芭蕉db

貝増卓袋宛書簡

(貞亨5年9月10日)

書簡集年表Who'sWho/basho


 名古屋までの御状、ならびに加兵衛持参、共に相達し候。先づ以て姉者人御事、かねて急々に見うけ候ゆゑ、貴様を別して頼み置き候ところ、いよいよ御見届け、大慶に存じ候。一両年不自由不調の事ども、さてさて残り多くいたはしく存じ候。加兵衛事も、ないない何事ぞはでかし申すべくと存じ候。このたびの事は小事にて候。先づ仕合せに御座候。無調法一ぺん事に御座候へば、くるしからざるあやまちと存じ候。貴様路金など御とらせなされ候よし、半左衛門殿よりつぶさに御申し越し、感心申し候。さては加兵衛事、寒空にむかひ、單物・帷子ばかりにて丸腰同前の体、ふとん一枚用意なく候へば、当分何から建立いたすべきやら、草庵隠遁の客にあぐみものにて候へども、拙者国に居り申す時より不便に存じ候ものにて候へば、今以て不便ともとかく申し難き事ども、まことにわりなき仕合せに候。先づ春まで手前に置き、草庵の粥などたかせ、江戸の勝手も見せ申すべく候。四十あまりの江戸かせぎ、おぼつかなく候。奉公とては、おほかた相手あるまじく候。寺方・医者衆の留守もりなどといふやうなる事か、何とぞ江戸の事にて御座候あひだ、天道次第と存じ候。あまりよき事も有るまじきと、かねて御覚悟なさるべく候。まことに不埒に候はば、鉦叩と拙者も存知居り申し候。是非なく候。便りもしかとせず候あひだ、早々申し残し候。以上

                松尾桃青

九月十日

かせ屋市兵衛様
 御老母・御正殿・子ども、ご無事のよし、珍重に存じ候。梅軒老・権左衛門殿・与兵衛殿、御状にあづかり候。あとより御報申し上ぐべく候。

 貞亨5年9月10日は、『笈の小文』、次いで『更科紀行』と長い旅行の末に江戸に帰着した直後である。そして、この日は山口素堂亭で句会が開かれて、そこでいざよひのいづれか今朝に残る菊」と詠んでいる。
 増原卓袋は伊賀上野の門人。かれから、『笈の小文』の旅の途中名古屋に滞在していたおりに手紙が送られてきたものに対する返事がこの書簡。
 経済的に貧困な中での兄嫁・松尾半左衛門の妻の死と、それにまつわる卓袋(市兵衛)の援助についての謝辞と、加兵衛なる人物の江戸出奔?の様子や困惑状況などまことに人間臭い書簡。この加兵衛なる人物は、この時点では芭蕉庵に寄寓しているらしいが、伊賀で何をしでかしたのか、また加兵衛のその後の顛末がどうなったのか全く不明。
 俳聖芭蕉の身辺にも俗なる人事があったことが伺えて興味深い。

名古屋までの御状:芭蕉は『笈の小文』の旅で7月14日から8月11日まで名古屋に滞在している。そこへ卓袋からの近況報告が届いたのである。

加兵衛持参:加兵衛持参の持参した卓袋からの手紙も届いた、の意。その加兵衛なる人物の正体は不明だが、松尾家の使用人か縁者か。芭蕉が未だ伊賀に居た頃から松尾家に居たらしい。

姉者人御事:松尾半左衛門の妻、芭蕉にとっては嫂。彼女がこの年夏伊賀上野で身罷ったが、詳細不明。

急々に見うけ候ゆゑ:大夫容態が悪いようだった、の意。

いよいよ御見届け:嫂の看病などを卓袋に依頼しておいたのを、よくやってくれて最後まで面倒を見てくれてありがとうと礼を言っている。

残り多くいたはしく存じ候:半左衛門の家計は、ここ1、2年大変貧しく、その上の嫂の死であってみればなんとも心残りでたまらない、というのであるが、夫たる半左衛門当人の仔細が紹介されていず、詳細はよく分からない。

はでかし:よからぬ事をしでかす、の意。実際に、加兵衛が何をやらかしたのか、この書簡からは読み取れない。ただ、芭蕉はそれを余り深刻には思っていないことだけが伝わってくる。

無調法一ぺん事:あまり深刻な悪事でもない、の意。

あぐみもの:(草庵に隠遁しているような自分にとっては加兵衛のような居候は)もてあましもので、の意。

建立いたすべきやら:何から手をつければよいのか、の意。

わりなき仕合せに候:どうにもしようのない事態。

鉦叩:乞食のこと。