芭蕉db

十八楼ノ記

(貞亨5年6月8日:45歳)


 美濃の国長良川にのぞんで水楼*あり。あるじを賀島氏*といふ。稲葉山*うしろに高く、乱山*西にかさなりて、近からず遠からず。田中の寺は杉のひとむらに隠れ、岸にそふ民家は竹の囲みの緑も深し。さらし布ところどころに引きはへて*、右に渡し舟うかぶ。里人の行きかひしげく、漁村軒をならべて、網をひき釣をたるるおのがさまざまも、ただこの楼をもてなすに似たり。暮れがたき夏の日も忘るるばかり、入日の影も月にかはりて、波にむすぼるるかがり火の影もやや近く、高欄のもとに鵜飼するなど、まことに目ざましき見ものなりけらし。かの瀟湘*の八つの眺め、西湖の十のさかひ*も、涼風一味*のうちに思ひこめたり。もしこの楼に名を言はむとならば、「十八楼」とも言はまほしや。

このあたり目に見ゆるものは皆涼し  ばせを

(このあたり めにみゆるものは みなすずし)

貞亨五仲夏

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このあたり目に見ゆるものは皆涼し

 『笈の小文』の旅の帰路、岐阜の油商賀島善右衛門の別邸に招かれた際に、この邸に「十八楼」と命名し、その謂れを書いて与えた一文が『十八楼の記』である。長良川の岸辺に立つ高殿から夏の夕、川風にうたれながら鵜飼漁を眺める風流が極意である。
 この句は一文を総括する。句としてはあまり芳しいものではないが、水楼の命名「十八楼」と、それを称える挨拶吟としての役割を果たしている。
 なお,賀島善右衛門は俳号鴎歩<おうほ> 。岐阜蕉門の一人。


岐阜湊町十八楼の句碑。牛久市森田武さん提供