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芭蕉db
山崎宗鑑*屋敷、近衛殿の「宗鑑が
姿を見れば餓鬼つばた」と遊ばし
けるを思ひ出でて
(猿宛書簡)
(ありがたき すがたおがまん かきつばた)
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貞亨5年夏。『笈の小文』の旅を須磨明石で終えて、京都乙訓郡大山崎の宗鑑遺跡を訪ねて。貞亨5年4月25日付猿雖宛書簡に初出。
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有難き姿拝まんかきつばた
その昔、近江公は、痩せこけて乞食のような山崎宗鑑がカキツバタを取っているのを見て、「宗鑑が姿を見れば餓鬼つばた」と詠んだという。その哀れな姿はカキツバタならぬガキツバタだというのである。しかし、私はそんな風狂の宗鑑こそありがたい人であり、カキツバタに宗鑑の姿を写していま一面のカキツバタを見ている。芭蕉の乞食趣味の表出である。
室町後期の連歌師・俳人。俳諧の祖。足利将軍に仕え、後に剃髪して宗鑑と号、山城国山崎に住む。有数の連歌師であったが、俳諧連歌に重きをおき、俳諧独立の機運を作った。編「新撰犬筑波集」。(―-1540頃)(『広辞苑』より)