芭蕉db

許六宛書簡

(元禄7年6月15日 芭蕉51歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


 先日李由僧飛脚便にて膳所迄御芳墨相達し、其後御左右も不承候*。愈御無為に御勤被成候や、暑気之天無心元存候*。拙者兼而申達候通、風与上方へ出候而は*、貴辺へまはり合延引に可成候半間、上り懸直にと存候處*、持病いかヾと古老・門下の者共達而東海道駕など力に可上るよし故、京・大坂・旧里を過候て、貴境へまはり合被申まじく候*。今年若延引に及候はヾ、来春下り懸に成共、是非御尋可仕候*。愚畫御望之上は、片時も早くと乍存、此方まはり合、遊行上人の道筋あしく候*。其内随分無他念御勤、御秀作可承候*。暑気の労、句作も不仕候。洒堂参候哥仙興行に

   柳小折片荷は凉し初真桑

其外何事得不申候。去来へ御状度々、御作力感心之旨驚たる申分に候而、拙者大悦不少候*。頓首
    六月十五日                         はせを
許六様

 

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 落柿舎から彦根の許六に宛てた書簡。上京に至る経路で彦根に立寄れなかった言い訳と、所望の絵が未だ未着手であること、来年の春には遅くとも江戸に帰る道筋で彦根によるであろうと言って、上方で生涯を終える覚悟で上京したのではないことを伺わせる書簡。なお、本書簡は彦根の許六から寄せられた書簡の返書となっていることが分かっている。