芭蕉db

怒誰宛書簡

(元禄4年2月22日 芭蕉48歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


貴翰忝拝見*、並半紙一束被懸賢慮、毎々御厚情不浅難筆端盡存候*。御目まひ度々に及申候由、気之毒奉存候。陽性上る時候故と存候間*、養生主要用に存候*。御公用被仰付候由*、珍重ながら御持病の御為如何と無心元存候*。包(庖)丁が牛御手に可入候*。南経斎物、過半に至候由*、連衆より申来、大儀之処はかを御やり被成候而、御手柄奉存候*。随分清眼微細に御開可成候*。且拙者持病も折々気指候共、大痛も不*、旧友風情之輩せつき申候而*、よほどやかましく御座候間、来月出京可致と心掛候へども、いろいろのがれぬ事ども仕出かし、夏秋までも可留たくみいたし候*。随分抜出、京辺貴境にて卯月末頃までは足を可留存候。後之事を思案致すまじきよし、洒落が棒を送候へば*、吹風に可任候。返翰数多、及早筆*。 頓首
     二月廿二日                      芭蕉
怒誰雅伯
尚尚御老母様可御堅固存候。とやかく申内、曲水丈春を打越、嘸御悦可成候*。幻住庵再興之時節も過候間、誠まぼろしの日数、頓而入庵の節に成可申候*

 怒誰宛書簡。郷里伊賀上野で執筆した。怒誰が、持病を押して『荘子』を講義していること、自分は弟子たちに囲まれてしばらく伊賀に滞留の予定であることなど、時候の挨拶。