芭蕉db

高山伝右衛門宛書簡

(天和2年5月15日 芭蕉39歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


五月十五日       松尾桃青

高山伝右衛門
貴墨忝致拝見、先以御無為被御座珍重奉存候。私無異義(儀)罷有候。仍而御巻致拝吟候。尤感心不少候へ共、古風之いきやう多御座候而、一句之風流おくれ候様に覚申候。其段近比御尤。先は久々爰元俳諧をも御聞不成、其上京・大坂・江戸共に俳諧殊外古ク成候而、皆々同じ事のみに成候折ふし、所々思入替候ヲ、宗匠たる者もいまだ三四年已然の俳諧になづみ、大かたは古めきたるやうに御坐候へば、学者猶俳諧にまよひ、爰元にても多クは風情あしき作者共見え申候。然る所に遠方御へだて候而、此段御のみこみ無御坐、御尤至極奉存候。玉句之内、三四句も加筆仕候。句作のいきやう、あらまし如此に御坐候。
一、一句、前句に全躰はまる事、古風・中興共可申哉
一、俗語の遣やう風流なくて、又古風にまぎれ候事
一、一句細工に仕立候事、不用候事
一、古人の名ヲ取出て何々のしら雲などゝ云捨る事、第一古風にて候事
一、文字あまり、三四字・五七字あまり候而も、句のひゞき能候へばよろしく、一字にても口にたまり候ヲ御吟味可有候事。

子共等も自然の哀催すに

  つばな(茅花)と暮て覆盆子刈原  才丸*

(こどもらも じねんのあわれ もよおすに つばなとくれて いちごかるはら)

賤女とかゝる蓬生の恋   同

  よごし摘あかざ(藜)が薗にかいま見て

(しずめとかかるよもぎうのこい よごしつむ あかざがそのに かいまみて)

今や都は鰒を喰らん

  夕端月蕪ははごしに成りにけり  其角

(いまやみやこはふぐをくうらん ゆうはづき かぶははごしに なりにけり)

といはれし所杉郭公

  心野を心に分る幾ちまた  同

(といわれしところすぎほととぎす こころのを こころにわくる いくちまた)

山里いやよのがるゝとても町庵

  鯛讀聲に酒の詩を賦ス  愚句

(やまざといやよのがるるとてもまちいおり たいうるこえにさけのしをふす)

葛西の院の住捨し跡   同

  ずいきの戸蕗壷の間は霜をのみ  同

(かさいのいんのすみすてしあと ずいきのと ふきつぼのまは しもをのみ)


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 この書簡の年の暮、八百屋お七の放火による江戸大火のおり世話になることになる門人麋塒への俳諧教授の書簡。ここには、芭蕉中期の俳論が述べられている。俳諧に革命を起こした芭蕉の、次第に高まっていく世間の風潮との軋轢が行間に表出されている。麋塒が送った作品が見当たらないので、具体性に欠けるが、芭蕉の文学の基本が語られている意味で極めて貴重な書簡である。
 そういいながら、まだ芭蕉の作品は今から見れば若かったのであるが・・・・