芭蕉db
    元禄辛酉之初冬九日、素堂菊園之遊
   重陽の宴を神無月の今日に設け侍
   る事は、その頃は花いまだ芽ぐみ
   もやらず、「菊花ひらく時即ち重
   陽」といへる心により、かつは展
   重陽のためしなきにしもあらねば、
   なほ秋菊を詠じて人々を勧められ
   ける事になりぬ

菊の香や庭に切れたる履の底

(続猿蓑)

(きくのかや にわにきれたる くつのそこ)

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 元禄6年10月9日。重陽の節句からは一月遅れであるが、「菊花ひらく時即ち重陽」(菊の花が咲いたときこそ重陽の節句で9月9日ばかりがそうだというのではない)、展重陽(国忌みのことなどがあったときに重陽の宴を延期すること)などということもあるので、(屁理屈を言って?)素堂がこの日重陽の宴を開いたのである。其角・桃隣・沾圃・曾良などが集まったらしい。

菊の香や庭に切れたる履の底

 一月遅れの観菊の会に招かれて畏友素堂の庵に行った。飾らない素堂のこととて残菊の庭にはひっくり返った鼻緒の切れた草履が落ちている。
 菊の宴という風流と破れた草履とのアンバランスを詠みとって俳諧とした。履は、本来は革製品のものをいい、それは中国のものだったので、この庵にあるわけもなく、この履はわらで作られた草履のことであろう。素堂の漢文趣味に合わせて履といったものである。
 去来からの受信書簡には、

菊の香や庭にきれたる沓の尻

 とあるが、何かの間違いであろう。