芭蕉db

許六宛書簡

(元禄6年10月9日 芭蕉50歳)

書簡集年表Who'sWho/basho

保生佐太夫*三吟に

老の名の有共しらで四十から

少将の尼の哥餘情候*
素堂菊園に遊びて*

菊の香や庭にきれたる沓の底

野馬*と云もの四吟に

金屏の松の古さよ冬篭り

猶広く他見被成まじく候。追付俳諧など可御目候。乍去当冬は相手に可為物(者)御座候へば、俳諧も成申まじく候。広き江戸に相手なきも気の毒に存候。当方無恙、五句付点取、脾の臓を捫躰候*。此脾の臓捫破たらん後、初而俳諧はやり可申候。いづ方へも久々絶書音、善(膳)所へ連状一通、此状のみ(に)候。大がき・大坂へもいまだ初夏より返翰不致候。落字・文言の前後、相ゆづり候而、御被覧可下候*。当年めきと草臥増り候*
上方辺、絵色紙いまだ調不申由、重而可申遣*。扨又此度石摺大色紙四枚被御意辱、折ふし屏風入用候而、別而よろこび申候*。五老井のあづきも日やけにあひ可申候*。煎茶被下候由、遅くてくるしからず候。能便宜少々可御意*。頃日あべ茶にも給あき候*。以上
十月九日                                はせを
許六雅丈
鬼百合と云所、鬼となくても有度候。古法長篇、先は奇特成事書したゝめられ候*

 深川芭蕉庵から、彦根にいる許六に宛てた書簡。この日、芭蕉は一月遅れの重陽の節句に素堂亭に招かれていた。本文中には、このところ俳諧をしていない、江戸で自分の相手をやってくれる人がいないと書いているが、それは正しくないことが分かる。許六がいないことを残念に思っているという文学的粉飾である。