芭蕉db
(元禄7年1月20日)
百とせの半に一歩を踏出して*、浅漬歯にしみわたり、雑煮の餅のおもしろく覚候こそ、年の名残も近付候にやとこそおもひしられ侍れ*。去年の春、まだ片なりの、ときこえ候梅のにほひも*、今としは漸々色香しほ(を)らしく、御慈愛之ほど推察致候。
久々便不レ仕無音*、去年中は何角心うき事共多く取重候段、同名方迄具に申遣し候間、御聞可レ被レ成候*。早々東麓庵の桜の比はと*、漸々旅心もうかれ初候。され共いまだしかと心もさだまらず候へ共、都の空も何となくなつかしく候間、しばしのほど成共上り候而、可レ懸二御目一と存候。定而歳旦、承度候*。愚句京板に出候而*、門人の引付ごとに書とられ候間*、いづれにて成共御覧可レ被レ成と、書不レ申候。便り一字、慈鎮和尚より取伝へ申候*。
百とせの半に一歩を踏出して:<ももとせのなかばにいっぽをふみいだして>と読む。この年芭蕉は51歳になった。百年の半分を生きたというのである。
年の名残も近付候にやとこそおもひしられ侍れ:「年の名残」は、死を暗示する。事実、芭蕉はこの年10月12日に死去した。もとより、この記述は偶然の一致に過ぎないのだろうが。
便り一字、慈鎮和尚より取伝へ申候:「曲水宛書簡」に詳しい。
まだ片なりの、ときこえ候梅のにほひも:元禄6年意専の歳旦吟「元日やまだ片なりの梅の花」で初孫の誕生を喜んだ句を詠んだのを受けて、其の孫もすくすくと御成長のことでしょう、の意。
同名方迄具に申遣し候間、御聞可レ被レ成候:<どうみょうかたまでつぶさにもうしつかわしそうろうかん、おききなさるべくそうろう>と読む。「同名方」は実家松尾半左衛門方を指す。去年(元禄6年)は、楢子桃印の死、古参の弟子嵐蘭の死等々、芭蕉にとって災厄の年であったことは、兄の家からお聞き及びのとおりです、の意。
早々東麓庵の桜の比はと:<そうそうとうろくあんのさくらのころはと>と読む。「東麓庵」は意専の草庵で、庵名は芭蕉の命名による。そこの桜が咲く頃には一度訪ねたい、の意。