芭蕉db

草の戸や日暮れてくれし菊の酒

(笈日記)

(くさのとや ひぐれてくれし きくのさけ)

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 元禄4年9月9日、重陽の節句。『笈日記』(支考編)では「九月九日、乙州が一樽をたずさへ来たりけるに」と前詞。また、『蕉翁句集』では「此の句は木曽塚旧草に一樽を人の送られし九月九日の吟なり」と付記されているところから、義仲寺無名庵滞在のときの作であることが分かる。

草の戸や日暮れてくれし菊の酒

 平安の昔より、重陽の節句には菊花酒という酒を飲む風習があった。長寿を祝うものであったという。世間で祝われている菊の節句の酒も隠遁の自分には無関係とあきらめていたところ、思いがけなく日暮れになって一樽届いた。うれしくないかといえばそんなことはないが、日暮れて届いたところになお一抹の淋しさがないわけではない。
 ここに草の戸は、義仲寺境内の無名庵のこと。日暮れて酒を届けてくれたのは
乙州であった。
 なお、中国の故事に、重陽の節句の日、陶淵明が淋しく菊の花を野原で摘んでいると、そこへ太守から一樽が届けられたというのがある。芭蕉は、この句で陶淵明の故事を思い出しているのである。


大津市馬場ときめき坂(義仲寺近く)にある句碑 。牛久市森田武さん提供