<みなづきや あさめしくわぬ ゆうすずみ>。猛暑の六月は夜眠れないので朝方になって眠る。つまり朝寝坊。そうなるといきおい朝飯抜きということになって夕涼みだけは欠かさないということだ。

じだらくにねれば涼しき夕べかな   宗次
<じだらくに ねればすずしき ゆうべかな>。『去来抄』に「猿蓑撰の時一句の入集を願ひて数句吟じ来れど取るべきなし。一夕、先師の、いざくつろぎ給へ、我も臥しなんと宣ふに、?も、御許し候へ、じだらくに居れば涼しく侍ると申す。先師曰、是、發句なりと。今の句に作りて、入集せよと宣ひけり。」とある。作句の様子がありありと伝わってくる。ただし、作者宗次については不明。

すゞしさや朝草門ンに荷ひ込     凡兆
<すずしさや あさくさもんに にないこむ>。朝露に濡れた草を早朝から門内に担ぎ込む百姓家がある。勤勉と涼しさと。

唇に墨つく兒のすヾみかな      千那
<くちびるに すみつくちごの すずみかな>。寺子屋で手習いを済ませた少年が唇に筆をなめた墨の跡をにじませて寺の縁で涼んでいる。さわやかな一句。

月鉾や兒の額の薄粧         曾良
<つきぼこや ちごのひたいの うすけはい>。「月鉾」は祇園祭の山鉾に付いている三日月の飾りのこと。山車の上の兒の額の薄化粧の色っぽさ。

夕ぐれや屼並びたる雲のみね     去来
<ゆうぐれや はげならびたる くものみね>。夕暮れの入道雲の頭を見ればみんな禿げている。

はじめて洛に入て
雲のみね今のは比叡に似た物か   大坂之道
<くものみね いまのはひえに にたものか>。雲の峰が千変万化しながら浮かんでいる。今のは比叡山の形を真似たのだろうか?



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