芭蕉db

西山宗因

(慶長10年(1605)~天和2年(1682))

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 江戸時代の連歌師、俳人.通称次郎作。名は豊一。宗因は連歌における号。俳号は一幽、西翁、梅翁など。肥後八代の人。15歳の頃肥後藩加藤忠広の家老八代城主加藤正方に仕えた。1632年加藤家が改易にあって浪人となる。43歳の時、大阪天満宮の連歌師の宗匠となり、談林俳諧の祖として以後35年間の目覚しい活躍に入る。浪人中、諸国を徘徊し、浪浪の身をおくった。門下に西鶴がいる。78歳で没し、大阪天満西寺町西福寺に眠る。法名「実省院円斎宗因居士」。
 連歌の著作として、『両吟千句』・『風庵懐旧千句』・『十花千句』・『延宝千句』・『宗因発句帳』、紀行文として、『肥後之記』・『津山紀行』・『松島紀行』など、また俳諧書として、『蚊柱百韻』・『宗因十百韻(とっぴゃくいん)』・『天満千句』・『宗因七百韻』・『梅翁発句むかし口』・『梅翁宗因発句集』などがある。