芭蕉db

桃印

とういん

(生年不詳〜元禄6年3月)

Who'sWho/年表basho


 芭蕉の甥であるということだけが伝えられているが、誰の子供なのか判然としない。芭蕉の姉の子供 というのが有力で、その姉が婚家から離縁されたか、夫と死別したかして松尾家に出戻ったときに同道してきたのが桃印であるとする説がある。桃印5、6歳の頃で、芭蕉は22、3歳。何故か若い芭蕉が彼を養育することになったようである。これは、兄の半左衛門家が貧しく、桃印を扶養する経済力が無かったためかもしれない。その後、芭蕉が江戸に出て、生活のめどがつくのを待って 延宝4年ごろに江戸に呼び寄せたらしい。ただし、延宝8年頃の深川隠棲以後桃印が何処に住み、何を生業にしていたかは全く不明で謎である。
 芭蕉の桃印に対する愛情は並々ではなく、33歳という若さでの桃印の死に落胆した芭蕉は自らの生への執着をも喪失した風がある。
許六宛書簡にその時の心情が吐露されている。また、桃印重態のため借金をせざるを得なくなった芭蕉は膳所の門人曲水に宛ててた書簡で1両2分工面してくれるよう依頼している 。
 「桃印」が俳号か本名なのかは分からないが、「桃」の一字は芭蕉が門弟などに俳号を与えるときに多用しているだけに、甥へのペンネームとしてこの名を与えたと考えるのは自然であろう。だが、古今の俳書のどこにも桃印の名は見えない。
 ということは、@余程、俳諧文芸に関する能力が無かったか、A興味が持てなかったか、B名前を公表できない事情があったか、ということが考えられる。それだけに、 「猶子桃印」については古来さまざまな憶測をよんできた。
 なお、謎の女性寿貞尼と桃印の関係について、彼らが夫婦であり、よって二郎兵衛やおまさ、おふうら三人は桃印の子供であるという説がある。これについては「寿貞」を参照。