芭蕉db

柴の戸

延宝8年冬 37歳


 九年の春秋*、市中に住み侘びて、居を深川のほとり*に移す。「長安は古来名利の地、空手にして金なきものは行路難し」*と言ひけむ人の賢く覚えはべるは、この身の乏しきゆゑにや。
 

柴の戸に茶を木の葉掻く嵐かな ばせを

(しばのとに ちゃをこのはかく あらしかな)


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 芭蕉は青雲の志を持って江戸に下り、ついに3年前、念願の俳諧師匠として立机したものの、この 文芸の世界も金と名誉欲の渦巻く俗世界そのもの。絶望した芭蕉は、9年の江戸市中の生活を捨ててここ深川の草庵(後に芭蕉を植えて芭蕉庵となる)に隠棲してしまう。その 折の、世間に対する決別の辞がこの一文。この作品は芭蕉庵で書いたことが判明している。 なお、この深川隠棲については『幻住庵の記』も参照。


柴の戸に茶を木の葉掻く嵐かな

 俳諧の世界も俗世間同様拝金主義が横行する名利の世界。俗塵を廃してここ草庵に隠棲してみれば、茶を入れてくれようとてか、一塵の嵐が焚き付けにと木の葉を運んできてくれることよ。ここにばせをの署名が入るのは、版が後世のもののために生じた杜撰である。この時点ではまだ「芭蕉」を名乗っていない。
 この句は、『芭蕉翁真蹟拾遺』では、
   冬月江上に居を移して寒を侘
   ぶる茅舍の三句 其の一

草の戸に茶を木の葉掻く嵐哉

とある。
 なお、延宝8年には17句が現存する。