芭蕉db

奥の細道

(永平寺・福井 元禄2年8月12?〜14日)


雪の永平寺山門(写真提供:牛久市森田武さん)


 五十丁山に入て*、永平寺を礼す*。道元禅師*の御寺也。邦機千里を避て*、かゝる山陰に跡をのこし給ふも、貴きゆへ有とかや。
 福井は三里計なれば、夕飯したゝめて出るに、たそかれの路たどたどし。爰に等栽*と云古き隠士有。いづれの年にか、江戸に来りて予を尋。 遙十とせ余り也。いかに老さらぼひて有にや、将死けるにやと人に尋侍れば、いまだ存命して、そこそこと教ゆ*。市中ひそかに引入て*、あやしの小家に、夕貌・へちまのはえかゝりて*、鶏頭・はゝ木ヾに戸ぼそをかくす*。さては、此うちにこそと門を扣ば*、侘しげなる女の出て、「いづくよりわたり給ふ道心の御坊にや*。あるじは此あたり何がしと云ものゝ 方に行ぬ。もし用あらば尋給へ」といふ。かれが妻なるべしとしらる。むかし物がたりにこそ、かゝる風情は侍れと*、やがて尋あひて、その家に二夜とまりて、名月はつるがのみなとにとたび立。等栽も共に送らんと、裾おかしうからげて、路の枝折とうかれ立*

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表紙 年表

等哉を訪ねる芭蕉と不在を告げる等哉の妻
与謝蕪村筆 逸翁美術館所蔵


等裁の旧居跡(写真提供:牛久市森田武さん)