芭蕉db

嵯峨日記

(4月20日)


二十日 北嵯峨の祭見むと、羽紅尼*来 ル。
去来京より来ル。途中の吟とて語る。

つかみ あふ子共の長や麥畠

(つかみあう こどもたけや むぎばたけ)

落柿舎は昔のあるじの作れるまゝにして、處々頽破ス*。中々に作みが ゝれたる昔のさまより、今のあはれなるさまこそ心とヾまれ。彫せし梁*、 畫ル壁も風に破れ、雨にぬれて、奇石怪松も葎の下にかくれたるニ、竹縁の前に柚の木一もと*、花芳しければ、

柚の花や昔しのばん料理の間

(ゆのはなや むかししのばん りょうりのま)

ほとゝぎす大竹藪をもる月夜

(ほととぎす おおたけやぶを もるつきよ)

尼羽紅

又や来ん覆盆子あからめさがの山

(またやこん いちごあからめ さがのやま)

去来兄の室*より、菓子・調菜の物など送らる。

今宵は羽紅夫婦をとヾめて、蚊帳一はりに上下五人挙リ伏たれば、夜もいねがたうて、夜半過ぎよりをのをの起出て、昼の菓子・盃など取出て、暁 ちかきまではなし明ス。去年の夏、凡兆が宅に伏(臥)したるに、二疊の蚊帳に四國の人*伏(臥 )たり。「おもふ事よつにして夢もまた四種」と、書捨たる事共など、云出してわらひぬ。明れば羽紅・凡兆京に歸る。去来猶とヾまる。


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柚の花や昔しのばん料理の間

 落柿舎は今でこそ古びているが、その昔の姿は相当に贅を尽くしたもの。いま、その時代に植えたと思われる柚の花が香っている。その香りを嗅いでいると何時の間にか昔の料理の香りが漂ってくるような気持ちになってくる。「五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」『伊勢物語』の俳諧化。

ほと ゝぎす大竹藪をもる月夜

 夜のしじまを破って時鳥が鋭い声を上げて鳴きわたっていく。黒々とした竹薮を破って月明かりが漏れている。スケールの大きな句。