真蹟懐紙
将軍明智*が貧のむかし、連歌会いとなみかねて、侘びはべれば*、その妻ひそかに髪を切りて、会の料に供ふ*。明智いみじくあはれがりて、「いで君、五十日のうちに輿にものせん」と言ひて、やがて言ひけむやうになりぬとぞ。
ばせを
(つきさびよ あけちがつまの はなしせん)
又玄子妻に参らす*。
俳諧勧進牒
滋賀県大津市坂本の西教寺境内の句碑(牛久市森田武さん撮影)
細川ガラシャ夫人ゆかりの西教寺の石仏(同上)
ガラシャ婦人(1563-1600)は、
安土桃山時代のキリシタン大名細川忠興の室。明智光秀の女(むすめ)で名は玉。ガラシャはキリシタン洗礼名。関ヶ原の戦いの際、人質として大坂城に入城することを拒み、自刃した。(『大字林』)