芭蕉db

呂丸宛書簡

(元禄2年6月中旬 芭蕉46歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


今度初而得御意候處*、御取持御厚情故、山詣滞留心静相勤候而、誠忝奉存候*。風雅之因不浅故*、もの事御心安、他人無隔、互之心意安らかに得芳慮大慶忝奉存候*。先以本坊におゐて御馳走御懇情之段*、扨々無類堂者、御礼筆頭難尽奉存候*。うき世の人がましく程よろしき御礼も筆端もどかしく候間*、能様御心得奉頼候*。光明坊・貞右衛門殿親子*、南谷御坊様がた*能様に御心得奉頼候。
尚々上方より具に可申上候。  以上

 『奥の細道』の旅中、羽黒山で芭蕉一行の面倒を見た近藤左吉こと呂丸宛書簡。宛名を欠くが、内容からして本書簡は羽黒山から下山した後に呂丸に謝意こめて送ったものであることが分る。『曾良旅日記』によれば、6月15日象潟より「左吉状」を出した旨の記録がある。
 書き出しからして、芭蕉と呂丸は旅で知り合ったのが初めてであった。なお、この書簡も漢文調で漢字が多いが、左吉の教養が高いと見ている証拠である。

今度初而得御意候處:<このたびはじめてぎょいをえそうろうところ>と読む。呂丸と芭蕉は初見であったことが分る。

御取持御厚情故、山詣滞留心静相勤候而、誠忝奉:<おとりもちごこうじょうゆえ、やまもうでたいりゅうこころしずかにあいつとめそうろうて、まことにかたじけなくぞんじたてまつりそうろう>と読む。貴方に御心遣い頂きましたので、羽黒山詣でや山での御勤めが心安らかに行えました、有り難うございました、の意。

風雅之因不浅故:<ふうがのちなみあさからざるゆえ>と読む。貴方は風雅の道を心得ておられて、の意。

互之心意安らかに得芳慮大慶忝奉存候:<たがいのしんいやすらかにほうりょをえ たいけいかたじけなくぞんじたてまつりそうろう>と読む。(御心を尽して下さって、隔てなく扱って下さり)お互い安心してお付き合い出来たことうれしく、有り難く思っております、の意。

先以本坊におゐて御馳走御懇情之段:<まずもってほんぼうにおいてごちそうごこんじょうのだん>と読む。羽黒山においておもてなしを頂き、の意。

扨々無類堂者、御礼筆頭難尽奉存候:<さてさてぶるいのどうしゃ、おれいひっとうにつくしがたくぞんじたてまつりそうろう>と読む。羽黒山の巡礼者としては例の無い扱いを受け、御礼の言葉がありません、の意。

うき世の人がましく程よろしき御礼も筆端もどかしく候間:手紙では月並みで型通りの謝意しか表せずもどかしいのですが、の意。

能様御心得奉頼候:<よきようおこころえたのみたてまつりそうろう>と読む。

光明坊・貞右衛門殿親子:光明坊は羽黒山修験坊の主。月山から下りてきた芭蕉一行を強清水に出迎えた。貞右衛門はその子。

南谷御坊様がた:羽黒山別当の会覚阿闍梨<えかくあじゃり>