(むぎぬかに もちやのみせの わかれかな)
(わかればや おもいだすべき たうえうた)
小川氏:小川風麦。風麦についてはWho'sWho参照。
道々も次郎兵衛と申しやまず候:この旅で芭蕉は寿貞尼の息子次郎兵衛を同道した。曾良は、絵が上手で旅のパンフレットを芭蕉らに小田原で別れるときに渡した。それが良く出来ていて、重宝したので、そのことを次郎兵衛と道々話し合ったというのである。微笑ましい。
孫兵衛:如舟のこと。孫兵衛についてはWho'sWho参照。
さきにもよく合点いたし:俳諧に熟達していない如舟達のこととて、句会を催すというわけにもいかないが、そのことを本人達も良く心得ていて、の意。
唐紙:<とうし>と読む。中国渡来の紙で、画用紙として使われた高給紙。この時代、紙そのものが高級で、なかなか手に入らなかった。
荷兮:Who'sWho参照。
野水:Who'sWho参照。
越人:Who'sWho参照。
是非え参らざるかたより音物:音物<いんもつ>とは贈り物のこと。時間が無くて芭蕉が訪れられない家では主人が贈答品持参した。
例の浮気者:荷兮らは芭蕉の俳諧革命についていけず分派活動を始めていた。そのことで尾張蕉門は後に分裂していったのである。その荷兮一派が芭蕉を歓待するので、露川などの一派は少々調子が狂ってしまったのであろう。
且藁:<たんこう>と読む。杉田且藁、尾張門人の一人。
荷兮と出会ひこれ無きゆゑ:露川は、不仲の荷兮と顔を合さないようにしていた。
長島大智院留守:三重県長島町の大智院住職秀精。曾良の伯父。『奥の細道』の後、伊勢神社に向かった折もここに芭蕉は投宿している。
孫右衛門:水田正秀。Who'sWho参照。
茶時分やかましく候ゆゑ:茶摘みの季節がやってきて、随分忙しいので、の意。これを避難して曲水亭に移ったのである。曲水についてはWho'sWho参照。
伊賀半左衛門:兄松尾半左衛門。屋敷内に土芳らが中心になって芭蕉のための草庵を建築した。芭蕉は、この夏盂蘭盆を中心に秋までそこに滞在したのが、郷里伊賀上野の最後になった。
土芳・意専・半残:Who'sWho参照。
沾圃会感心:沾圃が句会を主催したときの作品を芭蕉に送ってきたが、その出来栄えと主催したことを褒めている。その会は、桃隣が発句を付けた。沾圃についてはWho'sWho参照。
二巻の歌仙:江戸在住中に芭蕉が沾圃・馬筧<ばけん>・里圃<りほ>らと巻いた四吟歌仙のことで、その名前を『続猿蓑』としたことの了解。
市之丞作意:市之尉の作った句は、びっくりさせるもので大変よろしい、の意。ただし、市之丞は不明。彼に、直接手紙を寄越すように依頼している。